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映画作品から喚起されたこと そして 想い起こされること

by Tom5k

『世にも怪奇な物語 第2話 影を殺した男(William Wilson)』②~ルイ・マルの作家主義~

 【『マル・オン・マル/ルイ・マル、自作を語る』フィリップ・フレンチ著、平井ゆかり訳、キネマ旬報社、1993年】というルイ・マル監督の素晴らしい自伝的著作があります。そこでの彼は、この『世にも怪奇な物語 第二話「影を殺した男(ウィリアム・ウィルソン)」』に関わっても、多くの興味深いエピソードなどを語っています。
マル・オン・マル―ルイ・マル、自作を語る
/ キネマ旬報社





 この著作の構成は、編者であるフィリップ・フレンチからルイ・マルへのインタビュー形式を取っています。ジャン・ポール・ベルモンドを主演にした『パリの大泥棒』の項から、この『影を殺した男(ウィリアム・ウィルソン)』のテーマに遷りますが、これはルイ・マルが作品を制作していった順序の通りです。
パリの大泥棒
/ 紀伊國屋書店





 まず、この作品を手懸ける背景や、きっかけなどが語られていきます。

 1960年代のオムニバス映画の量産がその時代の傾向であったこと、この作品がイタリア資本によって製作された経緯、アラン・ドロンが電話を直接かけて話しをもちかけたというエピソードなど・・・。

 当時の自分が映画作家として行き詰っていたことや、パリから離れてイタリアで仕事が出来ること、実現はしませんでしたが、オーソン・ウェルズが最後のエピソードを担当することが予定されていたこと、などがこの仕事を引き受けた理由だったようですが、

 第一話のロジェ・ヴァデムの実力を買っていなかったこと、ジャン・リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーと異なる自分の映画作りには、オムニバス映画が向かないと思っていたこと、などからこの作品の演出には消極的だったそうです。

 更に彼は、特に次のように語っています。

「(-略-)私は作品全体の一部しか作れず、この映画は私の映画ではないというフラストレーションを感じるだろう。(-中略-)これ(オムニバス映画)はプロデューサーによるこけおどしのような映画であることを認識してほしい。(-中略-)これ(映画『ウィリアム・ウィルソン』)は『私生活』や『クラッカーズ』と同じように、依頼されて作ったもので、私ではなく、プロデューサーの映画だった。違うのは、この場合は一本の映画の三分の一だけだったということだった。」


 インタビューの始まりにおいては、ルイ・マルは、このように自作の評価や作品を手懸けた動機について、あまり芳しい回答はしていませんが、インタビュアーであるフィリップ・フレンチの優れた問いかけに、徐々に作品の本質に触れる回答をしていくことになります。

 彼はシナリオにおいては、可もなく不可もないとしたうえで、
「素晴らしいイタリアの撮影監督(『ルシアンの青春』のトニノ・デリ・コリ)に加え、もうひとりの才能あるイタリア人編集者、フランコ・アルカッリに出会うことができた。(-中略-)アルカッリはこの40分というフィルムの長さとそのテーマから、この映画が観客を不安にし、はらはらさせるものでなければならないことがわかっていたんだ。そこで、私たちは《カット・バック》法で多くのシーンを切り刻むことにした。(-略-)」
ルシアンの青春






 シナリオについてのこだわりがないことや、フィルムの編集における充実にポイントを絞って作品制作に挑んでいたことは、やはり彼が「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動の一端を担っていた作家主義の演出家であることの現れであるとわたしは感じました。

 しかし、作品の編集におけるカッティングが、アンドレ・バザンのあの有名なアンチ・モンタージュ論からの長回しや、ジャン・リュック・ゴダール監督のジャンプ・カットなどとは全く異なり、むしろ映画の初期のエイゼンシュテインのモンタージュ技法に近いものであることは、注目に値すべきだと思います。
 この作品でルイ・マル自身が印象深いと語ったフランコ・アルカッリとの「カット・バック法」のフィルム編集の素晴らしさは作品を鑑賞することをもってすべてを理解することが可能だと思いますが、敢えてわたしが印象深かった箇所を挙げれば、

