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『アラン・ドロンについて』⑩~音楽の使い方が好きな作品 その1 クラシック音楽編~  

 映画評論家の岩崎昶氏の名著「映画の理論」には、トーキー以後の映像と音楽の試行錯誤の成果の代表例として、1920年代のヴィキング・エゲリング、ルネ・クレール、ハンス・リヒター、フェルナン・レジェ、フランシス・ピカビヤなどの「絶対映画」、あるいは「純粋映画」などを初めとして、ワルター・ルットマン、ルイス・ブニュエル、クロード・オータン・ララ、ジャン・グレミヨン、ヨリス・イヴェンス、マン・レイなどのメンバーによる1920年代後半から1930年代にかけての「前衛(アヴァンギャルド)映画」運動のことが記されており、特にワルター・ルットマンに師事していたオスカー・フィッシンガーが、ポール・デュカスの『魔法使いの弟子』、ヨハネス・ブラームスの『ハンガリア舞曲、第5番』を創ったことが強調されています。

 また、アメリカのウォルト・ディズニーの『ファンタジア』(1940年)では、フィッシンガーを模倣して、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの「トッカータとフーガ、ニ短調」を第1曲とし、第3曲でも「魔法使いの弟子」を使用していることが挙げられています。
 図形や色彩の抽象的な映像の視覚効果を音楽に照応させた試行錯誤の成功例が、ウォルト・ディズニーへの影響により、この作品の成功に繋がったと推論しているのです。

動画配信サイト「YOU TUBE」の検索項目『ファンタジア』

 岩崎昶氏は、ウォルト・ディズニーが映画『ファンタジア』で、大衆性と技術的手段によって、バッハやデュカスのほか、イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキーの「春の祭典」、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの「田園交響楽」、アミルカレ・ポンキエッリの「時の踊り」をアニメーション動画の手法に取り入れ、モデスト・ペトロヴィッチ・ムソルグスキーの「禿山の一夜」と「アヴェ・マリア」で、シュールレアリズム技巧による映像表現で成功したと結論しています。

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映画の理論 (1956年)

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『ファンタジア』については、こちらに素晴らしい記事があります。
用心棒さんのブログ「良い映画を褒める会。」ブログ記事『ファンタジア』(1940)アニメと音楽で、哲学を語るウォルト・ディズニーの凄み。
関連記事として、
オカピーさんのブログ「プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]」ブログ記事 映画評「魔法使いの弟子」


 また、日本でも最近、クラシック音楽をテーマとした二ノ宮知子による漫画作品『のだめカンタービレ』を原作としたテレビドラマ、アニメーション、実写映画の作品が好評を得ました。音大生の青年達を主人公とした青春ドラマでしたが、コンサートホールでの楽団やピアノの演奏、その練習風景などをふんだんに取り入れた素晴らしい音楽映画となっています。

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「のだめカンタービレ 最終楽章」については、素晴らしい記事がこちらにあります。
オカピーさんのブログ「プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]」ブログ記事 映画評「のだめカンタービレ 最終楽章 前編」

オカピーさんのブログ「プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]」ブログ記事 映画評「のだめカンタービレ 最終楽章 後編」


 そして、大好きな今井正監督『ここに泉あり』(1955年)、これは群馬交響楽団の草創期を描いた作品だそうです。
 わたしは、全く人気の無い巡業先の公演で、そこに来ていた女学生が、岸恵子演ずるヒロインの佐川かの子に花束を差し出してファンだと告げるシーンが忘れられません。
 音響設備もない山の中の学校やハンセン氏病患者の慰問公演・・・真の音楽家は、貧困と闘いながら、このようにして聴衆との対話を確認するものなのだと感動しました。芸術・文化の本質は、民衆の生活の中に根ざし、人々を勇気づけてていくものなのでしょう。

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 さて、アラン・ドロンの出演している作品での、音楽の使い方についてなのですが、やはり素晴らしいと思う作品は非常に多く、その映像と音楽の照応効果によるインパクトが強烈であることを主に、クラシック音楽を使用した作品でわたしが特に好きな作品を列挙してみます。

 まず、『恋ひとすじに』(1958年)です。
 この映画作品のオリジナルとしてのサウンド・トラック盤がアナログのシングル・レコードとして現存しており、これは今でも大切に保管しています。

 しかし、わたしがこの作品で最も強く印象深いのが、残念ながら歌っているのはロミー・シュナイダーではなく、吹き替えだと思うのですが、彼女がこの作品で演じているクリスティーヌが歌うフランツ・シューベルトの「アヴェ・マリア」なのです。

 原曲は、イギリス詩人のウォルター・スコットの叙事詩『湖上の美人』で処女エレンが父の罪が許されるよう聖母マリアに祈る詩にシューベルトが曲を作ったものです。
 わたしにはクリスティーヌの歌う様子が、このエレンと同様に、アラン・ドロン演ずる恋人フランツの罪、その許しを切実に願っているであろうことを想起させる素晴らしいシークエンスであったと思います。

