『ブーメランのように』①~貧困・犯罪・差別からの逃亡と挫折~

 『ブーメランのように』は、アラン・ドロン主演の作品としても、ジョゼ・ジョヴァンニ監督の作品としても地味で話題の少なかった作品であるかもしれません。
 しかしこの作品は、数え切れないほど過去の多くの映画で描かれてきた「貧困、もしくは犯罪や差別(特に犯罪の前科)からの逃亡、差別に追われる恐怖」などの「典型的」なテーマがに如実に象徴されている作品であるようにも思えます。
 それは、人間の生活や生きる意味を考えさせられることから、ソビエト映画芸術のリアリズムが目指していた「典型的な環境における典型的な人間を描け」というエンゲルスの芸術論を思い出させます。

 ジョゼ・ジョヴァンニ監督の生々しいリアリズムと、アラン・ドロンのスター性、そして社会矛盾に対する告発を稀代のスター・システムから描き出していった作品であることも、やはり「典型的」であることの特徴と言えますし、彼らの『暗黒街のふたり』や『ル・ジタン』と較べても、それが最も顕著に表現されている作品であるような気がします。

 アラン・ドロンの代表作品の多くにいつも現れてくるのは、異なる自分を追い求める分裂した人格、そして引き裂かれた人格です。
 彼はデビュー当時、フランスの暴力団の代表ともいえるメメ・ゲリーニと懇意であったと言われていました。1968年には、自分のボディガードのステファン・マルコビッチ殺害容疑の重要参考人とされ、警察に召還されたことなどの経験も持っています。

 この作品のアラン・ドロンが演ずる主人公ジャック・バトキンも、明らかに自らの生き方を引き裂いて、現在の地位と名声、所得を築き上げた人物です。彼は過去に犯罪を犯した人物であり、現在の実業家としての立場とは全く異なる、社会への反逆者だった過去を持っているのです。

 多くのアラン・ドロン主演の作品が、この主人公ジャック・バトキンの過去とオーバー・ラップしてしまうことに驚いてしまいます。いつものことながら、ジャック・バトキンがアラン・ドロンなのか、アラン・ドロンがジャック・バトキンなのか、ドロンの演じているのは彼自身であるかのように、映画の主人公と完全に同一化しています。

 わたしは、ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』(1960年)が、この作品の原型のひとつとして挙げられるのではないかとも思っています?
 もし、原作どおりにトム・リプリーがフィリップになりすました完全犯罪を成功させたなら、将来このジャック・バトキンになっていたのかもしれません。

 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『悪魔のようなあなた』(1967年)も同様です。
 アルジェリア戦線に従軍し、帰仏した後は酒と女とバクチにしか興味のない素性のしれないチンピラである主人公ピエール・ラグランジュは過去の記憶を失っており、犯罪者に仕立てられようと仕組まれる被害者でした。しかし、自分がピエール・ラグランジュである記憶を取り戻し、ジョルジュ・カンポが殺害されていたことを知ったとき、彼は金と女に眼がくらみ、大富豪ジョルジュ・カンポになりすまそうとしました。
「わたしがジョルジュ・カンポです」
 警察に対して公然と偽証した途端でした。証拠物件が発見されて、全てが明るみに出てしまいます。
 両作品とも貧困な無産階級からの脱出劇が、あっという間に失敗してしまった作品でしたが、もし成功していれば、どちらの主人公も、この『ブーメランのように』のジャック・バトキンになっていたのではないでしょうか?

 逆にその成功例として、ジャック・ドレー監督の『太陽が知っている』(1968年)が挙げられます。
 主人公ジャン・ポールは恋人のマリアンヌの元愛人ハリーを殺害し、警察に対して平然と居直って完全犯罪を遂成し遂げます。
 これもジャック・バトキンの過去とダブりますが、ただ、わたしとしては、あのヒステリックな前妻のジャネットの過去をロミー・シュナイダー演じたマリアンヌに結びつけることは避けたい気持ちです。