 まずは、アラン・ドロンが演ずるウィリアム・ウィルソンが走っている冒頭のシークエンスです。
 ウィリアム・ウィルソンから見た大きな古い建物の間の壁面と石畳の小路の主観描写のドリーと、演ずるアラン・ドロンの横顔・正面からのクローズ・アップとが交互にカットされています。それは数カットが連続使用されているショットもあり、同じショットであるにも関わらず、ストップ・モーションのような印象がうまれ、緊張感やスピード感が増幅しているのです。
 それに加えて教会の上方から落ちる男のショットがスローモーションで何度もインサートされ、冒頭の数十秒で観る側は物語に引きつけられてしまいます。
 アラン・ドロンの表情の演技からも、ただごとではない何かが起こっていることが想起させられ、実にセンセーショナルな幕開けです。

 次に、それほど斬新な方法だとは思わないのですが、教会の懺悔室のショットからウィリアム・ウィルソンの悪行の数々が、その都度フラッシュ・バックされる構成も、現在の焦燥している彼の様子などから、過去に何があったのか、そのセンテンスごとに好奇心が刺激されていくのです。

 ショキングなのは、夜の町で捕らえた若い女性を医学校の講義実験室の手術台に緊縛し、生体実験を実施しようとする逸話です。エドガー・アラン・ポーの原作にはありませんが、実に強烈で印象深いシークエンスとなっています。
 特にドッペルゲンガーのウィリアム・ウィルソンが現れるショットは、バック・ライトのシルエットで表現されており、それまでのアラン・ドロンのウィリアム・ウィルソンのサディスティックで陰鬱な雰囲気から急展開し、質の異なる新たな緊張感を生み出す効果を上げています。

 更に、女性のセクシュアルな心理がみごとに表現されており、これも強く印象を残します。ドッペルゲンガーのウィリアム・ウィルソンに助けられたときの女性の行動です。

 彼女はドッペルゲンガーに助けてもらいながら、自分に暴力を振るったアラン・ドロンのウィリアム・ウィルソンの方へ逃げようとするのです。
 どんな形であれ「ウィリアム・ウィルソンに選ばれた」という潜在意識が彼女の中に生まれていたのかもしれません。なまじっかの「正義の味方」なんて、自分が惨めになるだけです。まさに女性の破滅願望が、典型的に表現されていた優れたシークエンスであったように思います。
【参考~武田さんのブログ『終日暖気』の記事「世にも怪奇な物語~影を殺した男~」】

 そしてそれは、フィルムの編集においても、非常にスリリングなのです。

 苦渋と困惑の表情で左右のふたりのウィルソンを見る女性のクローズアップから、悪行を行ったウィルソンの唖然とした表情、実習用のメスが握られた彼の手のショット、叫び声をあげながら裸のままでウィルソンに抱きついていく彼女の衝動、苦痛に歪んだクローズアップからティルト・ダウンして深く傷ついた脇腹の傷口をインサートし、苦悶の表情のクローズアップから、フォーカスをずらして画質を不鮮明(フォーカス・トラジッション)にして、懺悔室のシーンに戻すのです。


 ブリジット・バルドー演ずる女性賭博師とのカードでの勝負の場面も、素晴らしいモンタージュが駆使されています。まるで、今、自分がそこでその勝負に関わっているように臨場感が溢れ出ています。長丁場のギャンブル特有の緊張と怠惰の雰囲気が連続して映し出されていくのです。
 アラン・ドロンとブリジット・バルドーのクローズ・アップは正面・横顔を交互に撮し、カード、コイン、懐中時計、デカンター、グラスに注ぐワイン、負けの支払いの小切手にペンを走らせる手のクローズ・アップ、ローソクの火で付けるハマキ・・・・等々。
 深夜、明け方まで勝負が続く長時間にわたる緊張と惰性の状況が、ほとんどセリフが無いにも関わらず、映画を観る側は体験できてしまうのです。