 「YOU TUBE」に、わたしの大好きな、エリザヴェート・シュワルツコップ、そして、マリア・カラスが歌う「アヴェ・マリア」がありました。

 この映画作品は戦前のドイツでも、マックス・オフェルス監督により、ロミーの母であるマグダ・シュナイデル主演で映画化された作品でした。
 その『恋愛三昧』(1933年)で、クリスティーヌが選んだ歌曲は、「アヴェ・マリア」ではなく、ヨハネス・ブラームスのドイツ民謡『Schwesterlein』でした。ですから、「アヴェ・マリア」は、この作品でのオリジナル選曲です。

 さて、映画のクライマックスで使用されている「交響曲第5番「運命」第一楽章」ですが、「YOU TUBE」には、ヴィルヘルム・フルトベングラーとアルトゥーロ・トスカニーニの指揮する名演奏がありました。
フルトベングラー指揮の「交響曲第5番「運命」第一楽章」
トスカニーニ指揮の「交響曲第5番「運命」第一楽章」

 戦前の日本では、この第5番シンフォニー「運命」が、クラシックの王道であったわけですが、アナログSP時代のファンは、全く異なるこの二人の演奏に関して、激しく嗜好の分かれるものであったと聞きます。
 この演奏を現在聴いても、全くもって凄まじい演奏として解釈できます。
 その後のヘルベルト・フォン・カラヤンやクラウディオ・アバド、サイモン・ラトルなどが「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」の首席の指揮者となってきた沿革史を鑑みたとき、何という世界文化の体たらくなのだろうかという忸怩(じくじ)たる思いは、多くの人々が持つ本音でしょう。 

果たして、彼らは旧時代を超えられているのでしょうか?
『シネ響「マエストロ6」サイモン・ラトル』

「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」については、こちらに素晴らしい記事があります。
シュエットさんのブログ「寄り道カフェ」ブログ記事「帝国オーケストラ」そして「ベルリン・フィル~最高のハーモニーを求めて」
オカピーさんのブログ「プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]」ブログ記事 映画評「ベルリン・フィルと子供たち」


 映画では、両作品とも全く同じシークエンスで使用されており、フランツの不倫の恋愛関係にあったレナ夫人の夫との始める前から勝負の結果がわかっている決闘、すなわちフランツの死のシークエンスを友人達やクリスティーヌの父親の焦燥する様子、そして、この楽曲のみで表現しているのです。
クライマックスのベートーヴェン「交響曲第5番「運命」第一楽章」(『恋愛三昧』(1933年)のラスト・シークエンス)
 このベートーヴェンの使い方は本当に素晴らしいと思います。
 フランツの死とクリスティーヌの絶望を、このような映像と音楽の照応で表現することなど、もう現在の映画作品では、不可能なのではないでしょうか?

 次に、『山猫』』(1962年)です。
 わたしは、ジュゼッペ・ヴェルディの「「椿姫」の第2幕第12曲:あたしたちははるばると訪れた」で使用されていた「ジプシーの女たち」が大好きです。

【(-略)サリ-ナ家の馬車が見えてくると、市の楽団がヴェルディの「椿姫」から、「われらはジプシー女」を奏でる。これは公爵一家を迎える際の由緒ある挨拶となっている。(略-)】
【「ルキノ・ヴィスコンティ ある貴族の生涯-19 時代の足音をきく生理 老公爵の後ろ姿と《山猫》の世界-」モニカ・スターリング著、上村達夫訳】

ルキ-ノ・ヴィスコンティ―ある貴族の生涯

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 映画『山猫』では、ドン・ファブリツィオ一行が、ドンナフガータ村での夏の別荘に到着したときの公爵一行の歓迎場面で使用されています。一行を歓迎する地元の楽団が「われらジプシー女」を演奏して迎えるシークエンスでの使用でした。

 『山猫』でのそれとは、直接関係はありませんが、「YOU TUBE」には、なんと!スカラ座の音楽監督を務め、マリア・カラスとともに、ルキノ・ヴィスコンティとも親交の厚かったトスカニーニが1946年ニューヨークで、NBC交響楽団の指導で楽団を指導しているリハーサル時の録音の録音がありました。
 映像が無いのは残念ですが、このような音源が公開されていることは驚くに値します。

【(-略)トスカニーニはヴィスコンティに、今やっている「ラ・ヴェスターレ」のリハーサルを見に行ってもいいかと尋ねた。ヴィスコンティは光栄に思った。そしてトスカニーニが彼の演出を褒め、さらにカラスのことを「美しい声の持ち主で、興味深いアーティストで、たいへん結構」だと思うと述べたのを、うれしく聞いた。その後、トスカニーニが本公演に姿を見せて、舞台わきの特別席に座っていたとき、舞台上のカラスは膝をかがめて客席におじぎをしていたのを中断して、ファンの投げた赤いカーネーションを拾い上げ、それを最も深いおじぎとともにトスカニーニへ差し出した。(略-)】
【「ルキノ・ヴィスコンティ ある貴族の生涯-11 スカラ座への愛 トスカニーニとカラスを識るうれしさ-」モニカ・スターリング著、上村達夫訳】

