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『黒いチューリップ』②~「幻想映画館」伝統的キャラクター・アクター その3~

 当ブログ記事では、わたしのブログの盟友オカピーさんとの対話『アラン・ドロンについて』⑤~伝統的キャラクター・アクター、二重自我の魅力 オカピーさんとの対話から~などを代表に、アラン・ドロンのスターとしての要素が映画のスター・システムの発祥期からの伝統的なキャラクター・アクターであることは、もう何度もテーマとして取り上げてきたところです。

 DVD『太陽がいっぱい スペシャル・エディション』での特典映像『「太陽がいっぱい」とアラン・ドロンの世界~アラン・ドロン:インタビュー集~「3 カンヌ国際映画祭でのアラン・ドロン」』には、1961年5月13日にフランス国営テレビ「RTC」が放映したニュース映像が収録されています。これは、1961年5月3日~18日の第14回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で、アラン・ドロンとルネ・クレマン監督との第2作品目『生きる歓び』を出品した際のレッド・カーペットでの様子を撮影したものです。
 ここでは、当時のルネ・クレマン監督、共演したバルバラ・ラスとともにアラン・ドロンが紹介されており、更には、イタリアの超美人女優ジーナ・ロロブリジダの映像紹介や、ナレーションにおいてのみでしたが、ジャン・ポール・ベルモンドと共演したヴィットリオ・デ・シーカ監督の「ネオ・リアリズモ」作品『ふたりの女』でカンヌ国際映画祭の女優賞を受賞したソフィア・ローレンなども紹介されています。
 ヨーロッパを主戦場に活躍していた俳優においても、人気スターとしての地位を確立していた当時の時代背景がよくわかります。

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【男性はフランス人のアラン・ドロンが人気です。
彼の才能はすばらしくフランス人の誇りです
アラン・ドロンは まだ若いが-50才を待たずともダルタニアンを演じられる俳優です
映画祭は品格や教養のある市民のお祭りです
今宵 上映される映画は彼にとって
カンヌの英雄の座を手にする作品となるでしょう】
【ニュース映像解説ナレーションより】

 このニュース映像の解説から、わたしなどは遂々・・・ジェラール・フィリップ、ジャン・マレエ、ジョルジュ・マルシャルなどの王党派の三銃士に加えて、若きアラン・ドロンがダルタニアンとして颯爽と登場・・・などと、また、勝手な妄想に走ってしまうのですが・・・しかし、どうでしょう!このように考えただけでワクワクしてくるのは、わたしだけなのでしょうか!?

 この頃のアラン・ドロンの出演作は『生きる歓び』(1961年)で8本目、翌年の第15回カンヌ国際映画祭での特別審査員賞 (Special Jury Prize)受賞の『太陽はひとりぼっち』(1961年)で10本目でしたが、まだ、13本目の出演作『地下室のメロディー』(1962年)で、ジャン・ギャバンと巡り会ってはいませんでした。
 当然のことながら、1967年以降の、ジャン・ピエール・メルヴィル監督やジョゼ・ジョヴァンニ監督などの「フレンチ・フィルム・ノワール」の世界を知る前の若い頃の彼だったわけですが、わたしは、このニュース解説のような一般的な評価でのアレクサンドル・デュマ原作『三銃士』の主人公ダルタニアンの例示には一考を要する必要性を感じました。

 この時代は、まだ「ヌーヴェル・ヴァーグ」の諸派が古い映画、いわゆるフランス映画の「良質の伝統」を否定する最盛の少し前、その過程の時期にあったわけですが、このようなTVニュースで、名優としての必須要件の例示に『三銃士』のダルタニアンが挙げられていることなどからも、まだこのようなアカデミックな祭典・催事にまでは、その攻撃力が及んでいなかったと察せられます。

 近年における『三銃士』の映画化については、1993年にその冒頭の部分を映画化したウォルト・ディズニー作品、スティーブン・ヘレク監督の『三銃士』、その後半部の『鉄仮面』を映画化した1998年ランダル・ウォレス監督のレオナルド・ディカプリオ、ジェレミー・アイアンズ、ジェラール・ドパルデュー、ジョン・マルコヴィッチ、アンヌ・パリローなどオール・スター・キャストの『仮面の男』、1996年にはベルトラン・タヴェルニエが監督したダルタニアンをフィリップ・ノワレが演じ、その愛娘の女性騎士をソフィー・マルソーが演じた『ソフィー・マルソーの三銃士』などがあります。

