『泥棒を消せ』①~「アラン・ドロン」の原型 家族愛と犯罪者の悲哀~

 ラルフ・ネルソン監督は如何なる演出家であったのでしょうか?
 わたしは、彼が社会の矛盾に正面から向き合って、実直にヒューマニズムを貫いていった立派な演出家であるように思っています。

 当時の共産圏である東ヨーロッパから移住してきた尼僧たちと、アメリカ合衆国においては、現在においても未だ払拭されていない差別待遇を受け続けるアフリカ系アメリカ人の青年が、前向きに未来を信じ、アリゾナ州の砂漠の荒野に教会を建設する苦労を描いた『野のユリ』(1963年)の演出を担当したのがラルフ・ネルソン監督です。
 主演したシドニー・ポワチエは、この『野のユリ』でアフリカ系アメリカ人として史上初めてのアカデミー賞を受賞しています。
野のユリ
シドニー・ポワチエ / / 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン





 このような前向きで強い生き方や、純真無垢な主人公たちの善行ばかりを描くことは、リアリズムの作風からはかけ離れていくのかもしれませんが、ラルフ・ネルソン監督の健康的で人間の可能性を信じきっている人柄が理解できます。
 また、アフリカ系アメリカ人や共産圏から亡命者としての移民を、あえてこのように描くことで、人道的なメッセージを特に強調して発していたのかもしれません。そして、この作品公開の数年後、すでに赤狩りを経験したハリウッドによる「アメリカン・ニューシネマ」の時代の到来を予兆させ、ラルフ・ネルソン監督自身においても、映画人としての先見的で勇敢な試みであったようにも感じられるのです。

 彼はこの作品から2年後の1965年、やはりヨーロッパから移住してきた移民の青年とその家族に焦点を当て、多くの移民たちがアメリカ合衆国で、いかに苦渋を強いられたかという生活の実態を描き、それが犯罪要因のひとつであるところまで突き詰めた「フィルム・ノワール」作品『泥棒を消せ』を制作します。
 1940年代の全盛期となっていた「フィルム・ノワール」作品とは作風が全く異なり、むしろ、それ以前の1930年代に全盛期を迎えていた「ギャングスター映画」の体系や、あるいは1970年代の『ゴッド・ファーザー』などの一連の「マフィア映画」などの前段に位置する作風と解釈できないこともありません。
ゴッドファーザー
マーロン・ブランド / / パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン





 そして、この作品はアラン・ドロンがフランス映画界から渡米した第1作目の作品なのです。
 そういった広い意味では、彼も移民としての心情を十分に理解することができ、リアルな演技に結びつけることが可能であったような気もします。

 早くから独立や革命によって、君主制度を廃止して共和制度を確立したアメリカ合衆国とフランス共和国は、特別な友好関係で結ばれています。エリス島の「自由の女神」像は、その友好の証しとして、フランス政府がアメリカ合衆国の建国100周年を記念して贈呈したものです。
 その「自由の女神」像は世界各国の多くの移民たちが、アメリカ合衆国に入国するときの玄関口、ニューヨーク港に入るたびに必ず目にします。自国の圧政や貧困などから逃れ、新興産業国である自由の国アメリカ合衆国を目指して来た多くの移民にとっての「アメリカン・ドリーム」の出発点にシンボライズされてしまうものだったのでしょう。

 しかし、その「アメリカン・ドリーム」も厳しい競争社会、差別社会であるアメリカ合衆国では、そう簡単に到達できるものではなく、貧困な移民たちにとっては多くの乗り越えなければならない、そして計り知れない苦難がそこから始まっていったことは想像に難くないところです。

 移民たちのほとんどは、多くの孤独や不安、若干の期待、そしてもう後戻りできずにその土地で生きていかなくてはならない悲壮な覚悟、そんなナーバスな心境をもって、この「自由の女神」像を仰ぎ見ていたのではないでしょうか?
 過去の映画でもこういった移民たちを扱った作品は多くありました。わたしが印象的だった作品は、チャーリー・チャップリンの『チャップリンの移民』(1916年)、フランシス・コッポラの『ゴッド・ファーザーPART II』(1974年)などですが、そこでの主人公たちが移民船でニューヨークに着くときのショットが強く記憶に刻まれています。
チャップリン作品集 (5)
チャールズ・チャップリン / / アイ・ヴィー・シー





ゴッドファーザー PART II
アル・パチーノ / / パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン






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『チャップリンの移民』での「自由の女神」像と移民船内から像を仰ぎ見るアイルランド系移民

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『ゴッド・ファーザーPART II』での「自由の女神」像と移民船内から像を仰ぎ見るイタリア系移民

 チャップリンの作品から68年後に制作された『ゴッド・ファーザーPART II』ですが、恐らく、フランシス・コッポラは、『チャップリンの移民』のこのワン・ショットに強烈な印象を受けていたのではないでしょうか?