 その他にも、どこの国のどこの楽団なのかは、全くわからないのですが、このような素晴らしい映像がありました。
ヴェルディの「「椿姫」の第2幕第12曲:あたしたちははるばると訪れた」「ジプシーの女たち」①
ヴェルディの「「椿姫」の第2幕第12曲:あたしたちははるばると訪れた」「ジプシーの女たち」②


 そして、映画音楽至上の大傑作、『パリの灯は遠く』』(1977年)での、グスタフ・マーラーの「亡き児をしのぶ歌」の使用です。
 「YOU TUBE」にはウィーンフィルハーモニー管弦楽団でのアルト歌手のキャスリーン・フェリアー、そして、フィッシャー・ディースカウの素晴らしいの独唱があります。

 しかし、わたしは、この人類の至宝ともいえる名唱を凌賀していると思うのが、映画『パリの灯は遠く』で使用されたフランツ・サリエリのラ・グランド・ユジェーヌ劇団での「亡き児をしのぶ歌」なのです。

【-ユダヤ人排斥のキャバレーの着想はどこから得たのでしょうか?
JL
当時ああいうものが実在していて、しかも撮影に使った当の劇場でやっていた。(-略-)私のとても親しい友人であり敬服もしていたフランツ・サリエリは、ラ・グランド・ユジェーヌという劇団で仕事をしており、私は彼らにこの反ユダヤ人の出し物をやってもらえないだろうかと考えた。(-略-)サリエリは、マーラーの歌曲を歌うその異様さや、ユダヤ人を嘲弄するそのやり口の醜悪さといったものは、よもや最悪の反ユダヤ人の輩でもまともに受け取ることのない代物だった。私としてはあのシークエンスは映画の中でも一番出来のよいところの一つだと思う。(略-)】
【引用 『追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー』ミシェル シマン著、中田秀夫・志水 賢訳、日本テレビ放送網、1996年】

追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー

ミシェル シマン Michel Ciment 中田 秀夫 志水 賢日本テレビ放送網



 監督したジョセフ・ロージー自身も、このように述懐しているように、このシークエンスは、音楽・舞台・絵画・思想などが複合的に映像に照応した映画音楽史上の最大レベルの歴史的価値の実現を醸成していると、わたしは感じます。

 しかしながら、実際のところ、各国際映画祭等での、例えば授与基準の策定においても、未だこのシークエンスの映像価値を正確に評価するレベルまでに達していない、と考えざるを得ません。
 わたしは、この作品のこのシークエンスが、未来においては間違いなく、メディア文化の歴史遺産としての価値を十二分に備えていると評価される時代が来ると信じていますが、残念ながら現時点での各国文化行政、各種映画祭においては、ここに着目している沿革はほとんど見あたりません。

 そもそも、現在の映像、メディア文化の振興などの取組みにおいては、コンテンツ産業や商工観光の振興、国際交流の推進などの施策としての価値観を重視しており、映像価値そのものに視点を置くことがなおざりになっている時代であるような気がするのです。
 映像が商業的な目的のみで進化し、先端のCGや3D技術に特化された映画産業界の取組のみでしかない現状を危惧してしまいます。


 最後に、『危険なささやき』』(1981年)の「The Dancing Bumble Bee」です。

 実をいうと、わたし自身は、ニール・ダイヤモンドの「The Dancing Bumble Bee」ではなく、原曲であるロシアの作曲家ニコライ・リムスキー=コルサコフの「Flight of the Bumblebee(熊蜂の飛行)」が最も好きです。

 元来のこの原曲は、アレクサンドル・プーシキンの原作の歌劇『サルタン皇帝』の第3幕で、主人公の王子が魔法によって蜂の姿で、悪役の姉妹に復讐する場面で使われる曲だそうです。

 『危険なささやき』では、ニール・ダイヤモンドの「The Dancing Bumble Bee」を、冒頭のタイトル・バックのファースト・シークエンスで使用しています。アラン・ドロンが演ずる主人公の私立探偵シュカスが射撃の訓練所から自社の探偵事務所に帰社する際の大型バイクでのパリ市内の疾走シーンへの照応で表現しているのです。
 ここは、実に躍動感に溢れる展開であり、物語のスピード感やアクション、シュカス探偵のエネルギッシュな活躍ぶりを、この冒頭から期待させる効果を挙げていると思います。
 「YOU TUBE」にはニール・ダイヤモンドの1979年のサンフランシスコでのライブがアップされていました。

 また、セルゲイ・ラフマニノフがピアノ曲に、あるいはヴァイオリン曲などにアレンジしたものが有名です。
 ロシアのバイオリニストであるアナスタシア・チェボタリョーワの演奏です。

 また、わたしの気に入っているマリンバとピアノの演奏による「Flight of the Bumblebee」です。

 日本で一般に有名になったものとしては、フレディ・マーチン楽団が発表した「バンブルブギー(Bumble Boogie)」(映像はウォルト・ディズニー)でしょう。最も有名なアレンジかもしれません。


