映画作品から喚起されたこと  そして想起したこと
by Tom5k
メイド・イン・カッシーナ展 2009.4.24FRi.-6.7SUN. 森アーツセンターギャラリー 六本木ヒルズ森タワー52F
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『パリの灯は遠く』①~実存主義的テーマのリアリズム~
 映画『パリの灯は遠く』を監督したジョセフ・ロージーは、コミュニストであったがために、1950年代の「ハリウッド赤狩り」によって、アメリカ国外に追放されてしまったハリウッド映画関係者のひとりでした。本人自らもアメリカ人としてのナショナリストではなく、ヨーロッパでの非ハリウッド的作品を創作する演出家の道を模索していくことになります。
 これは、非常に困難を伴う選択肢だったようです。国外への追放の履歴を隠すために、やむを得ず四つもの氏名を使用しなければならなかった経緯は、『リング』で有名な中田秀夫が製作・監督したドキュメンタリー『ジョセフ・ロージー 四つの名を持つ男』に克明に描かれています。
追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー
ミシェル シマン Michel Ciment 中田 秀夫 志水 賢 / 日本テレビ放送網





 製作および主演のアラン・ドロンにおいては、多くの傑作において、一人の人間から分裂した人格や、二人の人物を一人で演じることなどを最も得意としてきました。この特徴は彼の俳優としての生命線ともいえる個性と才能であると言ってもいいと思います。

『太陽がいっぱい』での貧困な青年トムのブルジョアの友人フィリップへの自己投影、
『生きる歓び』は、育児施設出身の青年ユリスが、アナーキストの英雄カンポサントになりすましてのドタバタコメディ、
『山猫』では、理想に燃える若き共和派から、打算的な王党派政治家への転向を演じ、
『黒いチューリップ』は、個性の異なる兄弟が、各々義賊「黒いチューリップ」に扮する一人二役です。
『ウィリアム・ウィルソン』では、ドッペルゲンガーそのものまで演じ、
『悪魔のようなあなた』は、外人部隊から帰還した記憶喪失者ピエール・ラグランジュが自分が大富豪ジョルジュ・カンポか否かで苦悩するサスペンス、
娯楽大作『アラン・ドロンのゾロ』は、主人公ドンディエゴが旧友との信頼関係から、己れを隠した無能な総督と、正義の義賊「ゾロ」の二役という古典の映画化でした。
得意のフィルム・ノワール『ル・ジタン』でさえ、仲間や子ども達への優しさ、敵対するギャング達への残虐な復讐と、両極端な個性の演技を発揮していました。

 そして、この『パリの灯は遠く』の主人公のロベール・クライン役でも、ドッペルゲンガーともいえる同姓同名のユダヤ人、ロベール・クラインへの執着を一世一代の名演技で表現しました。

 彼がマルコヴィッチ事件での重要参考人として、官憲の猜疑と横暴を体験したことで、したたかに俳優としての資質を拡げていたことも、この『パリの灯は遠く』の結実に役立つ要素だったのかもしれません。

 自分がユダヤ人に間違えられているという焦燥と不安、時間を追うにつれ、それは逆にユダヤ人クラインを追い求めていく異常な執着に代わっていきます。アラン・ドロン演ずるロベール・クラインがユダヤ人のクラインの魅力に取り憑かれていく過程、特に、映画の後半でようやくユダヤ人クライン本人と電話で話せたときの表情は、わたしには狂った人間の表情にしか見えませんでした。このショットでのアラン・ドロンの演技は、巨匠ジョセフ・ロージーの演出からすら、逸脱してしまっていたように感じてしまいます。
 アラン・ドロンは、ルネ・クレマン、ルキノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ・アントニオーニ等の巨匠たちからの徹底的な指導によって、「ヌーヴェル・ヴァーグ」よりも以前の映画潮流であった「リアリズム」映画の伝統を受け継いできた俳優です。
 巨匠たちは人間の生活者としての苦悩や喜び、挫折や絶望、悲哀、情熱、そして狂気などを意識的に表現して、観る側の共感を勝ち得ていきました。アラン・ドロンは、そういったリアリズムを表現することのできる才能と個性、実力を培った伝統的な古典映画の俳優といえるかもしれません。

