『ブーメランのように』②~「フレンチ・フィルム・ノワール」作品で描かれる父性~

 『ブーメランのように』のもう一つのテーマは「父性」を描いていることでしょう。
 「フィルム・ノワール」作品としては、これは「典型的」なテーマであり、その悲哀を描いた多くの傑作が生み出されているように思います。

 思い出されるのは、ビリー・ワイルダーが監督し、彼とレイモンド・チャンドラーが脚色した『深夜の告白』(1944年)です。
深夜の告白【字幕版】
/ パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン




「この映画の構図を決めている象徴領域と想像領域の間の亀裂は、キイズという人物において体現され、したがって、キイズは権威的な父親と、寛容な理想化された父親との、両方の役割を演じなければならない。映画の物語を解決と終結へと導いていくのは、キイズのような人間なのだ。権威的な父親として、キイズは法を代表しなければならず、ネフを警察に引き渡さねばならない。だが、理想化された父親としては、ナルシステイックにネフと互いに同化するという、抑圧されたホモセクシャリティの側面も残される。」
【引用~『フィルム・ノワールの女たち~性的支配をめぐる争闘』E・アン・カプラン著、水田宗子訳、田畑書店】

フィルム・ノワールの女たち―性的支配をめぐる争闘

田畑書店



 男は愛する女性と巡り会った結果、結ばれた愛の結晶としての子供が生まれ幸福な家庭が営まれていくように思います。家族の一員としての父親となって、それが男として生きる一般的な「幸福」と呼ばれるもののひとつなのかもしれません。
 しかし、その自然な営みがどうしてもうまくいかなくなったとき、その男の人生は多かれ少なかれ「フィルム・ノワール」になってしまうのではないでしょうか?

 アラン・ドロンの出演した「フレンチ・フィルム・ノワール」作品では、彼の敬愛する大スター、ジャン・ギャバンとバート・ランカスターが、彼に対しての父性を演じました。
 『地下室のメロディー』では頼りになる銀行強盗の親分、『暗黒街のふたり』では不遇の自分を最後まで勇気づけ、暖かく見守る犯罪更正の保護士をジャン・ギャバンが演じ、『スコルピオ』では、自分の信念を曲げることの出来なかった東側のスパイをバート・ランカスターが演じました。

 アラン・ドロン自らの父性を描いた「フィルム・ノワール」作品としては、『泥棒を消せ』での可愛い娘を愛する若い父親、『ビッグ・ガン』では愛する妻と息子を殺害された悲劇的な殺し屋、『ル・ジタン』では社会差別から社会に反逆し続けるロマ族の犯罪者、彼の最も愛していたのは幼い息子でした。
 明るいホームドラマとは相反するノワール系の作品によって、父親としての悲哀を描いた作品が多かったように思います。

 ジョゼ・ジョヴァンニ監督の作品で、彼の遺作となってしまった『父よ』については、素敵なブログ記事があります。
 オカピーさんのブログ『プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]』の記事 映画評「父よ」 です。

父よ
ブリュノ・クレメール / / ジーダス





 この『ブーメランのように』でも、ジョゼ・ジョヴァンニ監督の演出により、アラン・ドロンは演技者とは思えないリアリティの強い存在となっています。愛する息子の父親としての憤り、本質的な苛立ちや絶望を体現しているのです。
 犯罪者である過去を隠して、血の滲むような苦しみを経て、現在の地位を築いたアラン・ドロン演ずるジャック・バドキン。それもこれもすべて愛する息子のためであったのに、ルイ・ジュリアン演ずる息子エディは犯罪者であった過去のジャック・バドキンに、父親という存在への憧憬を抱いてしまうのです。父親として最も還りたくないところであったにも関わらず・・・。

 アラン・ドロンが演じた父親像は、とうとう息子への愛情に対しての「絶望」を描くところまで行き着いたと言えるのではないでしょうか?

 それが最もよく表現された印象深いシークエンスがあります。

>バトキン
親父が自慢か?