 とうとう最後に彼女は、ウィリアム・ウィルソンのいかさまで敗者となってしまうわけですが、支払う金銭を使い果たしてしまった彼女にウィルソンが出した要求は、背中を鞭で打つというサディスティックな代償でした。
 アラン・ドロンのクローズ・アップと、鞭打たれて傷だらけになるブリジット・バルドーの背中、そして苦悶の表情の連続ショット。


 その後のウィルソンとドッペルゲンガーとの決闘シーンも鬼気迫るショットの連続でしたが、ドッペルゲンガーが刺殺されるときのシークエンスも凄い迫力でした。

 ドッペルゲンガーを刺殺しようとするウィリアム・ウィルソンの手に握られている短刀、
 叫び声をあげながらドッペルゲンガーに向かって走るウィルソンのクローズ・アップ、
 ドッペルゲンガーの脇腹、
 悲鳴をあげる仮面のアップ、
 ドッペルゲンガーを何度も刺すウィルソンのアップ、
 倒れるドッペルゲンガー、
 虚脱したようなウィルソンのアップ、
 脇腹に刺さった短刀としたたる血、
 茫然とするウィルソンのアップ、
 ドッペルゲンガーの仮面を外そうとするウィルソンを下方遠景からロングで撮すショット、
 ウィルソンからの主観描写で仮面を外し、ドッペルゲンガーの素顔のクローズ・アップ・・・

と、息もつかせぬモンタージュの連続。しかも、このシークエンスにはアラン・ドロンしか登場していないのです。

 そして、あの原作でも有名なドッペルゲンガーの最期の台詞です。

「ウィルソン なぜ私を殺した お前は存在しなくなる 世界は終わりだ 希望も終わりだ 私が死ねば お前も死ぬ」

【君は勝った。僕は降参する。だが、これからは君ももう死人だ。-この世に対し、天国に対し、そして、また希望に対して死人なのだ。君は僕の中にあって生きていたのだ。-その僕の死によって-さあ、この僕の姿、取りも直さず君自身なのだが、よく見るがよい-結局君がいかに完全に自分自身を殺してしまったかをな】
(「ウィリアム・ウィルソン」エドガー・アラン・ポー著 中野好夫訳)
黒猫―他三篇 (1953年) (岩波文庫〈第4949〉)
/ 岩波書店





ポーの黒夢城 (STORY REMIX)
Edgar Allan Poe / / 大栄出版





 エドガー・アラン・ポーの原作では、このセリフが最後に物語りは綴じられているのですが、ルイ・マルには別のこだわりがあったようです。

 フィリップ・フレンチのインタビューでは、いよいよ本質的な質問をルイ・マルに浴びせていきます。

「しかし、この『影を殺した男(ウィリアム・ウィルソン)』はすばらしい物語ですね。」

 アラン・ドロンに対する演技指導に苦労したことを話した後にルイ・マルは、
「(-略-)私は実はこのストーリーの核である《分身》というテーマにとても興味をもっていたんだ。(-中略-)私は自分の問題に全く気づいていなかった。」

 更にフィリップ・フレンチは、ルイ・マルが映画で繰り返している「自殺」という命題にこだわって、エドガー・アラン・ポーの原作よりもはっきりと描いていることに着目していること、を問いかけにします。

「ストーリーは素晴らしかった。しかし、私はかなり妙な気分だった。とても憂鬱で暗く、ほとんど自殺したいような気分だった。」
「(-略-)わたしは無意識のうちに思っていたよりかなり個人的な要素をこの作品に盛り込んでいた。このウィリアム・ウィルソンというキャラクターは『鬼火』の主人公の延長線にある自己喪失の危機に陥っている男であり、私はこれを撮影した時の気分でオペラのような劇的なイメージに作り上げていた。」
鬼火
モーリス・ロネ / / 紀伊國屋書店