 主人公ジャック・バドキンは、ルイ・ジュリアン演ずる溺愛する息子エディの罪を軽く出来ないことの大きな要因が、自分の過去の犯罪歴にあるにも関わらず、彼を救うために現在の成功した実業家としての地位を棄て、表題「ブーメランのように」のとおり、再び犯罪者に回帰してしまいます。
 アラン・ドロンは、このような過去の犯罪を充分に反省して、更正している人間に対する差別的な待遇を批判的なテーマにしている作品を既に撮っていました。それらは過去からの呪縛から逃れきれない悲劇的なテーマを描いたものでした。

 初めてのハリウッドでの「フィルム・ノワール」作品であるジャック・バール製作、ラルフ・ネルソン監督の『泥棒を消せ』(1964年)では、殺人事件の犯人の一人として、ヴァン・ヘフリン演ずるヴィドー刑事に執拗に付け廻されるヤクザ・ファミリーの一員を演じています。実際には無実であるにも関わらず、前科があるために犯罪者であると決めつけられ職を追われてしまいます。
 この作品は『暗黒街のふたり』や、この『ブーメランのように』の原点ともいえるハリウッド作品でした。しかもアラン・ドロンが演ずる主人公の名前はエディであり、『ブーメランのように』で犯罪を犯してしまった溺愛の息子の名前と同じなのです。

 ジョゼ・ジョヴァンニ監督の『暗黒街のふたり』(1973年)も、犯罪者としての前科から、それへの差別によって悲劇を迎える結末でした。『泥棒を消せ』では、最後にヴィドー刑事からの誤解は解けますが、この作品のミッシェル・ブーケ演ずるゴワトロ警部は最後まで執拗にアラン・ドロンが演ずるジーノへの疑いを解くことはありませんでした。
 一度、前科を持ってしまうと、それを充分に反省したとしても、周囲の差別感情から社会が逆に犯罪者の更正を阻んでしまうということを告発した作品です。過去の犯罪者としての烙印、そして実際に犯罪者であった事実から逃れることは極めて困難なことなのだと思います。

 
 過去の犯罪の前科からではありませんが、社会差別が原因の悲劇的テーマを描いた作品として、この『ブーメランのように』制作直後に、アラン・ドロンは代表作となったジョセフ・ロージー監督の『パリの灯は遠く』(1977年)を撮ります。
 主人公ロベール・クラインは、ナチスのユダヤ人への差別施策を利用してユダヤ人から美術品を安く買いあさる悪徳の美術商でした。誤ってユダヤ人と間違えられた彼は、その同姓同名のユダヤ人クラインに不思議な魅力を感じてしまい、自ら望んで彼を追い求めてしまうのです。その結果、彼はアウシュビッツのユダヤ人強制収容所に送られてしまうという結末でした。
 これは差別に向き合うことで、差別されている側に接近していく異常な状況を描いた作品でしたが、アラン・ドロンの分裂した二面性のキャラクターを全面に開花させての代表的な一大傑作となりました。

 これらの作品群から感じられるアラン・ドロンの変身願望の居直りには、意識的なものか否かは別として、若い頃に多くの影響を受けたルキノ・ヴィスコンティ監督からの教示があったように思います。ヴィスコンティ監督もまた貴族、ブルジョアジーでありながらも、無産階級の立場に立ったコミュニストで、引き裂かれ分裂した人格の所有者であったからです。

 社会の差別意識に追い廻されたり、犯罪や貧困の過去から逃亡しようとするテーマは、アラン・ドロンの作品ばかりではありません。
 ハリウッド作品でも、フリッツ・ラング監督でヘンリー・フォンダが主演した初期「フィルム・ノワール」作品である『暗黒街の弾痕』(1937年)が同様のテーマでした。主人公は、前科者であるが故に職を得られず、無実であるにも関わらず、銀行強盗殺人の嫌疑をかけられ脱走犯となって悲劇的な結末を迎えてしまいます。
 またしても、この主人公の名前もエディと言います。ここまで来ると、わたしには偶然とは思えず、こういう犯罪者の名前には「エディ」を使用することになっているのではないか?とまで考えてしまいます。
暗黒街の弾痕(トールケース仕様)
/ アイ・ヴィー・シー