 1968年、ラルフ・ネルソン監督は、ダニエル・キース原作の『アルジャーノンに花束を』を映画化します(日本公開時の表題は『まごころを君に』)。知的に未発達な主人公チャーリーが、人間強化の生化学実験の被験者となり、IQが異常発達させられるにつれ、正常な社会のすさんだ事実の多くに気づいていくことになり、知的に未発達だった頃には持たなかった疎外感に急激に襲われていくのです。
 結局最後には、チャーリーは元の自分に戻る結論を自らに下します。
 何故、チャーリーは、いわゆる「正常化」した自分を捨てなければならなかったのでしょうか?彼がとった悲しい決断の意味を、現代社会に生きているわれわれは真摯に受け止めるべきなのだと思います。
アルジャーノンに花束を リバースエディション
クリフ・ロバートソン / / 角川映画





 ラルフ・ネルソン監督の作品で最も有名な作品は、『ソルジャー・ブルー』(1970年)でしょう。
 アメリカ開拓時代、先住の原住民であるネイティブ・アメリカンと白人とが対立し、武力で勝る白人がネイティブ・アメリカンを迫害していったのは西部開拓史の暗部のひとつだったわけですが、そのアメリカ騎兵隊のネイティブ・アメリカンへの最も有名な残虐行為が「サンドクリーク事件」です。1864年、アメリカ合衆国コロラド州サンドクリークで、約600人のシャイアン族が騎兵隊「ソルジャー・ブルー」によって虐殺されたのです。

 わたしはこの作品のラスト・シークエンスの大虐殺を正視してしまいました。もう二度とこの作品を鑑賞したいとは思いませんし、ここで、その殺戮シークエンスの詳細を記したいとも思いません。
 モンタージュ、カット・バック、ドリー、パンニング、ティルト、クレーン・・・すべての映画技法もこの作品に限っては(あくまでもこの作品に限ってはですが)「くそ食らえっ!」です。吐き気を催し、すべての思考が停止するシークエンスとしか表記する術がない凄惨を描き出しています。

 そして、西部劇において、野蛮で凶暴なネイティブ・アメリカンが善良な白人を襲撃し、それらの暴力に立ち向かう勇敢で正義感溢れる騎兵隊という類型的で硬直化していたステレオ・タイプの構図をぶち壊したのが、この作品によって描かれたネイティブ・アメリカンと騎兵隊の姿であるのです。
ソルジャー・ブルー
キャンディス・バーゲン / / キングレコード






 ところで、アラン・ドロン主演の「フィルム・ノワール」作品としては、この『泥棒を消せ』(1965年)が妻や子供のために生きる夫、父親としてのアイデンティティを全面に表出させた初めての作品であったように思います。

 彼がこの作品よりも前に主演した「フィルム・ノワール」作品に体系付けられる作品としては、ジャン・ギャバンとの共演作品『地下室のメロディー』(1962年)、過去のジャン・ギャバンが主演していた作品に非常に類似している『さすらいの狼』(1964年)があり、どちらも旧来のフランス映画の伝統を引き継ぐものでした。
 アラン・ドロンは、ハリウッド作品では大きく成功することができず、数年後にヨーロッパに帰還し、主に「フィルム・ノワール」作品によって、国際的な人気俳優としての全盛期を迎えていくわけですが、彼のその後の多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の原型を、この『泥棒を消せ』から感じ取ることができるのです。