>エディ
うん とても

 バドキンの溺愛する息子エディは、典型的な「バカ息子」といえましょう。
 そして、まさにそのとき、「カミナリオヤジ」としての彼の怒りが一気に爆発することになるのです。

>バトキン
エディ・・・
私は20年かかって今の生活を築いてきた
最初の10年は暗い過去を負っていたからひどい苦労をした
憶い出すよ
20歳前にポーランドから移住して炭坑で働いたんだ
お前にはそんな思いをさせたくなかった
せめて人並みの明るいところで暮らせる人間にと
自分が昔そうじゃなかったからな・・・
私は懲りたんだ
ボスなんて呼ばれるより
本当の権力が欲しかった 何故か分かるか?
お前のためだ
バトキンの名を誇りにしてほしかったからだ
留置場の中や前科者たちの間でじゃない
間違えるな
私はお前のために働いてきた
お前を楽させるためにがんばってきたんだ
その結果がこれか?
息子がヤクをやって警官を殺し
親父の過去を讃美する
お前にだけはきれいなからだでいてほしかったんだ・・・私のかわりに
今となってはもう遅いが
忘れるんじゃないぞ
いいな


 わたしには、アラン・ドロン=ジャック・バドキンの絶望の深さを推して図ることができるような気がします。

 アラン・ドロンは俳優・スター、そして映画のプロデューサーを始め、実業家として成功したブルジョアジーです。しかし彼の元来の生育歴は貧しく、学歴もない下層の市民でした。実際の彼も自身の演じた『太陽がいっぱい』のトム・リプリーや、『悪魔のようなあなた』のピエール・ラグランジュであったのです。
 そして、今では「映画産業」始め多くの事業の成功者となり、実生活ではフィリップ・グリンリーフやジョルジュ・カンポに成り切ることができ、立派な生き方で生活できるようになりましたが、消せない過去の亡霊に、いつまでも取り憑かれてもいたのかもしれません。
 その象徴的とも言えるキャラクターが、このジャック・バドキンだったのではないでしょうか?

 更に、この『ブーメランのように』がリアリスティックの極みであると思うのは、後年、ドロンの愛息アントニーが、この作品のエディと同様に刑事訴訟の対象者となってしまったからなのです(殺人を犯して死刑囚となったわけではありませんが)。
 また、アラン・ファビアン・ドロンも2011年に、スイスの自宅で、親不在の際に開催したパーティで少女に重傷を負わせる発砲事件を起こしてしまいました。
 これは、リアリズム作品というよりアラン・ドロンのドキュメントであるかのような作品であり、しかも、それは未来までをもノン・フィクションで描いているかのようです。

 彼の父性は、過去と現在、未来までをも、「引き裂かれた自身の人生」に投影されたものであったのでしょう。

 もしかしたら、それが「父親」というものの標準的で典型的な在り方なのかもしれません。

 想えば、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の左岸派に属するアニエス・ヴァルダ監督は、映画100年の記念映画である『百一夜』で、ルキノ・ヴィスコンティ監督やミケランジェロ・アントニオーニ監督の「ネオ・リアリズモ」作品から離れてしまったアラン・ドロンをシビアに批判したシークエンスを映画史の一部としてシンボリックに描いていたように思えます。

 しかし、この『ブーメランのように』では経営する運送会社の現場、工場の現業職の労働者たちと経営者バドキンとのシチュエーションが非常に印象深いものなのです。

>現業職の労働者
工場は噂を信じませんよ

>バドキン
噂ではない 本当のことなんだ

>現業職の労働者
関係ありませんよ

>バトキン
コーヒーをありがとう 君のことばもうれしかった・・・

【引用~セリフは「キネマ旬報1976年12月下旬号、『分析採録 ブーメランのように』(分析採録 大久保賢一)より】

 わたしは、アニエス・ヴァルダ監督に、このシーンを再度、観てもらい、『百一夜』の編集を更正して欲しいとまで思ってしまいます。美しい人間同士の信頼関係が、このような下層の工場労働者たちとしか創り出すことができないことを、成功者アラン・ドロンはちゃんと知っているのです。

 おのれの美しい生き様は、このシークエンスに集約されていたはずなのに、愛息にその真実を伝えきれなかった父親・・・としての自分・・・。
 残念でなりません。


 そして、親子の逃亡が残酷にも不成功となるラスト・シーンのフリーズ・ショットに想い被さってしまうクラシック作品の数々・・・。
 アラン・ドロンが最も敬愛した父性、ジャン・ギャバン。わたしには、この作品が彼の主演した「詩(心理)的レアリズム」の代表作品群へのオマージュとも感じられ、特に映画史的傑作であるジャン・ルノワール監督の『大いなる幻影』のラスト・シーンを、悲劇のペシミズムとして描いたようにも思えるのです。
大いなる幻影
/ ジェネオン エンタテインメント






