『サムライ』⑤~アキム・コレクション、『望郷』の鑑賞から想起したもの~

 ようやく北海道でも、フランス映画特集「アキム・コレクション」が、札幌市の蠍座(北区北9条3丁目タカノビルB1)で上映されることになりました。

 わたしは、札幌市在住ではないので、交通費や札幌往復の時間的ロスから、残念ながらアラン・ドロンの出演している2作品(2月3日(火)~9日(月)の『太陽がいっぱい』と、2月24日(火)~3月2日(月)の『太陽はひとりぼっち』)と、その同日上映作品以外の鑑賞は無理です。

 昨日(2月7日(土))は、『太陽がいっぱい』、そして、その同日上映の『望郷』を観てきました。
 都市部と郡部の文化格差に少なからず義憤を感じる日帰り旅行でもあったのですが、さすがに初めて劇場鑑賞できるこの2作品への期待感のほうが勝り、それほどの苦もなく、札幌までの行程とできました。

 わたしの映画ブログの先輩、「映画と暮らす、日々に暮らす。」の運営者であるvivajijiさん(姐さん)は、札幌在住ですので、もしかしたら来ていて会えるかもしれない、と思って、映画館に着いて、まずキョロキョロと館内を見回しておりましたが、双方顔を存じていないので、当然のことながらわからずじまいでした。エリザベス・テーラーに似ている人だと聞いていたのですが・・・いなかったな、そんなひと・・・?


 さて、フランスの映画プロデューサーであるエジプト出身のロベールとレイモンのアキム兄弟ですが、彼らの残した映画作品は20作品あまりで、それほど多い作品数ではありません。しかしながら、ほとんどが国際的規模での映画史に残る傑作揃いなのです。
 彼らは、すでに10代のときにパリに移住し、1935年以降、ハリウッドで学んだ映画産業のノウハウをフランス映画に還元していった名プロデューサーだったそうです。

 わたしが何よりもうれしいのは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」全盛期の時代に、フランス古典シネマの体系に近い古い体質を特徴する作品をプロデュースし続けていった実績なのです。いわゆる「cinéma de papa(パパの映画)」の系譜を持つ作品群であり、アラン・ドロンが主演している作品が2作品存在していることには、なるほど頷づける理由があるわけです。

【>アラン・ドロン
(略~)・・・私はヌーベルバーグの監督たちとは撮らなかった唯一の役者だよ、私は所謂「パパの映画 cinéma de papa※」の役者だからね。ヴィスコンティとクレマンなら断れないからねえ!ゴダールと撮るのには1990年まで待たなくてはならなかったんだ。(~略)】 
※cinéma de papaとは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派のフランソワ・トリュフォーが付けた古いフランス映画への侮蔑的な呼称のこと。
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/21 「回想するアラン・ドロン:その7(インタヴュー和訳)」


 今回、札幌の「蠍座」では、彼らの残した名作が「アキム・コレクション」として、8作品が上映されます。
 すでに都市圏では上映が終了していたり、この8作品以外の作品も上映されているようです。神奈川、東京、大阪、名古屋、九州・・・・。

蠍座では、

2月3日(火)~9日(月)
 『望郷』(1937年)監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 
 『太陽がいっぱい』(1960年)監督:ルネ・クレマン
望郷
/ ジェネオン エンタテインメント





2月10日(火)~16日(月)
 『嘆きのテレーズ』(1952年)監督:マルセル・カルネ
 『エヴァの匂い』(1962年)監督:ジョセフ・ロージー
嘆きのテレーズ
/ ジェネオン エンタテインメント





エヴァの匂い [DVD]

パイオニアLDC




2月17日(火)~23日(月)
 『奥様ご用心』(1957年)監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 
 『昼顔』(1967年)監督:ルイス・ブニュエル

奥様ご用心 [DVD]