 ジョセフ・ロージーとアラン・ドロンの二人は過去すでに、『暗殺者のメロディ』でユダヤ系の革命家レオン・トロツキーを描いた前衛映画の秀作を創作しています。
 映画においての素晴らしい才能や個性を持ち合わせている演出家と俳優兼プロデューサーが優れたテーマで、かつ再コンビで取り組んだ結果が歴史的な名作であることは、必然とまで言えるように思います。

 また、脇を固める助演俳優たちも素晴らしく、ルキノ・ヴィスコンティ監督の初期の作品『郵便配達は二度ベルを鳴らす』や『夏の嵐』に出演していたマッシモ・ジロッティが出演しています。彼は「ネオ・リアリズモ」の創始者とも言えるロベルト・ロッセリーニ監督や、ミケランジェロ・アントニオーニ監督、ピエトロ・ジェルミ監督などの巨匠達の作品に出演し、ベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラスト・タンゴ・イン・パリ』ではマーロン・ブランドとも共演しています。彼は、「リアリズム」作品に出演し続けた俳優です。

 そして、ジュリエット・ベルト。彼女はジャン・リュック・ゴダール監督の『中国女』、『ウィークエンド』(ミレーユ・ダルク主演)、『彼女について私が知っている二、三の事柄』に出演しており、「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品に出演し続けた女優です。
郵便配達は二度ベルを鳴らす
/ アイ・ヴィー・シー





彼女について私が知っている二、三の事柄
/ ハピネット・ピクチャーズ




 『パリの灯は遠く』のDVD(東北新社)ライナーノーツによれば、この作品のオリジナル・シナリオはフランツ・カフカ『審判』と『出口なし』にヒントを得たと解説されています。『出口なし』はカフカではなく、恐らく実存主義哲学者のジャン・ポール・サルトルの戯曲のそれであろうと思われます。

 前述した出演者の外にも、1963年のオーソン・ウェルズ監督・脚本・助演、アンソニー・パーキンス主演の『審判』(フランツ・カフカ原作)に出演していたジャンヌ・モロー、シュザンヌ・フロン、ミシェル・ロンダールが非常に重要な役柄で出演しています。
 このキャスティングは偶然とは思えません。しかも、当時のアラン・ドロンの恋人ロミー・シュナイダーまでが出演しているのです(彼女はジョセフ・ロージー監督の『暗殺者のメロディ』でもアラン・ドロンと共演しています)。
 『パリの灯は遠く』の題材のモティ-フが『審判』であることは、このようなキャスティングへの反映によっても推察することができます。
 また、わたしなどは、『審判』にロミー・シュナイダーが出演していたことが、アラン・ドロンの作品創作への意欲に少なからず影響を与えていたのではないかと、勝手な想像までしてしまいます。

審判
/ アイ・ヴィー・シー





 ジャンヌ・モロー、シュザンヌ・フロン、マッシモ・ジロッティ、ジュリエット・ベルト、ミシェル・ロンダールという素晴らしいキャスティングに加え、
 シナリオにおいても、ジッロ・ポンテコルヴォ監督の『アルジェの戦い』、『ケマダの戦い』や、コスタ・ガブラス監督の『戒厳令』等の社会派の先鋭的な作品に携わってきたフランコ・ソリナスを起用しています。すでに彼は『ゼロ地帯』でナチス・ドイツの非道をシナリオにしている経験を持ってました。

 セザール賞では、作品賞、監督賞とともに、美術賞を受賞した作品ですが、何と驚くべき事にマルセル・カルネ監督の歴史的傑作『天井桟敷の人々』や、同監督の『愛人ジュリエット』の美術を担当したアレクサンドル・トローネルが選定されています。彼は、オーソン・ウェルズ監督の『オセロー』やビリー・ワイルダー監督の『情婦』、マルク・アレグレ監督の『はだかの王様』や『チャタレー夫人の恋人』などの素晴らしい歴史的実績を持った映画美術家なのです。