 実存主義文学者フランツ・カフカの原作で、オーソン・ウェルズが監督・脚本・助演した『審判』(1963年)でも、アンソニー・パーキンス演ずる主人公ヨーゼフ・Kが、実にまわりくどい苦悩と不安に挽きづり回されて、常に不条理な罰則を受け続け、とうとう最後には処刑されてしまうという不条理の世界を描いています。
 Kは、その罪を自覚できずに、いや罪など元々無く、その審判の理由も知らされることがありません。そして、彼がその苦悩と不安から逃げれば逃げるほど、そのこと自体が罰則となってしまうわけです。
 最後に彼は死刑執行人の手によって処刑されてしまいます。初めから死が明白であり、単にそれが引き伸ばされていたに過ぎなかったという人の人生のメタファーが、他の何かの存在によっての死の執行であるとの解釈が、カフカ的テーマの理解として妥当なのかもしれません。
審判
/ アイ・ヴィー・シー





 アルフレッド・ヒッチコック監督の『間違えられた男』(1956年)も、抽象的な題材である『審判』のテーマを現実的なストーリーにしたような恐ろしい作品でした。
 ヘンリー・フォンダ演ずる主人公マニイ・バレストレロが、妻の歯の治療費を借用しようとして訪れた保険会社で、以前そこに押し入った強盗犯人と間違えられてしまい、警察に嫌疑を懸けられ連行されてしまう冤罪事件をテーマにしたものです。
 更に恐ろしいことに、これはノン・フィクションであるのです。
間違えられた男 特別版
/ ワーナー・ホーム・ビデオ





 内田吐夢監督の『飢餓海峡』(1964年)も過去の貧困、そして犯罪からの逃亡が最後には挫折してしまうリアリズムの大傑作です。これに関わっては素晴らしいブログ記事がいくつもありますのでご紹介いたします。

 ジューベさんのブログ『キネマじゅんぽお』の記事
  「『飢餓海峡』 ~狭間にできてしまった奇跡~」
  「それぞれの『飢餓海峡』 ~水上勉と内田吐夢~」  

 viva jijiさんのブログ『映画と暮らす、日々に暮らす。』の記事
  「飢餓海峡」

 用心棒さんのブログ『良い映画を褒める会』の記事
  「『飢餓海峡』(1965)内田吐夢監督の最高傑作であり、全邦画中でもベスト3に入る作品。」

 にじばぶさんのブログ『にじばぶ日記』の記事
  「飢餓海峡」

 HOGHUGさんのブログ『HOGHUGの日記』の記事
  『飢餓海峡』 1965年 日本」


飢餓海峡
三國連太郎 / / 東映






 実話を元にした冤罪事件を扱った今井正監督の『真昼の暗黒』(1956年)、松本清張の原作で野村芳太郎が監督した『砂の器』(1974年)、アーサー・ペン監督でマーロン・ブランド、ジェーン・フォンダ、ロバート・レッドフォードが共演した『逃亡地帯』(1966年)、スタンダールの原作をクロード・オータン・ララが監督し、ジェラール・フィリップがジュリアン・ソレルを演じ、ダニエル・ダリューがレナール夫人を演じた『赤と黒』(1954年)、モンゴメリー・クリフト、エリザベス・テーラー、シェリー・ウィンタースが共演した『陽のあたる場所』(1951年)なども不条理で安易な差別意識の告発、犯罪・貧困からの逃亡の挫折を描いた作品でしょう。
真昼の暗黒
/ ビデオメーカー




砂の器 デジタルリマスター版
松本清張 / / 松竹





逃亡地帯【字幕版】
マーロン・ブランド / / ソニー・ピクチャーズエンタテインメント




赤と黒
ジェラール・フィリップ / / アイ・ヴィー・シー





陽のあたる場所 スペシャル・コレクターズ・エディション
モンゴメリー・クリフト / / パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン





 一貫して同様のテーマを描き続けている作家としては、ハリウッドのスティーブン・スピルバーグ監督が挙げられます。彼も常に不条理な理由によって、何かに追われる恐怖を描き続けてきた作家といえましょう。
 『激突』(1972年)、『ジョーズ』(1975年)、『E/T』(1982年)、『ジュラシック・パーク』(1993年)、『シンドラーのリスト』(1993年)、『宇宙戦争』(2005年)などは、エンターテインメントの典型であっても、そのテーマの背後にあるものは被差別者に襲いかかる恐怖と闘い続けなければならないスピルバーグ監督の不条理観そのものなのではないでしょうか?
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宇宙戦争
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 前述した以外にも、まだまだ多くの同テーマの作品があるように思います。このように人間社会における「不条理」というテーマが製作国や時代、作風を超えて作られ続けている事実から確認できることは、映画史上のひとつの典型的なセオリーとなっているように思うわけです。