 そして、リアリズム作品の名女優シュザンヌ・フロンに拒絶され、「詩(心理)的レアリスム」の名助演俳優シャルル・バネルが、彼に対しての父性を演じたことも・・・。
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by Tom5k | 2007-02-18 22:32 | ブーメランのように(4) | Trackback(3) | Comments(8)

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Tracked from 良い映画を褒める会。 at 2007-02-20 22:19
タイトル : 『深夜の告白』(1944)名匠ビリー・ワイルダーの、そし..
 ビリー・ワイルダー監督の三作目の監督作品にして、フィルム・ノワール作品の中でもベストの部類に入る傑作がこの『深夜の告白』です。脚本にレイモンド・チャンドラーを迎え、音楽には次の作品『失われた週末』でも起用するミクロス・ローザが参加しています。... more
Tracked from 寄り道カフェ at 2009-04-22 23:07
タイトル : 深夜の告白
「殺人がスイカズラみたいな匂いがするなんて知らなかった。」 DOUBLE INDEMNITY 1944年/アメリカ/106分 監督: ビリー・ワイルダー 原作: ジェームズ・M・ケイン 脚本: ビリー・ワイルダー/レイモンド・チャンドラー 撮影: ジョン・サイツ 音楽: ミクロス・ローザ 出演: フレッド・マクマレイ/バーバラ・スタンウィック/エドワード・G・ロビンソン/ポーター・ホール/ジーン・ヘザー/トム・パワーズ ジェームズ・M・ケインのミステリ小説『倍額保険』...... more
Tracked from 寄り道カフェ at 2009-04-23 10:14
タイトル : 「父よ」
MON PERE IL MA SAUVE LA VIE MY FATHER SAVED MY LIFE 2001年/フランス/115分 22歳の若さで11年間の獄中生活を味わったジョゼ・ジョヴァンニ監督の、自伝的原作を、監督自らがメガホンをとった作品。 作品の最後に「父の孫たち、曾孫たちへ」という献辞があった。 父に対するジョゼ・ジョヴァンニの万感の思いが込められた作品だといえるだろう。けれど、決して思い入れの強い感傷的な作品ではなく、突き放した渋ささえ感じられる。父親役を演じた...... more
Commented by オカピー at 2007-02-19 15:22 x
私の拙い映画評をご紹介戴き、恐縮しております。TBしようと思いましたが、勿論その必要はないのでありました(笑)。

トムさんのようにテーマを絞って展開するブログも面白いなあと思います。いつも拝読しながら感心してしまいますね。何よりアラン・ドロンに限りながらこれだけの膨大な記事をお書きになれるとは...私には到底無理です。
昔はあれほどTV放映されていたドロン主演作も最近は一部の有名作を除くと殆ど放映されないですね。特に70年代以降は厳しくなっています(泣)。私もそろそろドロンの作品を取り上げないといけない時期になりましたが、時間が空きません。無理に空けろって? は、はいっ。

「大いなる幻影」と言えば、フランソワ・トリュフォーがペルモンド主演に作った「暗くなるまでこの恋を」でルノワールと「大いなる幻影」にオマージュを捧げていました。勿論ご覧になっていますよね? 一般的に同作は余り評判が良くない作品ですが、私は色々と楽しめました。ヒッチコックの「めまい」「サイコ」のオマージュもありますし。
Commented by Tom5k at 2007-02-19 21:58
>オカピーさん、こんばんは。
たった今、用心棒さんへのコメントに熱くなっているところです。

>テーマを絞って展開するブログ
オカピーさんのような方に面白いとおっしゃっていただいて、それだけでもブログを更新している意味があるってもんです。

>アラン・ドロンに限りながら
これはもう、ジュリアン・デュヴィヴィエ、ルネ・クレマン、クリスチャン・ジャック、アラン・カヴァリエ、ジャン・ピエール・メルヴィル・・・フランス映画史そのものに加えてルキノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ・アントニオーニ・・・イタリアのネオ・リアリズモからジョセフ・ロージーやヌーヴェル・ヴァーグ・・・おまけにパトリス・ルコントで節目を創っていながらジョニー・トーでフィルム・ノワールですから。著作にしたら何巻になることか・・・。ドロンの作品は映画史そのものと解しております。しかも正確な評価は皆無(ちと大袈裟かな)・・・。憤りすら感じますよ。
Commented by Tom5k at 2007-02-19 23:00
>続き
権威ある評論家の正確なドロン評論、いつかどこかでと、期待しているところではありますが・・・。