 映画作品で使用されている音楽に着目していくと、映像におけるそのショット、シーン、シークエンスにおいて、音楽との照応によるリズムがいかに重要であるのかを感じます。

 フランスの映画評論家エミール・ヴェイエルモーズは、音楽の批評も多く著していますが、「影像の音楽」という「光のハーモニゼーションとオーケストレーション」と定義した映画音楽論を展開させました。
 彼は、音響と影像の間の芸術上の緊密な関係があり、それぞれの技術が極めて類似しており、それぞれは理論の要請、また同一の生理的反応との上に立っているところからの視神経と聴神経との同一の振動機能によった関係について論述しています。
 また、「前衛(アヴァンギャルド)映画」の女流監督のジェルメーヌ・デュラックも「映画芸術」第二集「美学、きずな、純粋映画」という著書で「音楽家が音楽的章句のリズムと音調とを作り出すように、映画人は影像のリズムとその音調とを作ることを仕事とする。」と論説しているそうです。
【『映画の理論』岩崎 昶著、岩波書店(岩波新書)、1956年】

 映画は、サイレント映画の時代から音楽を持つことを必要としていたのでしょうし、トーキー映画以後に確実にそれを持つことになった映像進化には、人類の文化・芸術上の最大の貢献があり、今後においてもその可能性を維持・発展させていく位置づけにおいて、体系化されるべき分野であるのでしょう。

音楽のカテゴリーのある素敵なブログをご紹介します。
武田さんの「終日暖気」です。
武田さんの「終日暖気」では、『のだめカンタービレ』『のだめカンタービレ 最終楽章 前編』もアップされています。

# by Tom5k | 2012-05-04 18:21 | Trackback(5) | Comments(2)

『アラン・ドロンについて』⑨~アラン・ドロンが出演している面白い作品ベスト5~  

 わたしには、アラン・ドロンが出演している作品で、周期的に観たくなる作品、何ケ月か何週間かに一度は観たくなり、かつ単純に面白いと思う作品が5本あります。

 彼の魅力が本質的なものまで掘り下げられているか否かは別として、わたしにとって彼のキャラクターが非常に魅力的に映っている作品です。以前からたいへん好きな作品ではあったのですが、本当に真から好きな作品と自覚できるようになったのは最近のことだと思います。

『さらば友よ』(1968年)【8点】
『シシリアン』(1969年)【7点】
『レッド・サン』(1971年)【7点】
『アラン・ドロンのゾロ』(1974年)【未掲載】
『ハーフ・ア・チャンス』(1998年)【7点】
※注 【  】内の点数は、ブロガー仲間のオカピーさんの評価点数です。
プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]テーマ「アラン・ドロン」のブログ記事

 特に、『さらば友よ』と『シシリアン』は、ようやく最近になって、それらが最も上位に位置付くほど好きであることを自覚した作品です。
 順位までの格付けは、今のところ不可能なのですが、私の「無意識の意識」が選んだベスト5作品です。

 私の無意識、すなわち潜在意識は、彼に何を求め、どこに魅力を感じたのか、自分自身の分析をしてみたくなります。

 ここには、彼の代表作品である『太陽がいっぱい』や『サムライ』、『パリの灯は遠く』のような単独主演の作品はありません。チャールズ・ブロンソン、ジャン・ギャバン、リノ・ヴァンチュラ、三船敏郎、ジャン・ポール・ベルモンドなど、ほとんどが同格の主演者との共演作品です。

 単独の主演作品は、『アラン・ドロンのゾロ』ですが、この作品にしてもスタンリー・ベイカーという素晴らしい敵役、ヒロインとしてたいへん魅力的な役柄を演じたオッタビア・ピッコロと共演しています。
 植民地施策総督府の総督など権力の権化のような役を演ずることは、当時の彼には、俳優の資質としても欠損していたとは思いますが、『世にも怪奇な物語 第2話 影を殺した男(William Wilson)』や『レッド・サン』、そして『リスボン特急』などを鑑みれば、もしアラン・ドロンがウェルタ大佐を演じたとしても素晴らしい作品になったかもしれません。

 いずれにしても、私の潜在意識は、アラン・ドロンが共演者とともに作品を創っていく俳優であることに満足感を得ているようです。彼が共演者たちの魅力を惹き出し、彼の魅力もまた、その共演者たちによって惹き出されていることから、その作品を面白く鑑賞することができているのです。

 また、『ハーフ・ア・チャンス』以外は、すべて1960年代後半から1970年代中盤までの作品であり、これは、やはり、日本でのアラン・ドロンが、映画スターとしての人気の全盛期を迎えていた頃の作品ばかりであり、わたしもまた、一般的な日本人の感性の中でアラン・ドロンに魅力を感じていることに、あらためて気付かされたところなのです。
 『ハーフ・ア・チャンス』でさえ、往年のライバルであり、友人であるジャン・ポール・ベルモンドと共演を果たした全盛期への時代的郷愁からの嗜好を盛り込んだ「アクション・ノワール」の総決算的な作品でもありました。