 ルイ・マル自身すら認めていなかった。そして、気づこうとしていなかったこの作品の「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動の作家主義の要素がこの作品に十分に反映されていることを、このように引き出せるインタビュアーとしての資質は素晴らしいものだと思います。

 この作品に、古い伝統的な「詩(心理)的レアリスム」のシナリオ重視の発想ではなく、フィルム編集の技術レベルの高さと、ルイ・マル自らの経験からの命題にこだわった作品であることが確認できたときに、わたしが感じたことは、

一見、単純に旧時代に回帰しているように感ずるこの作品も、演出家が作家として制作していった「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動の所産であるという再認識であったのです。


【参考・引用】
『マル・オン・マル/ルイ・マル、自作を語る』フィリップ・フレンチ著、平井ゆかり訳、キネマ旬報社、1993年
『ウィリアム・ウィルソン』エドガー・アラン・ポー著 中野好夫訳、岩波文庫
by Tom5k | 2008-05-18 23:39 | 世にも怪奇な物語(3) | Trackback(11) | Comments(23)
Tracked from 良い映画を褒める会。 at 2008-05-20 20:13
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Tracked from 寄り道カフェ at 2008-06-19 16:27
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Tracked from online medic.. at 2023-01-06 07:43
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Tracked from medicine onl.. at 2023-01-06 23:31
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Tracked from online medic.. at 2023-01-09 01:27
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『世にも怪奇な物語 第2話 影を殺した男(William Wilson)』②~ルイ・マルの作家主義~ : 時代の情景 ~アラン・ドロンについて~... more
Commented by 用心棒 at 2008-05-20 20:10 x
 こんばんは!
 トムさんらしさがよく出ていて、ほっとしました。より多くの映画ファンに向けたメッセージのように受け取りました。
 『影を殺した男』は未見ですが、見たくなりましたよ!ではまた!
Commented by Tom5k at 2008-05-20 21:18
>用心棒さん、どうも。
>より多くの映画ファンに・・・
この作品の制作当時、旧時代を徹底して批判したヌーヴェル・ヴァーグも、その意味を失いかけていた時代だったようで、ゴダールもマルも自分を見失いかけていた時代だったようです。
そんな状況を考えると、つい旧時代側でなく、新時代ヌーヴェル・ヴァーグ側に立ってしまったのです。
これは自己矛盾なんですが、ヌーヴェルヴァーグの以前以後、彼らの功績は何なのかを考えてしまうところです。
単純に考えれば、映画自体の視野が拡がったということなのでしょうけれどねえ。
観る側もどちら側ということなく、広く映画を感受すべきと考えます。