 わたしは、このキャストやスタッフの編制の特徴は、カフカ的な意味での実存主義的な抽象テーマを、古典的なリアリズム作品に反映させ、完成させるためだったように思っています。

アルジェの戦い
/ アイ・ヴィー・シー



ケマダの戦い
/ エスピーオー





戒厳令
/ ビデオメーカー



天井桟敷の人々
/ ジェネオン エンタテインメント





愛人ジュリエット
/ ビデオメーカー



オセロ
/ ビデオメーカー



情婦
/ 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン





チャタレイ夫人の恋人【字幕版】
/ アイ・ヴィー・シー




 このようなテーマをモティーフにした映画史的傑作『パリの灯は遠く』のテーマは非常に重く、当然のことながら観る側に、その課題を訴えかけてくることになります。
 恐らく作品の背後には、理想を目指して苦悩してきた良識的なインテリジェンス、そして長年に渉って一貫性を貫いてきたことによる自尊心など、素晴らしいスタッフとキャストの生き方が充分に反映されているからなのでしょう。

 映画および小説の『審判』では、カフカの他の作品と同様に、主人公ヨーゼフ・Kが、実にまわりくどい苦悩と不安に挽きづり回されて、とうとう最後には処刑されてしまうという悲惨を描いています。しかも、その最期まで、Kは罰則(ここでいう審判)を受けていることすら気づかず、その罪も自覚できずにいたのです。いや、知らされなかったという言い方のほうが的を得ているかもしれません。
 そして、彼がその苦悩と不安から逃げれば逃げるほど、今度は罰則自体の内実が鮮明となっていく構成です。つまり処罰を回避するつもりであるのに、逃げること自体が罰を受け続けていくことになってしまうわけです。
 最後にはとうとう、死刑執行人の手によって処刑されてしまいますが、それは初めから明白であり、単にそれが引き伸ばされていたに過ぎなかったわけです。人の人生というものを隠喩して、他の何かの存在によって自らの死が執行され続けられているとの解釈がカフカ的なテーマの解釈として妥当なのかもしれません。
 実に実存主義的で哲学的なテーマのようですが、ここで最も重要とすべきはカフカ自身がユダヤ人であったことです。


【じゃ、これが地獄なのか。こうだとは思わなかった・・・・二人ともおぼえているだろう。硫黄の匂い、火あぶり台、焼き網・・・・とんだお笑い草だ。焼き網なんか要るものか。地獄とは他人のことだ。】
『出口なし』ジャン・ポール・サルトル 著、 伊吹 武彦 訳(昭和27年人文書院刊)より

 戯曲『出口なし』の初演は1944年5月パリのヴュー・コロンビエ座にて、パリ解放四か月前のまだナチスドイツの検閲を受けての上演であったそうです。占領下のパリはまさに出口なしの状態が長く続き、窒息寸前の状況にあったと思われます。
 テーマにおいても、時代的背景においてもジョセフ・ロージーとアラン・ドロンがここから何を汲み取ったかは想像に難くありません。

 思えば、サルトルは、1947年に『ユダヤ人問題についての考察(Refelexions sur la question juive)』においてフランス人におけるユダヤ人観を発表しています。
 彼は、ユダヤ人の性格がユダヤ人問題を惹き起こしているのではなく、反対に反ユダヤ主義者が、ユダヤ人を作り上げたのだといっています。
 時代において、彼は自らが社会の改革者としてのアンガジュマン=社会的・政治的立場を鮮明にして、それを貫いた思想家です。そして、この考察においても最後に次のように締めくくっています。
【フランスにおいて、更には、世界全体において、ユダヤ人がひとりでも自分の生命の危険を感じるようなことがある限り、フランス人も、ひとりとして安全ではないのである。】
『ユダヤ人』(J.P.サルトル 著、安堂 信也 訳(1956年 岩波新書刊)) 