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 『三銃士』は、古くから数え切れないほど何十回も映画化されてきましたし、1950年代にはいわゆる「剣戟(けんげき)映画」の名称で、ハリウッドでもヨ-ロッパでも量産された娯楽活劇の体系に位置づけられる作品です。

 わたしのお気に入りブログ【koukinobaabaさんが運営する『Audio-Visual Trivia 鉄仮面 The Iron Mask (1921)』】には、素晴らしい『鉄仮面』の記事があります。

「一人は皆の為に、皆は一人の為に(un pour tous, tous pour un.)」
 アレクサンドル・デュマの『三銃士』の主題ともいえる有名な銃士の合い言葉です。

 言うまでもなく、アトス、ポトス、アラミスの三銃士とダルタニアンの物語は、王政側の英雄譚です。

 アラン・ドロンは、このカンヌ国際映画祭のレッド・カーペット初登場の2年後の1963年、ブルボン王朝時代のルイ13世、14世に仕えた王党派の銃士が活躍した時代背景とは全く逆の、ルイ15世、16世をギロチン送りにした革命派共和党の騎士が活躍するフランス革命期を舞台にした『黒いチューリップ』で主人公を演じました。

 王家のために仲間達と一致団結して現王朝に忠誠を誓う忠君の騎士像ではなく、現行の政権から外れ、悪漢としてしたたかに生きるアウトローや、現政権を否定し新しい共和の時代に望む若々しいヒーローを演じたアラン・ドロン、実にそのキャラクターが良く映える設定での主演作品でした。
 彼にとっては、革命派の騎士、あるいは仮面の義賊という裏表の二重自我を、一人二役の兄弟で演じたことは、『太陽がいっぱい』でブルジョア青年フィリップ・グリンリーフを演じることを拒み、貧困から犯罪者となる青年トム・リプリーへのキャスティング変更を申し出た逸話と同様、実に納得できる結果となったのではないでしょうか?

 また、当時のフランス映画の正統で伝統的な「剣戟(けんげき)映画」において、アラン・ドロンの二面性の魅力を見出すことができたという点で、映画史的にも着目すべき特徴を持つ作品になったと、わたしには思えるのです。


 実はアレクサンドル・デュマの原作『黒いチューリップ』は、こういった騎士道物語とは程遠く、黒色のチューリップ栽培に生涯を賭ける貧しい宮廷園芸家の物語であり、騎士道物語としてのアレクサンドル・デュマの作品は、あくまでも『三銃士』、その関連作品のみでした。

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 映画『黒いチューリップ』の脚本は、フランス映画の旧世代作家のアンリ・ジャンソンです。アレクサンドル・デュマの原作『黒いチューリップ』の要素など欠片も見当たらず、彼と「詩(心理)的レアリスム」第二世代であるクリスチャン・ジャック監督のオリジナルに近いものであり、いわば、原作からは表題と時代設定のみしか引用していないのです。
 しかしながら、わたしには、アラン・ドロンの正統的でありながら、かつアンチ・ヒーロー的である一見矛盾に満ちた個性を、『三銃士』後半部の『鉄仮面』での仮面の騎士と彼らの双子の運命などの設定を借用して統一したようにも感じられたのです。
 この作品を、痛快「剣戟(けんげき)映画」に衣替えするために、アレクサンドル・デュマという作家のもう一つの原作であった銃士の逸話をモティーフの一つとして意識したのであれば、そのユニークな着想は、実に映画的で柔軟な発想だと言えましょう。

 また、それは1930年代から50年代に駆けて、ダグラス・フェアバンクス、タイロン・パワーやエロール・フリン、フランスでは、ジャン・マレーやジェラール・フィリップなど、典型的なスター・システムのなかで量産されていった象徴的な娯楽映画のジャンルでした。
 例え、それが王党派の騎士物語であろうと、革命派のそれであろうとも・・・「ヌーヴェル・ヴァーグ」さえ台頭しなければ、アラン・ドロンは彼らの後継者として、1960年代のフランス「剣戟(けんげき)映画」の大スターの代名詞ともなり得たかもしれないのです。

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【>5月2日
スカラ座で“黒いチューリップを”観た。七十ミリ、アラン・ドロンの魅力いっぱいというところ。いまの日本では考えられないような、大型のアクションだった。
ビール飲んで、一杯きげんの私。夜はもう、私の前を黙って通っていった。】
【引用『こころの日記』吉永小百合著、講談社、1969年】