用心棒さんにも、この作品、是非ご覧になっていただきたいです。そして、ハリウッド・ホラーとの相違や共通点など、お聞きしてみたいです。
では、また。
Commented by 用心棒 at 2008-05-20 22:07 x
 再び今晩は!
 フェデリコ・フェリーニ作品の方ばかりに気をとられてしまい、DVDもビデオもこの作品を飛ばしてみていました。
 近いうちに観ますね!ではまた!
Commented by Tom5k at 2008-05-20 23:49
>おおっ!用心棒さんっ!
このDVD等をご覧にはなっていたのですねっ!
>フェデリコ・フェリーニ作品の方ばかりに気をとられてしまい・・・
おっしゃるとおり、この三作目が最もセンセーショナリティに富んだ作風ではあります。
しかし、ヴァデム、マルの前二作の古典的題材の古くて新しい作風もまた、たまりませんよお。
フェリーニの耽美がモダニズムであるならば、ヴァデムとマルはヌーヴェル・ヴァーグを脱皮したポスト・モダニズムと、わたしは定義したいっ!
ところで、マルの『鬼火』を再見しようと思いレンタルしました(また、今日も見れなかったんですが)。
>ルイ・マルとブレッソン
>「アメリ」と「地下鉄のザジ」やトリュフォーとの関連
などオカピーさんも興味深いことをおっしゃっていましたよ。
映画の遺伝子はどこでどう連動しあっているのでしょうか?つい紐解きたくなってしまいます。
では、また。
Commented by chouchou at 2008-05-21 00:23 x
Tom5k様、こんばんは。更新待っておりました!
相変わらず奥が深くて凄いですね♪
>観る側もどちら側ということなく、広く映画を感受すべきと考えます。
というお言葉にとても共鳴しております。私もそのように思います。
「鬼火」もとっても大好きな映画ですので、これからも楽しく拝読させていただきます。今後とも、宜しくお願い致します!
Commented by 武田 at 2008-05-21 01:48 x
トムさま、こんばんは♪
やっとお邪魔することができました。
>むしろ映画の初期のエイゼンシュテインのモンタージュ技法に近いもの・・
ここからの、奥深い考察と「鬼火」の主人公につながるという監督のインタビューまで、(きたきたきた!トムさまの講義!)と、わくわくしてしまいました。さらに、「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動の所産であるとの喝破。
うーん、すごい。ほんま勉強になります。スリリングで。
このインタビュアーの方もすごいですねえ。
Commented by Astay at 2008-05-21 14:58 x
トムさん
復帰おめでとうございます<(_ _)>
どうされていたのか心配してました・・・
もうブログは辞められてしまったのかな
直にメールを差し上げようかな、、などと思い巡らしてましたが
素晴らしい形でリ・ニューアルされたので嬉しく思っております

『世にも怪奇な物語』からスタートですね
またまた読み応え十分な素晴らしい文章で堪能させていただきました

何から何までいたらない私ですが
これからもまたヨロシクお願いいたします
Commented by Tom5k at 2008-05-21 21:07
>chouchouさん、いらっしゃい。
いい映画は何か役割を持っているような気がしています。自分の何かに役立てたいと思ってしまいます。
『鬼火』は、かなり以前に観たんですが、ルイ・マルの著作を読んで、この『ウィリアム・ウィルソン』との連作とも言えそうだということから、再度、興味がわき上がってきました。

また、こちらからも寄らせていただきます。chouchouさんも、ちょくちょく、寄ってください。よろしくお願いしますね。
では、また。
Commented by Tom5k at 2008-05-21 21:18
>武田さん、こんばんは。
また、わたしの我流の記事など(ほんとに我流なので気をつけて読んでくださいね)、読んでいただいて、うれしいです。
トリュフォーなどは、旧フランス映画に回帰したと、ゴダールに批判されましたが、「ヌーヴェル・ヴァーグ」が古い映画に近づいたことは、批判すべきではなくて、とても良いことだとわたしは思っています。
この「ウィリアム・ウィルソン」もそういう印象だったんです。
素晴らしいものが見直されることは必要だと思いますし、視野が広がって新たな魅力も加わると思います。
そして、それは古いものとの確執があったからこその魅力なのだと思うのです。
『マル・オン・マル/ルイ・マル、自作を語る』は、インタビュー形式の自伝なので、引き込まれてしまいました。とても素敵な構成でしたよ。
では、またね。
Commented by Tom5k at 2008-05-21 21:29
>Astayさん、来てくれてありがとう。
お世話になりっぱなし、かつ不義理で、申しわけありません。
>復帰・・・心配・・・もうブログは辞められて・・・
いやあ、ほんとにすみませんでした。
そして、みなさんに、ご心配していただいて・・・でも、だから、とてもうれしい気持ちにもなります。
>『世にも怪奇な物語』
わたしの愛するドロン短編映画、記念すべき初めてドロンを知った作品ですから・・・。書きたいことが多いんですよ。ポーの原作も大好きです。

わたしはいつも、Astayさんのお優しいコメントやご配慮に、ずっと感謝をしています。
では、また。
Commented by 豆酢 at 2008-05-26 10:39 x
Tomさん、ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。

…そして…

もうもうもうもう!心配していたんですようー・°・(ノД`)・°・!!