パイオニアLDC




昼顔
/ バンダイビジュアル





2月24日(火)~3月2日(月)
 『肉体の冠』(1951年)監督:ジャック・ベッケル
 『太陽はひとりぼっち』(1962年)監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
肉体の冠
/ ジェネオン エンタテインメント





 アキム兄弟の逸話で有名なのは、とジョセフ・ロージーとの確執でしょう。今回、上映される『エヴァの匂い』なども、契約条項上のファイナルカット(最終編集)権がアキム兄弟側にあるとしたことに気づかなかったジョセフ・ロージーは、自らの編集が適わないのであれば、公開時には、クレジット・タイトルから自らの名前を外すように依頼までしていたそうです。

 映画が作家主義のものであるとしていた「ヌーヴェル・ヴァーグ」の演出家たち、ジャン・リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーの作品がアキム兄弟の作品にならなかったことは当然のことだったと思います。

 ただ、クロード・シャブロルの作品だけは例外であったようで、『二重の鍵』と『気のいい女たち』は、彼らのプロデュースによるものです。
 『いとこ同士』はどうなのでしょうか?もしそうなのであれば、映画のテーマやスタッフからも『いとこ同士』と『太陽がいっぱい』を連作として解釈することも可能であり、ルネ・クレマン&アラン・ドロンと「ヌーヴェル・ヴァーグ」との関係もその観点から新しい解析ができるような気がしています。
二重の鍵
/ ジェネオン エンタテインメント





気のいい女たち [DVD]

パイオニアLDC




いとこ同志
/ アイ・ヴィー・シー





 わたしとしては、今回の『望郷』と『太陽がいっぱい』は、TV放映やレンタル・ビデオで数え切れないほどの鑑賞をしていますし、現在はDVDを所有してますが、映画館での鑑賞は初めての体験です。
 今更なのですが、映画館での映画の鑑賞が真の意味での「映画鑑賞」であることを、今回は痛いほど思い知らされる経験となりました。

 自宅でのDVD等の映画鑑賞でも充分に映画の醍醐味を味あうことができることは間違いのないことではあるのでしょうが、この2作品が、わたしとしての思い入れが強いこともあって、DVD等での映画鑑賞は、映画館での鑑賞と比して、よくて4割から5割程度しか製作者サイドの思いが伝わらないようにまで思ってしまったのです。


 まずは、『望郷』を鑑賞したうえで、特に強く説得力を感じたものを挙げていくと、

 まず、冒頭のカスバという多国籍もしくは無国籍ともいえるエキゾチックな地域の風俗描写をリアルに表現した手法です。
 上空からの空撮で、カスバの全景からズーム・インしていき、そこに存在している街並みや生活する多種多様の人種をドキュメンタルに映し出して行くのです。
 犯罪が巣食うのが当たり前であるような奇怪で不衛生、荒んだ地域であること。犯罪捜査陣のディスカッションから、淡々としたナレーションに移し替えてカスバの映像をカット・バックする様子は、観る側に強烈なインパクトを与えます。

 また、ジャン・ギャバンの扮する逃亡者、犯罪集団のボス的存在も、当時のヒーロー、ジャン・ギャバンの登場シークエンスとして非常にセンセーションです。
 盗み出した宝石の闇鑑定のシークエンスにカットされ、ペペ・ル・モコの手の平に乗っている大粒の真珠のクローズ・アップから、サーチ・アップしてロー・アングルからのジャン・ギャバンのクローズ・アップでペペ・ル・モコの個性を明らかにさせていくのです。ライティングの効果もジャン・ギャバンのメイク・アップも素晴らしい!