 そういった意味では、わたしの大嫌いな映画評論家の南俊子氏への批判的な気持ちも、逆に考えれば、これもまた無意識の近親憎悪による嫌悪感なのかもしれないと、大いに反省を促されているところでもあります。

 当時のアラン・ドロンの日本での人気の原因をよく表している一文を見つけました。
 最近ではノーベル賞作家の大江健三郎氏と「反原発」運動で行動を共にしていますが、1960年代後半から70年代にかけて、ラジオ番組『セイ!ヤング』で大活躍されていた文化放送のアナウンサーであった「レモンちゃん」こと落合恵子氏のエッセイ集にあったものです。

【蝶よりは蛾のほうがいい。なぜか、突然、そう思った。
黄や白、黒の薄っぺらな羽を、これみよがしにヒラヒラさせて飛んでいる蝶を見ると、鳥肌が立つ。第一、嘘くさいじゃないさ。インチキじゃないか。あのモゴモゴとした、不器用な毛虫から、軽やかな蝶に変身するなんて。
美容整形した清純派スター、さもなくば、どなたか偉いひとの立身出世伝でも読んでいるようで、腹がたつ。
夏の終わり、子供達の夏休みの作品かなんかで、箱いっぱいに虫ピンで止められた蝶の採集を見ていると、それが一番お前さんにお似合いさとイヤミの一つでもいってやりたくなる。
(-中略-)
一匹の蛾が入ってきた。そこで、さっきの“蝶よりは蛾のほうがいい”という、とっぴょうしもない考えが思い浮かんだのだけど。
考えて見てもちょうだい。毛虫が毛虫のままで終わるのなら、もしくは、毛虫が蝶でなくて、蛾になるのなら、それなりに美しいし、せつないし、ナットクだけどさ、ある日突然、美しい蝶に変身しちまうなんて、まるで、シンデレラか、安っぽいハリウッド式スター誕生って感じで、イヤミじゃない?
(-中略-)
“蛾で思い出したけど、アラン・ドロンってえのは、あの美しさにかかわらず、どこかしら、蛾的・・・・・こんな言葉ってあるんだろうか・・・・・な匂いがするんだな。
どこでなにをしても、タキシードにシルクのタイでシャンパン片手に、居心地のよさそうなソファに腰をおろしていても、真赤なスポーツカーでハイウェイをぶっとばしていても、夏のはじめのエメラルドグリーンのプールで、二十四時間、酒と女に飽食しているそのときでも、なにか、満たされない不良少年の渇き、だれにも入ることのできない暗さを漂わせてたりしている。
どんなに陽気そうに笑っていても、彼のあの型のいい唇・・・・・まるで、〈kiss〉と夜のために用意されたような・・・・のはじっこには、いつも不敵でシニックな影がチラチラしているし、すべてを捨てて、身を投げかけてきた女を、あのガッシリとした胸でうけとめながらも、彼の目は、百パーセント人間を信用できない、信用されたこともない男特有の不幸な疑惑が見えたりする。
ニコヤカに握手をして肩をたたき合っても、油断なく相手の頭のてっぺんから爪先きまで、かぎまわし、敵か味方か、白か黒か決めつけなくては気がすまない、そしてそんな自分を嫌悪している苦みがある。そのくせ、人一倍人間の肌のヌクモリ、やさしさ、安らぎ、吐息を求めてやまない幼児的な欲求にいつもせきたてられている。
このへんなんだな、彼の魅力は。美しすぎるものや人は、えてして、嫉妬の対象になりうるのに、男にも、女にも、なぜか許されてしまう、熱いオニオンスープの一杯でも、こさえてあげたくなってしまう気分にさせるところは。
「人間の性格というものは、その幼児体験にかなり左右される。ぼくには子供らしい夢というものがなかった。いつも爪をかんで大人の顔色をうかがっているようなイジケタ子供だったような気がする」
と、ドロン自信も回想しているように、子供のころ出会った両親の離婚のショックが、彼を少々イビツな、それゆえ、トビキリ魅力的な男にさせているのかもしれない。
蝶になりうるすべての外的な条件・・・・・たとえば名声、たとえば富、女、人気・・・・・を与えられながら、どこかで爪をかんでフクレッツラしている男の哀愁。しんそこ蝶になりきれない精神的な肌寒さが、いつも彼の背中から離れやしない。
否定しながらも、なお求めてやまぬ愛情へのあこがれ、そんなものが哀しいほど、伝わってきてしまう。(略-)】
『おうちへお帰り(蛾が好き! ドロンが好き!)』落合恵子著、新書館、昭和47年10月


 どうでしょうか。まさに時代の申し子であったアラン・ドロン!
 参考までに、『おうちへお帰り』が発行される前の直近5年間に日本公開されていたアラン・ドロン出演作品は、次のとおりです。

※ 日本公開年月順
昭和42年
  5月 『冒険者たち』(1966年)

昭和43年
  3月 『サムライ』(1967年)
  5月 『悪魔のようなあなた』(1967年)
 10月 『さらば友よ』(1968年)
 12月 『あの胸にもういちど』(1967年)