 アラン・ドロンが演じる主人公エディはドラッグ・ストアで発生した殺人事件の複数犯人の一人として警察当局に連行されますが、不十分な証拠のために釈放されます。彼には強盗の前歴があり、その事案を担当していたヴァン・ヘフリン扮するヴィドー警部が公務上の傷害を受けており、その発生原因がエディの発砲に起因するものだと、警部本人は思い込んでいるという設定です。
 そして、根深い恨みをヴィドー警部に持たれているエディは、彼の執拗な監視に邪魔されて次々と職場を解雇されてしまいます。
 アン・マーグレットが扮する彼の妻クリスティーンと幼い娘カシー。エディには命にも代え難い大切な家族が存在し、過去の犯罪を自省し更正に向かっていたのですが、ジャック・パランスの演ずる兄ウォルター率いる強盗団に犯罪計画を持ちかけられてしまいます。

 最後にはヴィドー警部の誤解が解けたことが、まだ救いにはなっていますが、せっかく更正しようとしていた主人公が再び犯罪の道に駆り立てられた理由が、本人の資質のみに起因しているなどとは到底思えず、わたしはやり場のない憤りのようなものを多く感じました。

 『チャップリンの移民』でのチャーリーは、移民船内で知り合ったエドナと幸せな結婚を果たしますが、その後の彼らの人生が順風満帆だったと誰が予測できるでしょうか?そして、『ゴッド・ファーザー』のビトー・コルネオーネは、幾多の困難を乗り越え生き抜いていきますが、とうとう犯罪集団の大ボスとして君臨してしまうことになります。

 『泥棒を消せ』のラスト・シークエンスは悲惨です。裏切り者の仲間たちは兄ウォルターを殺害し、娘のカシーを誘拐します。更に娘を助け出そうとしたエディも殺害されてしまうのです。


 アラン・ドロンは、西ドイツのブルジョア令嬢の女優、ロミー・シュナイダーとの世紀の大恋愛を経た後、ナタリー・バルテルミー(後のナタリー・ドロン)という無名の女性と婚姻し、最愛の息子アンソニーが生まれる幸せの絶頂期に渡米しています。

 フランスではジュリアン・デュヴィヴィエやルネ・クレマン、クリスチャン・ジャック、イタリアではルキノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ・アントニオーニという大演出家の作品で磨かれ、鍛え抜かれた俳優とはいえ、彼の人気はアイドルとしてのカリスマ性を基本に据えたものでした。
 いくら若くて二枚目であったとしても、妊娠した配偶者を連れての渡米で、人気の中心となるべき若い女性ファンの心をつかめるわけがありません。アラン・ドロンほど目先の効く人間が、人生を賭ける大冒険ともいえるハリウッド進出で何故それほど脇を甘くしてしまったのか?

 わたしは恐らく、彼の家族への異常ともいえる愛情の執着心が大きな理由のひとつであったような気がしています。
 幼少の頃に両親の離婚、そして貧困な生活を経験し、母親の家庭、父親の家庭のどちらからも、厄介者扱いされて育ったアラン・ドロン。彼の家族愛への憧憬は、健全に標準的な家庭で育った者には到底、理解することなど不可能なほど飢餓的であったに相違ありません。
 そしてそれが、愛する妻と息子を持った夫、父親としての自尊心となり、ハリウッド・デビューという映画ビジネスの戦略よりも勝ってしまった結果のように思うのです。

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家族に囲まれて満足そうなアラン・ドロン
【週間20世紀シネマ館1960年①昭和35年「銀幕の主人公たちアラン・ドロン」 (講談社)より】


 帰仏後の映画スターとしての魅力や映画ビジネスの効用においては、プラスの作用をしていた彼のキャラクターも、ダーティでスキャンダラス、現代的過ぎるビジネス(金銭)感覚など、一般的、日常的にはマイナスのイメージが強かったようです。
 しかしながら、映画においては、『泥棒を消せ』の主人公エディのように常に家族を愛する姿が垣間見えるようにもなり、とうとうそれも魅力のひとつとなっていったようにも思います。
 残念ながら、実生活での彼の家庭は数年後には維持できなくなってしまいますが、ハリウッドでの失敗を年齢とともに自らの魅力に取り込んでいった彼のしたたかさには感心してしまうところです。
 特に、後年強い信頼関係を構築して、共に映画を製作していったジョゼ・ジョヴァンニの関わっている作品に、その傾向が強いような気がします。