 そして、ミレーユ・バランの扮するパリの女ギャビーとペペとの運命の邂逅です。
 彼女の表情、笑み、ソフト・フォーカスのクローズ・アップでの美しさ、取り分け、クロス・カッティンッグでのバランとギャバンの双方のエクストリームの超クローズ・アップ、しかもソフト・フォーカスによって、二人が一瞬にして惹かれ合ったことがわかるのです。

 冒頭からのこれほどの説得力は、自宅でのDVD等での鑑賞では、体感できてもせいぜい5割程度のものだと思います。
 巨匠ジュリアン・デュヴィヴィエを映画館で鑑賞できたことの至福を感じていたこの段階では、列車代金や1時間20分に及ぶ路程におけるロスなど、わたしは全く惜しいとは思わなくなっていました。

 フェルナンド・シャルパンが演ずる裏切り者のレジスが銃殺されるシークエンスまで緊張感の高まりも、ジューク・ボックスの音響効果から生まれてきているものであり、歌手フレールの歌うパリを懐かしむシャンソンを蓄音機と肉声で交互に同時に聞かせる着想などは、どちらも映画がトーキーになって間もない頃の高等テクニックであったのだろうと思います。

 そして、何よりも印象に強く残るのは、ラスト・シークエンスのペペ・ル・モコの絶望的な絶叫と涙、そして、自殺したときのペペ・ル・モコの死の美しさです。
 フランス映画界でのジャン・ギャバンの後継者ともいわれていたアラン・ドロンが、彼の全盛期に「フレンチ・フィルム・ノワール」の多くの作品で、ひたすら主人公の「死」を、美意識として映像化しようとしていた動機が、この『望郷』でのペペ・ル・モコの死の美しさを超越しようとしていたものだったのではないかとも感じたところなのです。
 人間の死がこれほど、はかなく美しいものであることを、絵画的な美しさで表現した映像美の究極であったと思います。
 

 更には、ジャン・ピエール・メルヴィル監督がアラン・ドロンを起用して撮った『サムライ』の構成は、この『望郷』からの影響を少なからず、受けていると感じてしまうのはわたしだけなのでしょうか?
 この2作品がこれほど強く、わたしのなかで確信的に結びついたのは、今回の鑑賞によって初めて想起したことです。


 人物設定にも共通項が多く、

 『望郷』でのリュカ・グリドゥーが扮する刑事スリマンにしても、『サムライ』でフランソワ・ペリエが扮した主任警部にしても、犯罪者を追う執拗で手段を選ばない官憲の傲慢さに刑事としてのキャラクターが強く発揮されています。 

 また、リーヌ・ノロが扮するカスバの女イネスに、『サムライ』でのナタリー・ドロン扮するジャンヌ・ラグランジュを対比させれば、愛する男の、その愛情の対象が自分に対するものではないという共通項があるのです。
 イネスの複雑で哀しい女性としてのアンビバレントは、映画史上に残る素晴らしいキャラクターを生み出す設定であったように思います。彼女のギャビーを見つめる嫉妬と不安、怨恨を表現した表情、ペペ・ル・モコを見つめる悲哀の表情・・・。愛する男性から愛されることのない不幸をこれほど情感豊かに演技したリーヌ・ノロは、本当に素晴らしかったです。
 『サムライ』でのジャンヌのイノセントなジェフ・コステロに対する愛情も、暗黒街に生きる女であるが故に際立ったものとなっていたように思います。ジェフに愛されていなくても、自分が心底、男を愛することのできる幸福を純真に表現していたナタリー・ドロンは、『望郷』から30年以上を経た「女性」の進化だったともいえるのではないでしょうか?

 また、『望郷』でのパリの女ギャビーと、『サムライ』でのカティ・ロジェ扮するヴァレリーへのペペ・ル・モコやジェフ・コステロのひたむきな恋を対比させても、それが相手の心に通じない絶望感、すなわち男にとっての「死」に至るほどの純粋な女性への憧憬、彼らのロマンティズムとフェミニズムはこれほど純化させられたものとして一貫しているのです。

 透徹したノワール映像となっているこの2作品に、わたしはフランス映画史としての普遍の映画潮流を垣間見たように思ったのでした。
 さらには、『望郷』でのギャビーとイネス、『サムライ』でのヴァレリーとジャンヌ、有色の人種か否かの人物設定も時代的進歩として交差しているようにも感じました。