昭和44年
  4月 『太陽が知っている』(1968年)
  7月 『世にも怪奇な物語〈第二話 影を殺した男〉』(1967年)
 12月 『ジェフ』(1968年)

昭和45年
  4月 『シシリアン』(1969年)
  6月 『ボルサリーノ』(1969年)
 12月 『仁義』(1970年)

昭和46年
 10月 『栗色のマッドレー』(1970年)
 11月 『レッド・サン』(1971年)

昭和47年
  4月 『もういちど愛して』(1970年)
  9月 『帰らざる夜明け』(1971年)

 落合恵子氏がこのうち何本の作品をご覧になっていたかは、知るよしもありませんが、彼女のアラン・ドロンへの批評にあるその姿こそ、当時、ほとんどの日本人が求めていた時代的キャラクターであったのです。それを体現していたアラン・ドロン像は、落合恵子氏の独創的な所感ではなく、日本での最も一般的な彼のイメージだったと思います。

 だが、例えば、21世紀に育った現在の若い世代に、アラン・ドロンの出演した映画作品を観せて、彼女のこのエッセイを読ませたとしたならば・・・。
 恐らく彼らには、アラン・ドロンと昭和40年代の何がどう魅力的なのか、その意味そのものが理解できない・・・わからないのではないでしょうか????

 かなり前のブログ記事なのですが、わたしのブログ仲間のviva jijiさんが、全盛期のアラン・ドロンの記事をアップされていますので、ご紹介します。
 当時のアラン・ドロンが、日本でどんな存在だったかが、とても良く分かる記事だと思います。何せviva jijiさんは、熱狂的な映画ファンで、世代的には団塊世代よりは若く、我々の世代よりは少し上ですから、アラン・ドロンの全盛期を堪能された世代、その時代に青春を送った世代なわけです。
viva jijiさんのブログ『映画と暮らす、日々に暮らす。』の記事「アラン・ドロン」

 さて、わたしが今回選んだ作品はすべて、純粋なフランス映画作品ではなく、非常にハリウッド・ナイズされた作品ばかりとなりました。
 これは、アラン・ドロンが出演している多くの作品が、そうであったのかもしれませんが、チャールズ・ブロンソンというアメリカのドル箱スターと共演した『さらば友よ』や『レッド・サン』、20世紀フォックス制作の『シシリアン』、元来がアメリカのキャラクターである『アラン・ドロンのゾロ』など、ギャング映画(ギャングスター映画)、西部劇、活劇(剣戟映画)という典型的なハリウッドのエンターテインメントの要素をヨーロッパ的作風でアレンジしている作品ばかりなのです。

 また、わたしが従来から大好きな、ルネ・クレマン、ルキノ・ヴィスコンティ、ジャン・ピエール・メルヴィル、ジョセフ・ロージーの演出作品を選んでいないことは、今回の私の「無意識の意識」が、非常に商業的なエンターテインメントへの嗜好の強さ・・・映画芸術ではなく、華やかな娯楽性を持った商業映画の魅力に惹かれていることを正直に見詰めた結果から選んだ作品だからかもしれません。

 これらの娯楽作品群は、アラン・ドロンが出演している作品の中でも群を抜いてそのプロットや登場人物が類型的で硬直しています。
 それは、もうひどくワン・パターンであり、男同士の友情や裏切り、派手なアクション、単純な正義と悪とのすみわけ、全く深みのない表層的なテーマ・主題・・・これらにおいては、フランソワ・トリュフォーやジャン・リュック・ゴダールなど「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派の批評によって、間違いなく息の根を止められてしまうべきステレオ・タイプの映画様式(スタイル)ではないでしょうか?
 特に、『シシリアン』のギャング集団、『レッド・サン』のコマンチ族、『アラン・ドロンのゾロ』の悪の総督府、『ハーフ・ア・チャンス』のロシアン・マフィア・・・ファンであるわたしでも批判されれば反論できない類型的で硬直した型式モデルばかりです。

 しかし、わたしの正直な潜在意識・・・「正直な潜在意識」ってどんな?・・・にとっては、それが最も魅力あるキャラクターたちでもあったのです。これは、ある意味、新しい発見です。

 それにしても『レッド・サン』で彼が演じた悪漢ゴーシェは素晴らしい。彼が超一流の俳優であることが証されている作品だと思います。この作品はブルーレイのディスクとして蘇ります。久しぶりに西部の悪漢として大暴れしたゴーシェに心酔してみようかと思っているところです。


 この5本、わたしのなかで何が面白いのか?正直なところ自分でもその理由まではよくわかっていないかもしれません。うまく文章表現できませんでした???(笑)


 が、しかし、アラン・ドロンのファンとしての自分自身の可能性の発見、これが無限に近いものであることを発見できたこと・・・自己分析のプラス評価として自我自賛したくなる今日この頃なのです。