『シシリアン』(1969年)では、妹想いの優しい、しかしやくざな兄。
『スコルピオ』(1973年)や『フリック・ストーリー』(1975年)では、愛する女性の優しい婚約者。
『ビッグ・ガン』(1973年)では、家庭のためにマフィアの組織から足を洗う決断をする夫、父親。
『暗黒街のふたり』(1973年)では、父親代わりの保護司の指導や妻の愛情によって、出所後に更正していたにも関わらず、執拗な警察当局に猜疑され、再び犯罪者に回帰せざるを得ない前科者の夫。
ジャン・ギャバンが演じた保護司ジェルマンは彼の父親代わりのようでした。
『ル・ジタン』(1975年)では、少数民族ロマ族の移民であることから社会的差別を受け、犯罪者となってしまった息子、愛する妻の夫、最愛の息子の父親。
『ブーメランのように』(1976年)では、完全に更正し、りっぱな実業家として活躍していたにも関わらず、最愛の息子が犯罪を犯してしまったことから、むかしの仲間に逃亡(スイスへの亡命)の手立てを依頼してしまう元強盗団の父親。
・・・等々。

 彼の「フィルム・ノワール」作品の特徴には、社会から受ける差別や貧困によって虐げられ、不本意にも犯罪者になってしまった者たちの悲哀に満ちたドラマトゥルギーが根幹に据えられています。
 本人がいくら頑張って更正しようとしても、それが容易ではないことなど、多岐に渉る多くの社会矛盾の摘発や現代社会への憤りを描いていったがために、アラン・ドロンが演じたそれらの主人公たちは、アンチ・ヒーロー的なヒーローの観を呈していくことになったのかもしれません。
 このような帰仏後の彼の犯罪者の哀愁における漂着イメージには、「フィルム・ノワール」であるにも関わらず、家族想いで家庭を大切している主人公がよく登場するようになり、更にその実態をクローズ・アップさせることになったのだとも思います。 

「同時代の俳優、たとえばジャン・ルイ・トランティニアンや、ジャン・ポール・ベルモンドらがスターでありながら演技派として確かな評価を受けても、アラン・ドロンという人はやはりもって生まれた華やかさとどこかあざといまでの美男子ぶりが邪魔をしてしまうようだ。本作(映画『私刑警察』のこと)もテーマとしては「黒い警察」や「Z」に通じる硬派社会派ドラマなのだが、皮肉なことにドロンの相変わらずのスター性が、内に込められた現代性を隠してしまっている感がある。」
【引用 『私刑警察』DVD(パイオニアLDC株式会社)ライナー・ノーツ】

 これは、映画『私刑警察』(1988年)の解説からの抜粋によるものですが、アラン・ドロンの出演してきた「フィルム・ノワール」作品の多くに該当し、非常に的を得た彼の評価のように思います。
>・・・内に込められた現代性を隠してしまっている・・・
 しかしながら、作品の魅力とアラン・ドロンの魅力が拮抗して、彼も彼の作品も、すべてが魅力的になっていることも間違いの無い事実であるとは思います。
 アラン・ドロンは単なる映画スターではなく、いや、もちろんスターであるが故の彼独特の個性が根幹に存在していたからこそ、現代的ヒーローと定義付けられる時代のシンボリックな存在であると評される所以があったようにも感じるのです。


 D・W・グリフィスの歴史的傑作である『イントレランス』(1916)の第4話現代編は、近代国家においてのブルジョアジーの偽善行為や傲慢さが、善良な一般大衆の生活苦の原因となり、そのために失業したプロレタリアートが犯罪の道に足を踏み入れ、家族のための更正を主人公の犯罪前歴が阻むというテーマで描かれています。
 そのように考えると、この第4話現代編には、その後のあらゆる「フィルム・ノワール」や、マフィアやギャングを中心に据えた映画作品のエッセンスがすべて映像化されているように思うわけです。
イントレランス
リリアン・ギッシュ / / アイ・ヴィ・シー





 ラルフ・ネルソン監督の演出から社会に対して発せられる鮮烈なメッセージは、社会的弱者に対しての不寛容(イントレランス)な社会への憤りであったに相違ありません。
 そういった意味でも、この『泥棒を消せ』は、D・W・グリフィスの影響を引継いでおり、特にそれは、『ゴッド・ファーザー』シリーズや『俺たちに明日はない』、『イージー・ライダー』などのアメリカン・ニューシネマの鮮烈な前段に位置付けられて然るべき作品であり、アラン・ドロンが後に出演していった「フレンチ・フィルム・ノワール」新体系のテーマ「家族愛と犯罪者の悲哀」にまで、大きな影響を与えたほど優れた新しい「フィルム・ノワール」作品だったのです。
俺たちに明日はない
/ ワーナー・ホーム・ビデオ