>あれほどTV放映されていたドロン主演作
「スター、アラン・ドロン」の特徴に関しては、種々考えてしまうところもありますが、概ね(いや、これは充分に)正確な「映画スター俳優史」として位置づけられているように思います。こちらは細々とはですが熱心なファンの方々もいらっしゃるようですし。でも、日常にあったものが歴史になっちゃっうことは淋しい限りですね。
この『ブーメランのように』は中学生のときに試写会上映で観ました。クラスの友人が、わたしのために試写会上映の抽選に応募してくれて運良く2枚当選。2人で観てきました。思い出すなあ~。

>「大いなる幻影」・・トリュフォー・・オマージュ
ラストシーンのドヌーヴとベルモンドの国境越えシーンですよね。ルノワールの魅力も興味の尽きないところであります。

では、また。
Commented by momomarsha at 2007-02-20 22:51 x
トム様
こんばんは。
アラン・ドロン映画に限らず、深くふかく掘り下げた記事を書いていらっしゃるトム様のブログに・・ひたすら軽~い私がお邪魔するのもいかがなものか???と思いましたが。。。(苦笑)
コメント・TBありがとうございました。恐縮です~。。
興味深く記事を拝見致しました。ジャン・ギャバンとバート・ランカスターのドロンに対する父性。。。なるほどこれらの作品も私は大好きです。
「ブーメランのように」「ビック・ガン」「ル・ジタン」・・・これらの父親像はどれも哀しいほど美しい・・これぞ???子供を愛する父親像だと感じております(;_;)
ある人にとってはおろかな父親像にしか感じないかもしれませんが・・・。
もうちょっとまともな内容を書いたあかつき?にはTBさせて頂きま~す・・・・。
Commented by Tom5k at 2007-02-20 23:12
あらあ、 momomarshaさん、いらっしゃいませ。
ブーメランのように→ドロンがお父さん→momomarshaさんのブログ
というような連想から、お邪魔させていただきました。
>ある人にとってはおろかな父親像
おお!!鋭い意見ですね。
冷静に考えれば、おばかさんな親子かもね。父親なら子供を正しい方向に導かなきゃね。きっと、母親の役割も兼ねちゃっっていたからなんでしょう。
映画はあんまりにも悲しくて・・・。
では、また。
Commented by mchouette at 2009-04-22 23:11
トムさん 遅まきながらビリー・ワイルダー監督の本作にようやくたどり着きました。
「父性」がテーマ!
じっくり記事読ませていただきますね。
じっくり読まないと頭が回らないもんで。
まずは感想感想だけの記事ですがTBだけで貼らせていただいて、明日もう一度コメント入れに参ります。
Commented by mchouette at 2009-04-24 14:26
歴史において、男というものは、社会的存在としての「私」と、個人としての「僕」の2つの自我に引き裂かれて生きてきた存在でもあるでしょうね。「父性」というところまでは読み取れなかったけれど、そんな男の悲劇性を感じました。こんな男の悲劇性は、こんなラストシーンは、女の私にとっては嫉妬を感じるくらい。
「父よ」で何も言わずに会場を後にするブリュノ・クレメールには泣けました。
再鑑賞では男二人に視点をおいて観ると、また違ったドラマが見えてくるでしょうね。
また新しい視点いただきました。ありがとう。
「父よ」Pさまと比べたら拙い記事ですが、こちらもTBさせてくださいね。
Commented by Tom5k at 2009-04-25 19:54
>シュエットさん、こんにちは。
父性、これは、本当は母子より重要ではないのかもしれません。しかしながら、特に男の子と父親の関係においては、母親の入る余地がどうしても少なくなってしまうことも、人としての健全な成長に必要なことなんだと思います。
父親が息子を思う想いも極めて強いものです。「ゴッド・ファーザー」でビトーが初めマフィアのボスを殺害したときに幼いマイケルを抱きしめるシーンがありますが、女の子であれば、あのようなシーンにはならないのではないでしょうか?
E・アン・カプランは規範と愛情に引き裂かれる父親像の矛盾を指摘していますが、「フィルム・ノワール」の体系においてはこれは非常に興味深い指摘だと思います。
では、早速そちらにお邪魔します。