いやもう本気で、ブログからは距離を置かれたのかと思っていました。今までTomさんが精魂込めてお書きになった記事を再読しながら、大変心細い心持でありましたね。
でもこうして、幅広い関心と知識を軸にされたTomさんらしい記事を読むことが出来、私は幸せです。

若き日のドロンの無垢が眩しい、「若者のすべて」を観ました。しかしその美しい無垢はあまりに痛々しくて、容易に感想をまとめられません…(_ _。)。改めて、彼の複雑な魅力を再認識した次第です。
Commented by FROST at 2008-05-26 12:58 x
TB&コメントありがとうございました。遅ればせながら、お伺いしました。復帰おめでとうございます^^。
1960年代のフランス映画、というか、はっきり言ってヌーヴェル・ヴァーグは私にとって鬼門でして、「ヌーヴェル・ヴァーグの良し悪しを判断するには、旧時代のフランス映画や全盛期のハリウッド映画などをきちんと観ておかないといけない」なんて勝手に決め付けているいる始末です。ということで、まだまだヌーヴェル・ヴァーグにたどり着くのは先のこと。
しかし、このウィリアム・ウィルソンは人間の二面性とかそれゆえの愚かしさとか、かなり(個人的に)興味深いテーマを取り上げていて、しかもドラマチックで面白そうですね。かなり興味をそそられております。いい映画をご紹介いただきました^^。観てみますね。
Commented by Tom5k at 2008-05-26 22:16
>豆酢さん、いらっしゃいませ。
ご心配おかけして、すみませんでした。わたしに関わっては、便りのないことは元気な証拠だったかも!
いつか、記事更新は、と思っていたのですけど、なかなかきっかけが、つかめず・・・。ほんと日常に余裕というか何というかブログ精神がつかめず・・・。
>精魂込めてお書きになった記事・・・
なんだか恥ずかしいですね。すいすい書きたいんすけど、ついこわばった文章になってしまいます。でも再読して、心配していただいてうれしかったです。
それにしても、姐さん一家というか、オカピー族というか、用心棒組というか・・・、サークルっぽくなってきてますね。
みなさん、意識的なものだと思わないんですが、「お気に入り(ブックマーク)」が日々増加し、それぞれ同じ方のブログ名が増えているように思います。不思議だなあ。でも、とても良いことだと思います。
名付けてヌーヴェル・ニュー・バーグ・シネマなんてどうでしょう・・・姐さまと私は、そのエコール・ド・ドサンコなどというのは?
Commented by Tom5k at 2008-05-26 22:17
>続き
>「若者のすべて」を観ました・・・
おおっ!!観ましたか。あれは、心が灰になりますよ。感想をまとめられないお気持ちを察します。わたしは、まず経済理論で理解しました。そして、それはヴィスコンティが共産主義者であったことを踏まえ、ドロンを何故使ったのかという順に理解していったのです。
>複雑な魅力を再認識した次第です。
わたしが、初めて観たのは大学2年か3年のとき、西武のミニシアターでのリバイバルだったと記憶しています。
ドロンの新作「危険なささやき」も、そして「山猫」も同じ時期だったので、かなり混乱したなあ。
凄い俳優ですよね。ほんとに。
でも、わたしは、今現在は、ロージー演出のドロンが一番好きかな?(変わるんですけどね、しょっちゅう)
では、また
Commented by オショーネシー at 2008-05-26 22:36 x
トムさん、ご無沙汰しておりました。
長い充電期間を経て、おお「世にも奇妙な物語」のアラン・ドロン様ですね。
この映画3部作で、ロジェ・バディムのパートはただ当時の奥様ジェーン・フォンダをいかにエロティックに撮るかに絞られていると思います。
最後のパートのフェリーニは、いかに主人公が破滅に向かっていくかに焦点が当てられていると思います。
さて、ルイ・マルのパートてすが、若干フェリーニのパートに似ていますね。主人公が破滅的な道へと向かっていく…。