イージー★ライダー コレクターズ・エディション
/ ソニー・ピクチャーズエンタテインメント





 この『泥棒を消せ』は、映画史上において、もっと脚光を浴びて然るべき優れた作品であるのかもしれません。

 そして、先住民族を虐げて開拓した自国の歴史実、近代化後に入国してきた移民たちが強いられる生活苦、科学万能の急激で不自然な発達からの人間の疎外状況、それでも夢や希望を捨てない前向きでひた向きな生き方・・・。
 一貫したヒューマニズムを持ったラルフ・ネルソン監督の作品のテーマやメッセージは、アメリカ合衆国史の暗部を直視して描き続けられました。このような人道的な作家主義を貫いた彼の功績は映画史上において、もっと評価されるべきなのです。
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by Tom5k | 2008-07-11 14:21 | 泥棒を消せ(2) | Trackback(5) | Comments(13)

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Tracked from 良い映画を褒める会。 at 2008-07-12 20:10
タイトル : 『イントレランス』(1916)グリフィス監督渾身の作品。..
 完璧な作品です。彼こそが映画のオリジナルです。映画の父と呼ばれるに相応しいグリフィス監督の最高傑作であるばかりではなく、これを見る前と見た後では映画に対しての考え方が変わります。... more
Tracked from Astay☆Astay☆.. at 2008-07-12 23:48
タイトル : 500記事!『泥棒を消せ』&8月BS放送情報
===== 『泥棒を消せ』 Once A Thief (1965・米) ===== オランダのLiaから彼女のお気に入りのテノール歌手さんのDVDと一緒に アラン・ドロン主演の1965年作品'''『泥棒を消せ』'''のDVD-Rもいただきました この作品は 昔日本でもTV放送されたそうでご親切なK様から 野沢那智さんの吹替え版を見せていただいてましたが 今回オランダから届いたのは 先日TCMで放送された英語音声版!...... more
Tracked from プロフェッサー・オカピー.. at 2008-07-13 03:07
タイトル : 映画評「父よ」
☆☆☆★(7点/10点満点中) 2001年フランス映画 監督ジョゼ・ジョヴァンニ ネタバレあり... more
Tracked from 寄り道カフェ at 2008-07-13 10:54
タイトル : 「父よ」
MON PERE IL MA SAUVE LA VIE MY FATHER SAVED MY LIFE 2001年/フランス/115分 22歳の若さで11年間の獄中生活を味わったジョゼ・ジョヴァンニ監督の、自伝的原作を、監督自らがメガホンをとった作品。 作品の最後に「父の孫たち、曾孫たちへ」という献辞があった。 父に対するジョゼ・ジョヴァンニの万感の思いが込められた作品だといえるだろう。けれど、決して思い入れの強い感傷的な作品ではなく、突き放した渋ささえ感じられる。父親役を演じた...... more
Tracked from 寄り道カフェ at 2008-07-13 10:54
タイトル : 「MY FATHER マイ・ファーザー」 
MY FATHER, RUA ALGUEM 5555 2003年/イタリア・ブラジル・ハンガリー/112分 劇場公開時に一度見たきりの作品で、ずっと心に引っ掛かり、ある意味愕然とした思いに囚われた作品でもあった。ミニシアター上映で、その後レンタルショップでも見当たらなかったので、ひっそりと忘れ去られる作品なのかもしれないけれど、描いているテーマは、第二次大戦後の戦後社会に対して鋭く切り込んだ作品として、そして「父と息子」を描き、「人間」にとって普遍的なテーマを描いた作品として、多くの示...... more
Commented by 用心棒 at 2008-07-12 20:10 x
 トムさん、こんばんは!