 また、アラン・ドロンの敬愛するジャン・ギャバン主演の作品や、戦前のフランス映画「詩(心理)的レアリスム」の代表作群も追われる者の悲劇を描き出した作品が実に多く、ジョゼ・ジョヴァンニ監督とアラン・ドロン製作・主演の作品はフランス映画の伝統を受け継ぐ系譜を持った作風であったと言えましょう。


 アラン・ドロンは映画俳優・映画スターから逃亡し、『ハーフ・ア・チャンス』での引退という形をとったわけですが、今、再び“ブーメランのように”香港ノワールの巨匠ジョニー・トー監督で「フィルム・ノワール」作品に回帰しようとしています!
 やはり世界中の映画ファンは、彼の「フィルム・ノワール」の俳優・スターという前科?以外の生き方を許してはいないと言えるのかもしれません。

micchiiさんのブログ『愛すべき映画たち』
「アラン・ドロンVSラム・シュー、世紀の対決実現か!?」
takagiさんのブログ『Virginie Ledoyen et le cinema francais』
「ドロンの香港映画!」
ミユミユさんのサイト「French Mania フランス映画通信」フランス映画最新情報
アラン・ドロンがジョニー・トー監督の作品に出演
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by Tom5k | 2007-01-28 22:28 | ブーメランのように(4) | Trackback(5) | Comments(21)

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Commented by viva jiji at 2007-01-31 20:18 x
まあ、大好きなジョゼ・ジョバンニのこと、書かれていらっしゃる~。
あら~!ま~!拙宅記事「飢餓海峡」までご紹介下さって!
トムさん、気づくのが遅れてほんとうにごめんなさいね~。
ありがとうございます。

>もし、原作どおりにトム・リプレーがフィリップになりすました完全犯罪を成功させたなら、将来このジャック・バトキンになっていたのかもしれません。

この、ご指摘、とても興味深く感じましたわ。

>1968年には、自分のボディガードのステファン・マルコビッチ殺害容疑の重要参考人とされ、警察に召還されたことなどの経験

はい!記憶しております。
日本での当時のドロン人気はすごいものがありましたもの、
新聞や映画雑誌などでその後の情報など目を皿にして集めて
いた思い出が甦ってきました。

ジョバンニ原作、ベッケル監督の'60年の渋い傑作「穴」を
TBさせていただきました。
うまく反映されていると嬉しいのですけれど。
Commented by Tom5k at 2007-02-01 00:58
>わあ、viva jijiさん、いや姐さんと呼ばせていただきます。
来ていただいてありがとうございます。勝手にリンクして、ご報告もせずすみません。
ジョヴァンニが、お好きでうれしいです。わたしが最初に好きになった作品が、彼のシナリオの『冒険者たち』、好きが確定したのが、監督した『ル・ジタン』でしたから。当時は、ジャック・ドレーはものたりず、ジョセフ・ロージーは理解できず、でした。

おお、マルコヴィッチ事件をリアル・タイムで・・・。当時のドロンは、きっと、すごく恐い存在だったでしょうね。そして危険な存在。
その魅力はリアル・タイムの実感をお持ちの方でないとピンと来ないかも知れません。
では、また。
Commented by koukinobaaba at 2007-02-01 22:32
こんにちは!Audio-Visual Trivia for Movie & Music です。思い出したのですがドロンの全裸シーンが話題に上ったアラン・ドロンのショック療法を観ましたがTom5kさんはご覧になったことがありますか?女性なら綺麗でいたいですがちょっと怖い療法でした。
Commented by Tom5k at 2007-02-02 00:31
>koukinobaabaさん、いらっしゃい。
『ショック療法』は、観てます。いわゆる「エロい」ですよね。
今ならノーカット・バージョンでDVD化してもいいかも・・・。だめかな。
あれは、何とも不気味な作品でしたね。しかし、わたしは、わりと好きで以前からブログ記事にしたいな、と思っています。
koukinobaabaさんは好きなのですか?うわあ、エッチぃ!
では、また。
Commented by はじめまして! at 2007-02-13 01:21 x
meiji-eikenのものです。
すばらしいブログですね!!
勉強になります♪