しかしそこはアラン・ドロン、通り一遍な演技をしないのが良い。彼はとても残忍ですね。そしてもう一人の自分を恐れている。その二面性を彼はとても上手く演じていたと思います。
ルイ・マル監督と確執があったなんて思えない素晴らしい演技だったと思います。(もっとも彼はこういう複雑な役を得意としていますね)
Commented by Tom5k at 2008-05-26 22:46
>おおっ!FROSTさん、わざわざおいでいただきありがとうございます。
てっきり、忘れられたか、無視されたか、と動揺していたところに、TBとコメント、うれしかったですよ。
>1960年代のフランス映画・・・ヌーヴェル・ヴァーグは私にとって鬼門・・・
いや、確かに。最近シュエットさんという方と相互リンクさせていただいたのですが、彼女の嗜好は60年以後のようですので、わたしもいろいろ勉強させていただこうかなと思っているところです。
>ヌーヴェル・ヴァーグの良し悪しを判断するには、旧時代・・・観ておかないといけない
この順序も正しいように思います。ただ、映画史的には古いソ連映画、50年代イタリア映画、ヌーヴェル・バーグ、70年代ハリウッド・西ドイツ映画の順のようで、からめて戦前からのフランス映画の順を辿るらしいです。
わたしは、しちめんどくさいんで、アラン・ドロン映画史のみで理解しようとしています。
Commented by Tom5k at 2008-05-26 22:46
>続き
ロメールやシャブロル、レネなんかドロンと全く結びついていないんですけど、マル、メルヴィル、ゴダール、ヴァルダとデュヴィヴィエ、クレマン、クリスチャン・ジャックの新旧の巨匠作品に出ていることに加え、ヴィスコンティ、アントニオーニに出ていて、フォルカー・シュレンドルフやジョセフ・ロージーにも出ています。
ハリウッドですら、ラルフ・ネルソンとウォルター・ミリッシュプロダクションですよ。
映画史そのものです。
>ウィリアム・ウィルソン
これ、FROSTさんや用心棒さんに、特に観て欲しいです。
ちょっと、スターが出過ぎてて本質から眼がそれがちになるところもあるけど、それぞれ優れた作品ばかりだと思いますよ。
では、また。
Commented by Tom5k at 2008-05-26 23:03
>オショーネシーさんっ!
君の瞳に乾杯!
昨日のこと?そんなむかしのことは忘れたよ。
明日?そんな先のことを考えてどうする?
な~んちゃって。実は明日の仕事、憂鬱なんですよお。
ということで、最近、フィルム・ノワール系どうです?
ブログに少しお邪魔させていただきましたが、最近は西部劇系のようですね。
男性的嗜好は変わっておらず、素敵だな、と思っておりました(まさかオショーネシーさん、おやじギャル(少し古かったでしょうか?)ではないでしょうね?)。
>「世にも怪奇な物語」のアラン・ドロン・・・
そうなんですよ。
バディム監督は、ジェーンにべた惚れだったんでしょうね。でも、彼女の小悪魔的ないじわるくて、残酷な部分もしっかり撮られているように思いました。
フェリーニは、変態ですよね。気味悪いですよ。らしいといえばらしいですけど、あのテレンス・スタンプもそれにマッチしてますよね。
Commented by Tom5k at 2008-05-26 23:03
>続き
>ルイ・マルのパート・・・主人公が破滅的な道へと・・・
このアラン・ドロンもなかなか良いでしょ。
>残忍・・・もう一人の自分を恐れて・・・二面性・・・上手く演じて・・・
ルイ・マル監督と確執があったからなのかもしれませんね。仲良く撮ってたら、駄作になってたかも。ふたりのウィルソンの他、映画そのものとしても、いろんな要素が含まれていて、それが溢れ出ているように、わたしには見えるんですよ。だから、この作品大好きなんです。
では、また。
Commented by FROST at 2008-05-27 01:35 x