 強奪した宝石を闇鑑定している冒頭シークエンス、主人公ペペ・ル・モコが犯罪集団のボスであること、暗黒街ともいえるカスバを舞台としていること、警察との銃撃戦でのアクション、官憲の捜査プロット、「フレンチ・フィルム・ノワール」の特徴といわれている「友情と裏切り」、中産階級の不幸を背負った「ファム・ファタル」ともいえるギャビーのキャラクター・・・

など、『望郷』を「男のメロドラマ」と一括りにするには、あまりにも深い奥行きがあり、それはむしろ、フランス映画特有のノワール的傾向を象徴的に描き出している印象としてのほうが、わたしには強烈なのです。

 特に、ペペ・ル・モコの弟分であるギルバート・ジル扮するピエロの死、彼のその絶望感の表現などは、ジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』で、リトン(ルネ・ダリー)を死なせてしまったジャン・ギャバンのマックス役へのプロローグとも取れるものであったように想起しました。

 このように考えていくと、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の作品の源流が、通説となっている1940年代のアメリカ・ハリウッドの「フィルム・ノワール」、1950年代の自国においてのジャック・ベッケルやアンリ・ジョルジュ・クルーゾーの「フレンチ・フィルム・ノワール」の作品群のみならず、

 1930年代のジュリアン・デュヴィヴィエやマルセル・カルネの「詩的リアリスム」のノワール的特徴からのロマンティズムにも、直接、間接の大きな影響を受けていたのではないかと、わたしは手前勝手な感慨に深く耽ってしまっていたのです。
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by Tom5k | 2009-02-08 20:51 | サムライ(6) | Trackback(3) | Comments(6)

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Tracked from 寄り道カフェ at 2009-02-09 20:46
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Tracked from テアトル十瑠 at 2009-05-09 18:42
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Commented by viva jiji at 2009-02-09 10:26 x
蠍座の館主になりかわりまして(笑)
足元の非常にお悪い中、遠方より
当館にご来場・ご鑑賞、誠に!誠に!
ありがとうございました。(ぺこり)

拙宅への早速TB・コメント感謝でございます。

しっかし!^^

>双方顔を存じていないので

トムさん、私の記事読んでくれてないわねん(笑)
ライヴ時のマイ顔写真UPしたんですよ~去年末に~^^;
(期間限定でしたのでこの間、引き上げましたが)
トムさん以外のご懇意ブロガーさん達には
とっくに“面通し”(笑)は済んでおりますことよん。♪

「太陽がいっぱい」「望郷」
そして今度は「太陽はひとりぼっち」鑑賞ですね。
存分にお楽しみくださいませ~。

ちなみに
リズに似ているのは外見容貌のことじゃ
ありませんのよ。あのキャラっぽいと盛んに
言うブロガーお仲間さんがいらしたからなの。
まぁ~確かにエッラソーにゴーマニズム発言で
お茶を濁してますのでその辺は似てますが~(爆)
Commented by mchouette at 2009-02-09 21:16
トムさん TBありがとうございました。
そうなんですよ。どれだけDVDで観ても、スクリーンでしか味わえない情感があるんですよね。役者の表情、ちょっとした仕草などからも空気までが滲み出してくる。そう思いません?
逆に最近の公開作品はスクリーンよりもテレビ画面の方が引き締まって再評価というのもしばしば。
用心棒さんも大阪で上映されたシネヌーヴォーにも行かれるそうで、顔を知らないけれど、用心棒さんきてるかしら?って、探したりする。映画鑑賞するのにブログのハンドルネームかいた名札つけたら面白いだろうね(笑) 
>男にとっての「死」に至るほどの純粋な女性への憧憬、彼らのロマンティズムとフェミニズムはこれほど純化させられたものとして一貫しているのです。
難しい映画理論は分かりませんが、「男のメロドラマ」としてここまで昇華させているところが、フランス映画だと思うな。
女性はファム・ファタールとして男の運命を左右する存在ではなく、彼ら男同士の情にすごいロマンを感じるなぁ。
冒頭で描き出されたカスバの街。この映像だけで、ペペ・ル・モコのおかれている内面も描き出されている。
そして、最後は必ずドロンと結びつく。
Commented by mchouette at 2009-02-09 21:16
次回は「太陽がいっぱい」と「太陽はひとりぼっち」ですか?
今ごろは涎をたらしながら記事を書いてられるんでしょうか?
楽しみにしてますね。
そうそう、アキム兄弟は「エヴァ」を最初ゴダールに打診したんですって。それでゴダールはファイナル・カット権がアキム兄弟にあるという契約の条項に驚いたそうです。
ゴダールの「エヴァ」も観たかったなぁ。
Commented by Tom5k at 2009-02-11 14:21
>姐さん、いらっしゃい。
シアター・キノも素敵ですけれど、蠍座も素敵な映画館ですねえ!