# by Tom5k | 2012-04-07 01:39 | アラン・ドロンについて(10) | Trackback | Comments(0)

『学生たちの道』~「アラン・ドロン」原型の形成期その3~  

 ミッシェル・ボワロン監督は、アラン・ドロンの主演第1作品『お嬢さんお手やわらかに』(1958年)に引き続き、1959年、再度、この『学生たちの道』で彼を起用しました。
 『お嬢さんお手やわらかに』は、アラン・ドロンをミレーヌ・ドモンジョ、パスカル・プティ、ジャクリーヌ・ササールなどのアイドル女優と共演させ、監督自らのシナリオによる華やかな演出により世界中でヒットし話題となった作品でした。
 さすが、ミッシェル・ボワロン監督は、この2作品によって、その共演者と共にアラン・ドロンをしっかりとアイドル路線で売り出すことに成功しました。

 そして、アラン・ドロンとしては、主演第3作品目。
 ロミー・シュナイダーと共演したピエール・ガスパール・ユイ監督の『恋ひとすじに』(1958年)で共演していたジャン・クロード・ブリアリと再びコンビを組み、当時のフランス映画界で、絶大な人気を誇っていたフランソワ・アルヌールと共演したのが、この『学生たちの道』なのです。
 この作品は、アラン・ドロンにとっても非常に重要な位置を占める作品だと、わたしは思っています。

 実際のところ、彼が1960年代後半から70年代の人気絶頂期を迎えていった作品の土台となっているのは、渡米して撮った『黄色いロールスロイス』(1964年)から『テキサス』(1966年)などの前に、フランスやイタリアなどのヨーロッパで撮った作品です。
 それらは、『太陽がいっぱい』(1959年)をはじめ、『太陽はひとりぼっち』(1961年)、『山猫』(1962年)、『地下室のメロディー』(1962年)、『黒いチューリップ』(1963年)などであり、そこには大スターとしての「アラン・ドロン」の必須要素が確かに存在していると思うのですが、『恋ひとすじに』やこの『学生たちの道』など、『太陽がいっぱい』を撮るより前の駆け出しの時代のアラン・ドロンが出演した作品に、それらの土台における原型とも言えるものが隠れていると、わたしは思っているのです。


 ところで、ハリウッド作品、フランス作品に限らず、「フィルム・ノワール」の登場人物たちにおいては、常に屈折した父性の在り方などを主軸に展開していく手法を採った作品が多く、その典型的な作品として、ビリー・ワイルダーが監督し、彼とレイモンド・チャンドラーが脚色した『深夜の告白』(1944年)があります。
 次の引用は『深夜の告白』に関する書評の一部です。

【この映画の構図を決めている象徴領域と想像領域の間の亀裂は、キイズという人物において体現され、したがって、キイズは権威的な父親と、寛容な理想化された父親との、両方の役割を演じなければならない。映画の物語を解決と終結へと導いていくのは、キイズのような人間なのだ。権威的な父親として、キイズは法を代表しなければならず、ネフを警察に引き渡さねばならない。だが、理想化された父親としては、ナルシステイックにネフと互いに同化するという、抑圧されたホモセクシャリティの側面も残される。】
【引用~『フィルム・ノワールの女たち~性的支配をめぐる争闘』E・アン・カプラン著、水田宗子訳、田畑書店】

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 このような父性をテーマとして描いた作品は、「アラン・ドロン」の人気全盛期を形成した「フレンチ・フィルム・ノワール」作品へも影響を与えていると考えられますが、
ジャン・クロード・ブリアリが演ずるアントワーヌの友人ポールと闇取引の元締めを商売にしているリノ・ヴァンチュラが演ずる父チェルスラン、
アラン・ドロンが演ずる主人公の高校生アントワーヌとブールヴィルが演ずる善良で真面目な小市民の父ミショー
のそれぞれ2組の父と息子の関係が、既にこの『学生たちの道』で大きなテーマとされています。
 ここは非常に重要です。後年の「アラン・ドロン」のアクターとしてのオリジナルが、既にここで確実に存在しているからです。

 すなわち、『地下室のメロディー』や『暗黒街のふたり』(1973年)で共演したジャン・ギャバン、『山猫』や『スコルピオ』(1973年)で共演したバート・ランカスターに父性を求め、そして更に、『ビッグ・ガン』(1972年)、『アラン・ドロンのゾロ』(1974年)、『ル・ジタン』(1975年)、『ブーメランのように』(1976年)など、自らがその父性を表現していくことになった生々しい原型製法が、この『学生たちの道』で、ミッシェル・ボワロン監督の演出によって行われたように思うからです。

 つまり、主人公アントワーヌとポールとの友情、ポールと父チェルスランとの確執、ポールの影響を受け、シャンパンの闇取引に手を出し、父ミショーの期待を裏切ってしまうアントワーヌの父子関係などは、「フレンチ・フィルム・ノワール」での「男同士の友情と裏切り」などのテーマとなる潜在的要素の源流となっていると、わたしは考えているのです。