 『パリの灯は遠く』の結末では、列車に乗り込んだクラインの呆然自失の様子と、その後ろに彼に絵画を値切られて買い付けられたユダヤ人が映し出され、作品冒頭の彼らのやりとりのセリフの回想がヴォイス・オーヴァーとして挿入されるラストシークエンスでフェード・アウトとなります。
 主人公のアラン・ドロン演ずるロベール・クラインは、ユダヤ人の足下を見て商売する悪徳の美術商であったことにより、無意識の罪悪感(=超自我)をユダヤ人クラインへの執着に変質させたのかもしれません。彼はその結果、二重身(=ドッペルゲンガー)を追い求めざるを得なかったのだと、作品を観る側は理解できます。
 わたしも、このユダヤ人クラインに対するセクシュアルともいえる執着が、ロベール・クラインのユダヤ人に対する無意識の罪悪感から始まったのだとは思っています。

 しかしわたしは、実は彼自身が現在の自分の生き方にすでに納得できなくなってしまっていたのではないのだろうか?と考えました。何度も出てくる鏡に映し出される自分の姿。本来の自分、本質的な意味での自分自身とは何者なのか?今の自分は本当の自分ではない、本当の自分はユダヤ人クラインなのかもしれない、自分の分身(本当の自分)に巡り会いたいという大きな願望が、彼を異常で執拗な追跡者に変質させてしまったように見えたのです。
 俗物である自己自身に気づき、自身の欠落部分を自覚してしまった人間は、無意識に別の自分を追い求めてしまうのではないでしょうか?

 ユダヤ人クラインに対して、死を厭わずに彼を追い、収容所行きの列車へ乗り込んでしまった彼の選択は、不安や恐怖から追われ続けるカフカ的人間の苦悩と似て非なのです。
 己の欲する本当の自分、すなわちユダヤ人クラインに対する憧憬が生み出してしまったものは、人間の狂気によるエクスタシーへの希求であったのでしょう。
 そして、わたしは、彼のように本来の自己を確立しようとすることが、不安や恐怖という生きるための防衛規制を破壊することと同義であり、そのような人間が社会で生きることは不可能に近いことであることを、この作品から理解することができました。

 更に、ジョセフ・ロージー監督とアラン・ドロンは、ヨーロッパ人への警告とも受け取れるこの作品の創作を通して、何か新しい突破口を模索しようとしていたのだとも思います。セクシャリティや狂気という屈折した手段ではあっても、イスラエルでいわれているユダヤ人の厳しい定義に少しでも歩み寄ろうとしたのではないでしょうか?
 イスラエル人は「ユダヤ人」の定義を「自分をユダヤ人と思い、他人からユダヤ人として扱われている者」としているそうです。ここでは、ユダヤ人を理解するにはユダヤ人になるしかないという実にシビアな厳しさを感じ取ることが出来ます。

 ジョセフ・ロージー監督とアラン・ドロン
 彼らの人生においては、社会の多くの不条理との闘いの経験を経て、その含蓄からの想像力により、ユダヤ人の問題が切実なヨーロッパ人の問題だと考えることに至った「血の滲むようなヒューマニズム」が、しかし静かに貫徹しているのではないでしょうか。

 だからこそ、この作品は絶賛に値すると思うのです。
by Tom5k | 2005-08-13 21:29 | パリの灯は遠く(4) | Trackback(5) | Comments(8)
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Commented by エセスタンダリアン at 2005-12-07 08:01 x
こんばんは~。コメントありがとうございました。
Tomさんの説明を読ませていただいて、なるほどと改めて気づかされた点が多かったです。
アラン・ドロン演じる人物の二面性についての指摘、まさにその通りだと思います。
そう言えば、『悪魔のようなあなた』にも当てはまりますね。