>てっきり、忘れられたか、無視されたか、と動揺
まことに申し訳ないですm(_ _)m。うちのブログでお返ししていたはずのコメントは登録されておらず、トムさんちの記事をプリントアウトして一生懸命読んでる間に二日もたってしまいました(爆死)。
挙句の果てにどうでもいいようなコメントを差し上げたにもかかわらず丁寧なアドバイスいただきましてありがとうございます^^。
そうそう、ソ連映画ですよね。古いのというとエイゼンシュテインばっかりになってしまいますが、『アレクサンドル・ネフスキー』と『イワン雷帝』のDVDを入手したので近いうちに観てみようと思います。ヴァシリー・ジュラヴリョフの『宇宙飛行』なんて1930年代のSFもあるな。。
Commented by Tom5k at 2008-05-28 00:04
>FROSTさん、お気になさらないでくださいね。
それに、わたしのように思いつきの記事を読んでいただいて光栄ですよ。
>アドバイス・・・
共有できるものは共有したいという気持ちだけでして。これも気にせずマイペースでいってください。
>『アレクサンドル・ネフスキー』と『イワン雷帝』・・・『宇宙飛行』
うおおっ、すごいですね。『アレクサンドル・ネフスキー』は、エイゼンシュテインの有音映画論の基礎となっている聴覚と視覚との照応の理論化で映画音楽の作曲のについて言及しており、
プロコフィエフの作曲での「氷上の戦いの前夜のシークエンス」での12ショットの有音部分の分析は、たいへん興味深いところです。
『死刑台のエレベーター』以降のシネ・ジャズなどもこの理論に遡ると何か発見がありそうです。
いろいろ小難しいことを書きましたが、純粋に面白そうだなあ、また観てみたいなあ、という気持ちです。
では、また。
Commented by mchouette at 2008-06-19 16:46
こんにちは。@会社からお邪魔します(笑)
自分勝手な思い込みですが、「さよなら子供たち」みていてずっと引っ掛かっていて、やっとこの作品も記事に出来ました。面白いもので、ブログ始める前に感動した映画などを随時再見して記事にと思っても、言葉にして留め置きたい作品と、別にいいやって思うものに分かれるの面白いですよね。いつ観ても新たに感動して留め置きたいなと思うものは90年代以前ですね。本作もその一つ。この記事あげてから、紹介されている『マル・オン・マル/ルイ・マル、自作を語る』が急に読みたくなりました。私、思いっきりずれているかもしれないかな?(笑) 今月はアマゾンで結構買ったからまた来月にでも…ですい。
Commented by Tom5k at 2008-06-19 22:03
>シュエットさん、こんばんは。
「さよなら子供たち」は、「マル・オン・マル/ルイ・マル、自作を語る」で、自伝的作品であり、思い入れの強い作品だと語っています。そういえば「ウィリアム・ウィルソン」の前半部で、はじめて少年時代の自分の「生活」を描いたと言っていました。
「ルシアン」は(わたしは未見ですが)、多くの矛盾を抱えた複雑なキャラクターを描きたかったそうです。そして、その事実をリアルに描いたのだそうです。
いろいろと興味深いですね。
>言葉にして留め置きたい作品と、別にいいやって思うものに・・・
そうかもしれませんね。映画も情熱を傾けて創った制作サイドと一生懸命、鑑賞する間に対話のようなものが発生したときが大切なのだと思います。
>思いっきりずれているかもしれない・・・
シュエットさんのブログ記事はそんなことがないと思いますけど、もしずれていても、それでもいいようにも思います。
わたしは映画を観て、そこに描かれている以外のことが想像できてこそ、理想の鑑賞者だと思うんですよね。たとえ、それがずれていても、見えないものをみる力が映画鑑賞の課題だとも思っています。
では、また。
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