僕も「冒険者たち」大好きです!
今後ブログ拝見させてもらいますねっ

これだからブログはおもしろいです。
Commented by Tom5k at 2007-02-13 20:43
>明治大学映研の方
コメントありがとう。でも、ほんとにすばらしいい~?
現役学生の方に言われると、とてもうれしいです。
そういえば、わたしの部下も明治のOBです。

残念ながらブニュエルには、あまり詳しくありませんし、観た作品もありますが、かなり以前のことです。久しぶりに観てみようかな。
フランスの先駆的映画人ルイ・デリュックの「フォトジェニー」理論からヴュイエルモーズの映画の音楽理論、ムーシナックの「映画詩」論などの視覚的リズム論からいわゆるモンタージュ論を経て「純粋映画論」に落ち着くわけですが、この理論による作品の数々を生みだしていったのが、ルネ・クレール、クロード・オータン・ララ、ジャン・グレミヨン、マン・レイ・・・そしてルイス・ブニュエルなわけです。
あのシュールなアヴァンギャルド作品『アンダルシアの犬』に至る経緯など研究するべく内容は彼ほど豊富な人物はいないと、わたしは思っています。

『冒険者たち』は素晴らしいですが、わたしのブログ記事は勝手な解釈で書いています。ご留意のうえ、できればご感想を!

では
また、いらしてください。
Commented by 用心棒 at 2007-02-16 23:31 x
 こんばんは。最近は記事を書くよりも映画館に観に行くほうを優先していたので、あまり更新していませんでした。昨日は『不都合な真実』『バブルへGO! タイムマシンはドラム式』のダブルヘッダーをしてきました。
 今日はヨーロッパ映画をDVDで見ようと思っていたのですが、なぜか『地球防衛軍』『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』を見ました。フィルムノワールである赤木圭一郎作品はともかく、なんだか興味の方向がバラバラになっているのを感じる今日この頃です。
 「ツタヤは俺のパスポート」って具合になっています。コルトだったらカッコいいんですけどね。ではまた。
Commented by Tom5k at 2007-02-17 16:29
>用心棒さん、どうも。
新作にも果敢に挑戦されているのですね。
わたしは、あいかわらずクラシックで、久しぶりに溝口の『赤線地帯』を再見しました。遺作だけあって感慨深いものがあります。内容をコメントしだすとブログ記事で5頁も6頁にもなってしまいそうです。溝口のリアリズムは日本映画の土台のひとつであることは間違いないでしょうね。

>『地球防衛軍』
おお、佐原健二や志村喬が怪遊聖人ミステリアンと闘い、モゲラも登場するあれですね。しかも総天然色のワイドスクリーン!

>『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』
とうとう観てしまったのですね・・・。
わたしは最近、完全にこういった日活ノワール作品に魅了されていますよ。やっぱ赤木圭一郎のシリーズかな。
今日も朝から『拳銃無頼帖 電光石火の男』、『拳銃無頼帖 不敵に笑う男』を立て続けに観ていました。
Commented by Tom5k at 2007-02-17 16:48
>続き
こういった日活の作品を観ると、トリュフォーやゴダールが、ハリウッド・ノワールのテイ・ガーネットやラウォール・ウォルッシュなんかを絶賛したり、アラン・ドロンがジャン・ギャバンを敬愛してフィルム・ノワール作品に傾倒していった理由がよく理解できます。

映画がよく分かってくると、こういう埋もれた作品の素晴らしさに魅了されますよね。何せ驚くのはカメラワークの職人芸です。あれだけの情緒と緊迫感を両立させうるのは熟練の技巧のためだとあらためて感じます。
シルエットやシャドウをローキーで使い、クレーンやアングル、ズーム、それらを最大限に生かしての日活の特徴は、スクリーンのフレーミングの決め方で「スター・システム」を確立していること?
そういう意味のみで考えれば溝口や黒澤やなんかよりも完成されているとまで思い、ヨーロッパでいえばメルヴィルやジョヴァンニなどと同格だとまで思ってしまいました。
「ツタヤがあれば 冷たく燃える 命知らずのこの俺も~♪」