アラン・ドロン出演作はあまり好みでない僕ですが、観方を変えるいい機会になりました。
Commented by Tom5k at 2005-12-10 00:01
エスタンさん、来てくれてありがとう。わたしは、たいへんうれしいです。
アラン・ドロンは面白い俳優ですよ。以外に、いろんなジャンルの作品に出演しています。なかにはお気に入りもあるかもしれないよ。
『悪魔のようなあなた』は彼のかくれた名作だと、わたしは思っています。地味な作品なのによく知っていますね。
Commented by ヘンリー at 2005-12-18 15:08 x
どうもです。
ここ数週間、仕事に忙殺されていましたが、一昨日で何とか一段落しました。コメント遅れたことご容赦下さい。
文字数制限にひっかかってしまうようですので、新たな記事という形にさせていただきました。
今後ともよろしくお願いいたしますです。ではまた。
Commented by Tom5k at 2005-12-18 18:40
TB・コメントとわざわざの新記事の掲載ありがとうございます。
あとで、ゆっくり読ませていただき、コメントさせていただきます。
師走は何かと気ぜわしいですね。お仕事もお疲れ様でした。
今後も『パリの灯は遠く』のような熱い映画に巡り会えればいいなあと思っております。
では、また。
Commented by 武田 at 2006-10-19 02:02 x
トムさま、初めまして、こんばんは。夜分に恐れ入ります。
TBとコメントをいただき、ありがとうございました。実は、自分の記事を書いた際に、他の方のレビューを読みたいと思って検索していくうちに、こちらにお邪魔させていただいておりました。でもかなり敷居が高く、難しくて・・。いただいたコメントで、なるほどそんな見方が!と目からウロコが落ちました。理解できるまで何度もお邪魔させてくださいませ。
作品が只者でないのと同時に、アラン・ドロンもまた随分と興味深い人だったのだなあ!と驚いております。(恥ずかしいのですけどTBさせていただきました)
Commented by Tom5k at 2006-10-20 20:57
>武田さん、ようこそ。
素敵なレビュー読まさせていただきました。
>面白かったー。見応えのある社会派ドラマの佳作でした。
とのことですが、まさにその一言につきるのではないでしょうか。
武田さんは、オーソン・ウェルズの『審判』、ヒッチコックの『間違われた男』は御覧になっていますか?
どちらも似たテーマで素晴らしい作品ですが、この作品はその2作品をとっくに陵駕しています(とわたしは思っています)。別格といっていいのではないでしょうか?わたしは、アラン・ドロンの代表作としては、もしかしたら『太陽がいっぱい』より好きかも知れません。
『暗殺者のメロディ』も凄い作品ですが、アラン・ドロンらしいのはこちらです。
また、いらしてくださいね。
Commented by 用心棒 at 2008-07-06 20:38 x
 トムさん、こんばんは!
 60年代にフェリーニやヴィスコンティなどが多くの傑作を生み出したイタリア映画界ですが、そのなかでも好き嫌いは別にして、『アルジェの戦い』がベスト3に入るのは間違いないと思います。

 しかし『パリは燃えているか』のあとに、マルローやポンテコルヴォを観ると、なにが正義なのかなどは無意味で、どちら側の立場に立つかだけが問題なのかと気づき、呆然となります。善か悪かなどという単純な二元論ではなく、どちらがましかという比較論に過ぎないのがよく分かります。

 話は変わりますが、イタリア人製作の、血がドバドバ出てくる西部劇はマカロニ・ウェスタンと呼ばれていますし、イタリア人って、こういう直接的な表現が好きなんでしょうかね?
 ではまた!
Commented by Tom5k at 2008-07-06 22:03
>用心棒さん
>『アルジェの戦い』がベスト3に・・・
おっしゃるとおりでしょうね。でも、このようにリアリズムが極致までくると、気持ちにゆとりが持てなくなりますよ。
>『パリは燃えているか』のあとに、マルローやポンテコルヴォ・・・
わたしは、最近「ソルジャー・ブルー」を観ましたが、あの残虐な騎兵隊の兵士達が、家庭では良き夫や父であり、歴史上で規定されたような犯罪者集団ではないことを問題視すべきなのでしょうね。
ヒューマニズムの宗教がつくり出した中世暗黒時代、レジスタンスや自由・平等・平和、そして独立をキャッチフレーズとする共和主義が民族の独立を阻む植民地問題、労働者を解放するための社会主義国家が、収容所列島と化す。
人類の歴史は矛盾だらけです。

イタリア作品のグロテスク表現は、あまりに残酷すぎて、わたしは好きではありません。
60年代後半から70年代にかけての時代背景もあるんでしょうね。この時代のハリウッド作品も凄いですもの。でも、今の時代のように虚構と現実が混乱することなく、残虐性がリアルであることからの意味深いメッセージも多かったんではないでしょうか?
では、また。
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