>グリフィスの影響
 グリフィス・チャップリン・ウェルズ・ラングらに関しては、意識するしないにかかわらず、幼少よりの刷り込みとしての映像感覚というものをほぼすべてのクリエイターが共有していると思います。

 誰の影響も受けていないなどというクリエイターがいるとしたら、その人は勉強していないという大恥を自分から晒しているだけなのだと思っています。

 今度の記事はキューブリックを予定しています。新作もぼちぼち観ていますよ。
 ではまた!
Commented by Astay at 2008-07-12 23:46 x
トムさん
『泥棒を消せ』素晴らしい記事にして下さってありがとうございます<(_ _)>
いつもの様に"完璧"ですね^^v
タイトル通り《家族愛》が強く感じられると私も思ってました
特に私も女ですので
アン=マーグレット扮する母親の娘に対する愛情は
旦那に向けられるものより数段深いのでは・・・と感じずにはいられませんでした
いつもの様にただただ作品を紹介しているだけの記事ですが
私からもTBさせていただきます


Commented at 2008-07-12 23:51 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by Tom5k at 2008-07-13 01:46
>用心棒さん、こんばんは。
>グリフィス・チャップリン・ウェルズ・ラング・・・
確かにそうですね。しかし、それを直接的に、学習とか、教材というと硬くなってしまいますが、そのように意識して自分の作品に活用、またはおもいきって乗り越えようと努力している作家は、少数のような気もします。わたしも新作をあまり観ていないので、映画の現在を正確に把握はしていませんが・・・。

>今度の記事はキューブリック・・・
おおっ、まさに映画未来学ですね。現在においてキューブリックの予想したテクノロジー万能主義の虚無は、彼の予想通りだと思います。キューブリックは、テクノロジー万能の楽天的な技術進歩に、映画においても批判を加えられる数少ない未来的作家であったように思います。
映画の未来は、フィクショナリー、ドラマトゥルギーが終焉し、共感覚のシネマ時代がくると予想していた映画評論家がいましたが、キューブリックは、その先端であったように思います。

わたしは、ヌーヴェル・ヴァーグ左岸派のシネマ・ヴェリテ(映画=真実)のベルトラン・ブリエで更新する予定です。

では、また。
Commented by Tom5k at 2008-07-13 02:06
>Astayさん、いらっしゃい。TB・コメントありがとう。
『泥棒を消せ』、本当にお約束してから、何か月経ってしまったでしょうか。すみませんでした。
でも、時間がかかってもAstayさんから受けさせていただいた影響を、まだまだこれから言葉(記事)にしていきたいと思っています。

ジョゼ・ジョヴァンニとこのハリウッド作品は、本当に何故、関連しているのでしょうかね?
いろいろ、考え記事にも書いたけれど、まだよくわからないです。

>タイトル通り《家族愛》が強く感じられる・・・母親の娘に対する愛情は旦那に向けられるものより・・・
男としてはほんの少し淋しい感想でございますが・・・たしかに・・・。
でも、世の旦那さまのほとんどは、家族のために、ドロンのように必死に社会のなかで闘っているのでご理解を・・・(笑)

それから『シシリアン』のカティ・ロジェは、そんなに有名だったのですか?わたしは、てっきり自分だけの大発見だと思っていましたよ。ははは、何だか恥ずかしいです。

次は、これもAstayさん関連、『真夜中のミラージュ』で更新予定です。
では、また。
Commented by mchouette at 2008-07-13 10:58
トムさん TBありがとうございます。
ちょっと今からファスビンダー特集にいくのでTBだけはって又お重ましますね。
合わせてもってきた「マイ・ファーザー」ナチ戦犯を父に持った息子と父の確執を描いた作品です。
記事帰ってからゆっくり読ませていただきますね。
取り急ぎTBだけ。
Commented by オカピー at 2008-07-13 20:27 x
TB&コメント有難うございました。

「泥棒を消せ」はもっと娯楽的な映画という印象を抱いていたのですが、トムさんの記事によって、すっかり義憤した記憶を思い出しましたよ。ああ、そうだった。
三十うん年前十代半ばで観たのだから仕方ないですかね。

ラルフ・ネルソンは今でいう社会派エンタテインメント的な作品を作る人でしたね。
 ニューシネマが登場する数年前編集権を有している作家は、ヒッチコック、ジョン・フォード、ビリー・ワイルダー、ウィリアム・ワイラー他数名程度だったわけで、ネルソンが有していたはずもなく、この時代の作家の例に洩れず真価を発揮できていないでしょうけど、わさびがちょっと利いた作品を作っていたように思いますね。

何故か続きます。^^;
Commented by オカピー at 2008-07-13 20:29 x
上の日本語に少し変なところがありますが、余り気にされないでください(笑)。