こころの日記 (1969年)

吉永 小百合 / 講談社



【>アンリ・ドカエ
ドロンはプロの俳優として完璧だったと思います。能力もあるし、やる気もありますからね。ただ、つねにスターとしてふるまう。それは彼のスターとしての矜持であって、当然のことなわけです。たとえば『黒いチューリップ』の撮影中に、製作関係でちょっといざこざがあって、ドロンのことをないがしろにしてしまった。そういうことはドロンの気に入らない。どんなときでも、彼はナンバー・ワンのスターとして尊敬されないと気がすまない。(略-)】
【引用『キネマ旬報 1976年四月上旬春の特別号「アンリ・ドカエ氏 愛をこめて映画と自己についての総てを日本で語る」』 山田宏一、中山彰、白井佳夫、キネマ旬報社】

【>ルイ・ノゲイラ
ドロンはあなたにとってスターの典型的な例なのですか?
>ジャン=ピエール・メルヴィル
彼は私が知っている最後のスターだ。フランスでは言うまでもなく、全世界を見てもそうだ。彼は30年代のハリウッド的な「スター」なんだよ。(略-)】
【引用『サムライ ジャン・ピエール・メルヴィルの映画人生』ルイ・ノゲイラ著、井上真希訳、晶文社、2003年】
サムライ―ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生
ルイ ノゲイラ Rui Nogueira 井上 真希 / 晶文社






 そして、わたしはこの時、ジェラール・フィリップをスター俳優として、こよなく愛していたアニエス・ヴァルダ監督が、この『黒いチューリップ』のポスターをストップ・ショットで強調した『百一夜』でのアラン・ドロンの逸話を想起してしまっていたのでした。

アニエス・ヴァルダによるジェラール・フィリップ

アニエス ヴァルダ / キネマ旬報社


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by Tom5k | 2010-04-25 16:11 | 黒いチューリップ(2) | Comments(2)

『黒いチューリップ』①~革命から時代を経て、現在そして、未来へ~

 映画『黒いチューリップ』での1シーンに、主人公ジュリアンが兄ギヨームの正体である共和派の義賊「黒いチューリップ」であることを知って「兄さんの理想は僕の理想と同じだ。」と目を輝かせる場面があります。「兄さんはルソーを読んだ?」とうれしそうに問いかけるジュリアン。フランス革命の思想基盤を作ったジャン・ジャック・ルソーの社会契約説のことです。

社会契約論 (岩波文庫)

J.J. ルソー / 岩波書店



 フランス映画伝統の「詩(心理)的レアリスム」戦後第二世代クリスチャン・ジャック監督によるフランス革命の娯楽大作です。アラン・ドロンの一人二役の好演が印象に残る明るい楽しい作品であり、恐らく当時のフランス国民の誰もが安心して見ていられる歴史活劇だったのでしょう。
 また、『太陽がいっぱい』や『生きる歓び』で、すでに自分自身の分身を演じるきっかけを得ていたアラン・ドロンにとって、非常に演じ易かった配役だったのではないでしょうか?また、それが、その後の彼の演じた多くのキャラクターに継承されていった意味でも、重要で意義のある役柄だったと思われます。
 彼はこういったクラッシックな内容の文芸大作がよく似合い、それを上手く演じることができる古いタイプの映画俳優のような気がしているのはわたしだけでは無いでしょう。

 フランスの歴史はフランス革命から始まったと言っても言い過ぎではないかもしれません。
 「騒擾がつづき、街路にはバリケードがつくられ、民衆は武器商におしかけて武器をうばった。七月十四日の朝、群衆は廢兵院から三万二〇〇〇挺の小銃をうばい、さらに武器を求めてバスチーユの牢獄にせまった。」 『フランス革命小史』(河野健二著 1959年 岩波新書より)

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 民衆蜂起の1789年7月14日のバスチーユ牢獄への襲撃により、8月26日、国民議会の人間および市民の権利宣言(人権宣言)の発表。そして、ナポレオンのクーデター(ブリュメールの18日)でフランス大革命は終焉します。
「起てや祖国の 健児らよ、 栄えある日こそ 来たるなれ、 われに刃向かう 暴虐の、 血染めの旗ぞ ひるがえる、 君よ聞かずや 野に山に、 敵兵どもの 吠えるのを、 わが同胞を 殺さんと、 奴らはわれに 迫り来る、 いざ武器をとれ 市民たち! 隊伍を組めや いざ行かん! 敵の汚れし 血潮もて、 わが田の畝を 潤さん。」(フランス共和国国歌「ラ・マルセエーズ」より)