さらに、さきほど、
『霧笛が俺を呼んでいる』と鈴木清順の『肉体の門』をレンタルしてきました。日活にはまりそうです。

では、また。
Commented by 用心棒 at 2007-02-17 23:28 x
 おおっ!見事に「日活ロマン・ノワール?」にはまってしまいましたね。
『錆びたナイフ』『狂った果実』などの裕次郎作品なんてフィルム・ノワールとヌーヴェル・ヴァーグが見事にブレンドされていて、しかも洗練された魅力は今でも通用するのではないかと思います。
 日活作品がお好きでしたら、スカパーにチャンネル・NECOというチャンネルがありまして、放映作品は日活作品ばかりです。赤木圭一郎、宍戸錠、石原裕次郎出演作品、野口博志、鈴木清順監督作品などを全作品オンエアなどという特集も頻繁に組んでいました。去年は清順監督全作品を何ヶ月も掛けて放送していました。ではまた。
Commented by Tom5k at 2007-02-18 20:53
>用心棒さん、どうも。
>フィルム・ノワールとヌーヴェル・ヴァーグが見事にブレンド
ふたつの体系は、実態を総称した定義であり、同列の比較としての体系にはなりにくいと思いますが、おっしゃるとおりでしょうね。

鈴木清順の『肉体の門』を観ましたが、当時、ブレヒトの影響を受けたゴダールの異化効果の影響が、ここにも感じられますし、さらにリアリズムも追究した前衛を感じ、古さが全く感じられませんでした。つい最近の映画のようで、これほど「郷愁」を感じない映画も珍しかった。
こういう斬新な試みは映画のみならず、どの世界にも多くありますが、必ずその後に取捨選択され、定着するものと捨て去られるものが、同時に発生します。
映画において、現在から未来に何が展望とできるものなのかを考えてしまいました。捨て去られていくものにも、それなりの価値があると思いますが、あらゆるものが商品である以上、商売になるかならないかの判断基準は強く厳しいように思います。
「美しさを追求する芸術」と「売れる商品」、これらの矛盾はどのように変遷していくのでしょう?

スカパーのオンエア、よだれの出そうな特集ばかりですね。
では、また。
Commented by 用心棒 at 2007-02-18 23:35 x
 こんばんは。何事も相反するベクトルがバランス良く働いてこそ、良い意味の緊張が生まれ、全体が前進していくのが理想ではありますが、映画についてはどうも商売というベクトルがあまりにも大きく、芸術のそれを凌駕しております。
 結果として、われわれ映画ファンが俯瞰でみると、映画の両輪(商売と芸術)のバランスが崩れ、全体がまるで底なし沼に落ち込むつむじ風(表現としてはおかしいのですが、片方の車輪を失った車がぐるぐる堂々巡りをしながら堕ちていくイメージです。)に見えます。
 洋画の興行収入を上回ったといって浮かれている場合ではありません。質的にどうなのか、後世に残すような影響力を持っていた作品が一本でもあったのか。映画ファンが観て、思わず唸ってしまうような美しいフィルムに出会えたか。
 もちろん映画館に行って、普段の生活の中で汚れた心をフィルムで洗ってもらうことの多い僕は十分にその恩恵を得てはいますが、痺れるような衝撃を受ける作品にはなかなか巡り会えません。
 関西では三月に映画館(名画座系)で溝口健二特集をやるみたいなので、『雨月物語』などの時代物を中心に細部を観たいと思っています。ではまた。
Commented by Tom5k at 2007-02-19 21:29
>用心棒さん、熱いですなあ。わたしも熱くなってきますよ。
広く考えれば、映画におけるすべては、種々の矛盾も含めてカルチャーと定義できるでしょう。
しかし、単なるカタルシスを獲得できるだけの商品には、作品としての普遍性、すなわち未来への展望はないと考えます。
本質を突き詰めたいとする者からすれば、すべてを根本から変えうる芸術の美しさを受益したいと貪欲になるわけですが、
しかし、現存する商品文化、及びその周辺には、観る側にも創る側にも問題意識など存在せず、硬直した薄っぺらい価値観と、裏付けのない自己満足、満腹した自己顕示などが多く、危機感すら感じます。