>双方顔を存じていないので
実は記憶にはあったんですけれど、お写真のみでは存じていないと同様かと、実際の姐さまは、また異なる風情の方かと・・・。
なかでも、あのケロヨンのおじさまようなコスプレが痛烈であったものですから・・・存じていない前提におきましての記事内容とさせていただいたわけです・・・すみません。

>ちなみにリズに似ているのは外見容貌のことじゃありません・・・ゴーマニズム発言で・・・
いえいえ、姐さんは、たいへんデリケートな方と察しております。かつ映画においては、「感性の敏感さ」故の「切り込みご批判」なのではないでしょうか?
姐さんのブログ記事の人気の秘訣も、日常と映画の結びつきが密接で、かつ素敵だからだと思います。
では、また。
Commented by Tom5k at 2009-02-11 15:31
>シュエットさん、素晴らしかったです。
本当にスクリーンでしか味わえないものがこれほどのものとは・・・。
>最近の公開作品はスクリーンよりもテレビ画面の方が引き締まって再評価というのもしばしば。
これって、本末転倒ですよね。
>映画鑑賞するのにブログのハンドルネームかいた名札・・・
名案ですね。なんだかPCだけでは物足りなくなってきましたよ。
>「男のメロドラマ」
フランス映画史の裂け目が割り切れないのです。メルヴィルは「詩的リアリスム」ではなくて「フィルム・ノワール」で、デュヴィヴィエは「フィルム・ノワール」と関係なくて硬直した旧時代の演出家だなんて・・・。
体系として途切れているとは思えないんですよね。わたしには。
>ファム・ファタールとして男の運命を左右する存在ではなく・・・
確かにそうなのでしょうね。しかしながら、ギャビーがあのあとパリでどのような生活をおくるのかを考えると、良妻賢母となるとは思えず・・・むしろ何だか怖いものを感じます。
Commented by Tom5k at 2009-02-11 15:34
>続き
ギャビーの背景を考えれば、フランス映画という点や舞台設定がアメリカではないという意味で、女性の悲哀を描ききる必要がなかったからなのかな?
冒頭でのカスバのシークエンスは、デュヴィヴィエ監督の演出、編集が極めて優れたものであるの一言ですよ。あの実写シーンは先見だったように思います。
>最後は必ずドロンと結びつく。
自分でもあほかと思いますが、ご勘弁を。だって、素晴らしすぎますから、ドロンは。
>アキム兄弟は「エヴァ」を最初ゴダールに打診・・・ファイナル・カット権がアキム兄弟にある・・・
ほんとにねえ、しかし、ゴダールの作品をどのように編集しなおすんでしょうか?実に困難な作業だと思います。
わたしは、「エヴァの匂い」のノー編集版を観てみたいなあ。ジョセフ・ロージーも脇が甘かったんでしょうね。
それはそうと、ドロンの『高校教師』もフランス公開版ではドロンの配給会社で再編集してまって、バレリオ・スルニーニとトラブったそうです。作家における映画って、誰が作家なのか?
この判断は意外に難しいです。
では、また。