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 しかし、革命後は反動的な立憲君主制に戻り、自由主義者と対立します。1830年7月再び、共和派は7月革命を成し遂げますが、この革命でも少数の大資本家の支配が中心の政治体制で中小資本家、労働者には選挙権すらありませんでした。
 1848年2月、選挙法の改正を巡って三たび、2月革命による臨時政府をうち立てます。しかも、この2月革命後の議会には社会主義者であったルイ・ブランも加わっていました。
 しかし、1851年、ルイ・ナポレオンによる第二帝政の時代が訪れます。普仏戦争の敗戦による不満からパリ市民は先鋭化し、1871年共産主義政権パリ・コミューン臨時政府が樹立され、共和派と共産主義臨時政府との間に対立が起こります。ドイツの協力を得た共和派が1875年、共産主義者を一掃して実権を握り、ようやく第三共和政の基礎が整ったわけです。
 映画『パリは燃えているか』で第2次世界大戦中にナチス・ドイツと闘い、フランス共和国臨時政府を設立したときの共和派はこの第三共和政の組織であったドゴール派でした。
 1946年、戦後初の新憲法発布により第四共和政が発足。これは、映画『パリは燃えているか』に描かれているレジスタンス組織「国民抵抗会議」が、ド・ゴールを支持した結果としてでした。

 第四共和政は、大国主義により、後のベトナム戦争に繋がるインドシナ戦争を勃発させてしまい、1958年には、映画『名誉と栄光のためでなく』の舞台となっているアルジェリア政策を巡るトラブルからドゴール首班の憲法改正を実施して第五共和政を敷きます(このため、アラン・ドロンが製作・主演した『さすらいの狼』は公開が遅れ、大赤字となります)。これが現在のEUの土台となるEEC(ヨーロッパ経済共同体)を1958年に誕生させます。

 そして、EEC発足6年前の1951年成立のECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)、前年の1957年成立のEURATOM(ヨーロッパ原子力共同体)がEECと統合し、1967年についにEC(ヨーロッパ共同体)の発足となったのです。1973年にはイギリスも加盟し、拡大ECが誕生します。

 特に注目すべきはECSCの成立です。これはフランスとドイツ(設立当時は西ドイツ)が第二次世界大戦の経済的な要因、つまり石炭と鉄鋼の利権を巡る争いであったことの反省から、それらを共同管理することから始まっていったものです。現在のEU(ヨーロッパ連合)の発展は、戦争という手段を使わずに国家間が平和的統合を目指す歴史上に類例を見ない取り組みの過程であるといえるでしょう。

 そして、フランス市民がバスチーユを奪還してから200年あまり、第二次世界大戦でのナチス・ドイツの占領下から約60年経った今日、フランス共和国第五共和政は旧敵国ドイツとともに、東欧10カ国を加えた言語も文化も異なるEU25カ国の牽引となっています。
 2003年イラク攻撃に係る国連安全保障理事会やNATOにおいては、古いヨーロッパと蔑まされながらも、古いヨーロッパこそ誇りとばかりに反英米を堂々と明言し、正面切って武力攻撃に反対しました。おそらくは、この誇り高き国家の理念は、今でもフランス革命の精神と理想から貫かれているのでしょう。
 現在のフランスは、極右の台頭や不法入国等よる移民問題、失業者の増大等、多くの国内問題をかかえています。
 「国家のなかに、一人でも不幸なひとや貧しい人がいるのを放置しておいてはならない。そういう人が一人もいなくなったときに、はじめて、諸君は、革命をなしとげ、ほんとうの共和国を建設したことになるだろう。」(1794年国民公会にて、フランスの革命家サン・ジュストの演説)

 このサン・ジュストら当時の革命家たち、そして、市民たちの理想を引き継いで、現在、EUの共通通貨ユーロの採用、昨年6月にはEUの政治統合を目指す憲法草案の承認までこぎ着けました。市場経済、民主主義、人権尊重の理念で結ばれた大欧州の建設をフランスおよびヨーロッパは目指し続けています。これからもフランスは、フランス革命の精神を拠り所として多くの問題をかかえながらも困難を乗り切り、更に世界へ次の未来のビジョンを提示し続けて行くに違いありません。
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by Tom5k | 2005-04-26 22:19 | 黒いチューリップ(2) | Comments(13)