 アラン・ドロンにとって、ピエール・モンディが演ずる偽のゲシュタボを使ったプロットなども含めたそれらの要素は、『地下室のメロディー』や『泥棒を消せ』(1964年)でその端緒が発現し、『さらば友よ』(1968年)から開花していくのですが、その後、『ジェフ』(1968年)、『シシリアン』(1969年)、『ボルサリーノ』(1969年)、『仁義』(1970年)、『リスボン特急』(1972年)、『ル・ジタン』、『友よ静かに死ね』(1977年)などで中心的役割を担っていくギャング集団の生態、その彼らの大仕事と男同士の友情を作品の主軸、テーマとしていくことへと拡がっていったと考えています。

 思えば、この『学生たちの道』には、「フレンチ・フィルム・ノワール」に潜在されている父性と男同士の友情が健康的に描写されている古き良き時代を描いた作品であり、無垢で純情な好青年を演じるアラン・ドロンが、その可能性を開花するための多くの要素を学んだ作品だったのかもしれません。


 また、彼が得意としていった悲恋の「メロドラマ」の原型も現れており、ここでのフランソワーズ・アルヌールとの恋愛関係においては、後年『帰らざる夜明け』(1971年)や『燃えつきた納屋』(1973年)のシモーヌ・シニョレ、そして、『個人生活』(1974年)のジャンヌ・モローとの共演の下地になるものだったとも考えられます。

 『恋ひとすじに』での男爵夫人レナを演じたミシェル・プレールとの関係は、「メロドラマ」のクラシック作品として不倫関係を描いており、その映画的表現は標準的な形式・スタイルを超えるものではなかったように思っています。
 しかし、この『学生たちの道』でのポールの恋人フランソワーズ・アルヌールが演じた恋人のイベットには既に子どもが存在しています。高校生が付き合う相手の設定としては、かなり矛盾をはらんだ恋愛関係をプロットとし、その現代女性を演じさせているのは当時人気全盛期のフランソワーズ・アルヌールでした。
 年上の美しいイヴェットとティーン・エージのアントワーヌとの純粋な恋愛関係は、現代社会の複雑な感性へと更に一歩進めた形態で描写されているものとなっています。

 これは、ミシェル・ボワロン監督にとっても、思春期を終えたばかりのティーンエイジャーと年上の美しい女性の恋愛を描き、ナタリー・ドロンとルノ・ヴェルレーが共演して大ヒットした『個人教授』(1968年)に繋がる原型だったとも考えられます。

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 この『学生たちの道』は、アラン・ドロンのアイドル時代の総括的作品であり、彼はその後、ルネ・クレマン監督のリアリズム描写に邂逅し、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督やクリスチャン・ジャック監督のフランス映画の伝統的「詩(心理)的レアリスム」に巡り会い、単なるアイドルではなく、ヨーロッパを代表するトップ・スターへと成長していくのです。

 この辺りで、アラン・ドロンは、ルキノ・ヴィスコンティ監督やミケランジェロ・アントニオーニ監督の「ネオ・リアリズモ」の後期作品を経て、『生きる歓び』(1961年)や『危険がいっぱい』(1962年)、『地下室のメロディー』など、ルネ・クレマン監督の演出やジャン・ギャバンとの共演などによって、リアルな「アラン・ドロン」キャラクターを本質まで掘り下げられ、アイドル路線を脱皮していくのですが、それに甘んじることなく、失敗作が多かったとはいえ、渡米したハリウッドでの「スターシステム」を貪欲に吸収して、後年の「フレンチ・フィルム・ノワール」での「アラン・ドロン」に接近しくわけです。

 それにしても、後年、リノ・ヴァンチュラは『シシリアン』、ブールヴィルは『仁義』で、アラン・ドロンを追う刑事になり、典型的な「フレンチ・フィルム・ノワール」作品で共演することになろうとは、この作品を撮った頃には誰も想像していなかったでしょう。不思議な因縁を感じてしまいます。

【キイズは権威的な父親と、寛容な理想化された父親との、両方の役割を演じなければならない。映画の物語を解決と終結へと導いていくのは、キイズのような人間なのだ。権威的な父親として、キイズは法を代表しなければならず、ネフを警察に引き渡さねばならない。だが、理想化された父親としては、ナルシステイックにネフと互いに同化するという、抑圧されたホモセクシャリティの側面も残される。】
【引用~『フィルム・ノワールの女たち~性的支配をめぐる争闘』E・アン・カプラン著、水田宗子訳、田畑書店】

 わたしには、この作品の二人の父親が、アラン・ドロンにとって、先に引用したE・アン・カプランの言う「理想化された父親」と「権威的な父親」を、ともに演じていくことになったと思えてならないのです。

 アラン・ドロンは、『学生たちの道』で演じた主人公アントワーヌから、暖かい小市民的な家庭が少しずつ奪われていった結果、悲恋の主人公となることも含めて、ギャングや殺し屋、社会から逸脱した犯罪者、アウトローとしてのヒーローとなり、二人の父親に追われる悲劇を背負ってしまったように見えてしまいます。


 多くの大衆に受け入れられる「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スター「アラン・ドロン」のキャラクターは、この朴訥なアントワーヌから、全てを奪い去ったときに形成されていったと考えることができるのではないでしょうか?

# by Tom5k | 2011-12-30 03:00 | 学生たちの道 | Trackback(2) | Comments(4)

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