僕が割合好きだった「砦の29人」は、今考えてみると、「ソルジャー・ブルー」のシニカルな批判精神を小出しにしたような、インディアンがテーマのお話でした。
トムさんは“ネイティヴ・アメリカン”と仰っていますが、僕は西部劇を語る時は気分が出ないので、“インディアン”と称しております。しかし、西部劇の放映が難しい時代になりましたね。NHKもさすがに英語の音声は消しませんが、字幕に“インディアン”は一切出てこない。こうした自主規制は、考え方によっては人間が小さくなった証拠で、他者に不寛容な時代になっているなと思いますよ。
Commented by Tom5k at 2008-07-13 21:02
>オカピーさん、こんばんは。
さすが、オカピーさん、ラルフ・ネルソンなどという地味な監督も、ちゃんと押さえていらっしゃる。うれしいですよ。
そうそう、TV放映は30うん年前でした。彼はニューシネマの土台となる作品を創っていたと思います。
>ニューシネマが登場する数年前編集権を有している作家・・・
なるほど、フランスのヌーヴェル・ヴァーグ運動が、ニューシネマへの移行に大きく影響を与えていたんでしょうね。ドロンの渡米も、少し後なら成功していたかもしれません。しかも長男の生誕でその時期は持ち前のハングリースピリットを忘れていたのかもしれません。
>「砦の29人」・・・インディアン・・・
この作品は未見なんですが・・・ネイティヴ・アメリカン、アフリカ系アメリカ人、ロマ族・・・。
確かにピンと来ないかもしれません。
差別用語だって、差別意識が無く豊かに共存していることが前提なら、それほど敏感なものにならないのでしょう。差別や悪意が前提にあるから言葉にも不寛容になるのでしょうね。
わたしも、つい無意識に使うこともあるんですが、結構構敏感になっちゃっています。職業柄もあるんですよ。
では、また。
Commented by mchouette at 2008-07-14 01:19
トムさん、改めて!
ラルフ・ネルソン監督って「野のユjリ」とか「ソルジャー・ブルー」はみたけどはるか記憶の彼方です。
「アルジャーノンに花束を」これ未見なんです。それと「泥棒を消せ」ちょっと観たい気に…
「イントレランス」こちらはまともに見てない。用心棒さんにも以前ご紹介いただいて、どこかでってずっと思っている。どこかでグリフィス特集して欲しい気持ちです。
また刺激される視点を提起されてまたまた観たい作品が増えます。
ジョゼ・ジョヴァンニは映画は一人のスターが必要だとドロンを好んで使われたようですね。
アンソニー君「予告された殺人の記録」(だったかな?)で成人した彼を一度だけ観ましたね。目が濃いくってナタリーの方に似たのかな?ドロンのように誘い込む様な美しさとか華はなかったな。
Commented by Tom5k at 2008-07-14 22:05
>シュエットさん、TB返しありがとう。
ファスビンダー特集どうでした?
ヌーヴェル・ヴァーグの典型女優がジャンヌ・モローだとしたら、ニュージャーマン・シネマは、ファシビンダーの秘蔵っ子のハンナ・シグラではないでしょうか?わたしは学生のとき、アンジェイ・ワイダの『ドイツの恋』を観ましたが、何というか、とにかくシラフでは語れないような感情になりました。
「アルジャーノンに花束を」は、ダニエル・キースの原作が有名ですよね。
>『泥棒を消せ』
これはDVDもビデオも日本では販売されていないので、なかなか観る機会が無いかもしれません。でも、素敵な作品ですよ。当時のエルビス・プレスリーの恋人だったアン・マーグレットも出ていて、プレスリーはドロンと彼女の共演に心中穏やかではなかったそうです。
Commented by Tom5k at 2008-07-14 22:07
>『イントレランス』
これは観ないと、この世に生まれたかいがありません。逆にこれさえ観ればあとは観なくてもいい(笑)、というくらい必見です。
ジョヴァンニ&ドロンは、わたしがドロンにはまった当時のコンビで、彼らの作品『ル・ジタン』によって、わたしのドロン・ファン確定になりました。
アンソニー坊やは、実はわたしと同学年です。父親があれだけの人物だとたいへんですよね。一生、アンソニー・ドロンに成れず、アラン・ドロンの息子でしかないでしょう。気の毒だと思います。
では、また。
Commented at 2008-08-01 00:47 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。