>溝口健二特集
美を突き詰める本物の眼を持ちたいですね。最近観た『赤線地帯』は、素晴らしかった。実態のない光の芸術『映画』・・・そこからのイリュージョン、現代人に特徴付けられる「視覚的人間」としての自覚において、芸術が生活に立ち返っていく意義を映画ファンは命題にすべきであるとまで、わたしは考えてしまいます。
では、また。
Commented by 用心棒 at 2007-02-20 01:06 x
 こんばんは。溝口監督をスクリーンで観直すのは素晴らしい経験になると思います。彼が描く世界は底辺の人々のドロドロした生活のなかでの生き様ですが、彼と宮川一夫カメラマンの美的感覚と演出にかかると究極の美の世界が現れてきます。
 それを大画面で味わえるのはまさに幸福です。大袈裟かもしれませんが、溝口作品の見方が変わるほどの衝撃を受けたいというのが今の心境です。引きづられるような絵巻物に浸ってきます。中止にならないことを祈りつつ。ではまた。
Commented by Tom5k at 2007-02-20 23:04
>用心棒さん、こんばんは。

>彼が描く世界は底辺の人々のドロドロした生活のなかでの生き様・・・究極の美の世界が・・・
溝口を観ずして映画を語るなかれ。
彼の作品はすべての映画の基本から人間の本質を描いています。積極的にテーマを追究しているわけではありませんが、下層の民衆を優しく描いています。
しかも、その底辺の人々の日常の生活は淡々と描かれ、人間ドラマとしてはスペクタクルに満ち溢れ、しかも厳しい社会的な批判を先鋭的に発しています。
まさにリアリズムとは、このことだ!
劇場鑑賞うらやましいです。ご堪能されて、是非ともブログ記事にしてください。
では、また
Commented by 用心棒 at 2007-02-26 00:53 x
 >トムさん、こんばんは。
>溝口特集
 関西は東京と違って、あまり催し物も少なくなってきているのですが、機会は積極的に捉えて行きたいと思っています。

 それと話は変わるのですが、お遊びで現在『ガメラ対ゴジラ』の空想プロットを書いております。GG両陣営のファンがワイワイ言いながら遊べる内容になればよいなあと思っています。ここまでくるとさすがに馬鹿だなあとは思いますが、出来上がったらご報告いたします。
 ではまた。
Commented by Tom5k at 2007-02-26 22:17
>用心棒さん、ふっふっふ!(←これは不敵な笑いです)
わたくし、赤木圭一郎の「日活ロマンノワール」9割方制覇しました。おっそろしくワンパターンでしたが、ノワールの要素がぎっしり詰まった「おもちゃ箱」、いや「宝石箱」のようなシリーズでした。
さらに鈴木清順の「前衛ノワール?」の代表作『殺しの烙印』を初観賞。素晴らしかったですよ。
そして何十回目でしょうか?ドロンの『太陽がいっぱい』。フランスのドキュメンタリストたち、ルネ・クレマンと左岸派について考えるところを整理しているところです。
今日は友人の勧めで『ラヴェンダーの咲く庭で』(内容は老婦人の美しい恋の臨界点を描いたものだそうです)をレンタルしてきました。しかられそうですが、老婦人の恋というと、どうしても『サンセット大通り』のグロリア・スワンソンを思い出して恐くなってしまうのですが、こちらは美しい物語のようです。
Commented by Tom5k at 2007-02-26 22:17
>続き
そして、用心棒さんの影響から、更に溝口の『祇園囃子』をレンタルしてまいりましたよ。用心棒さんやオカピーさんまでには届きませんが、最近のわたしは「量から質への転換」を目指しているところでございます。

>『ガメラ対ゴジラ』の空想プロット
うおっおっ!何というバカみたいな企画!オカピーさんが聞いたら激昂しますよっ!
よ~し、こうなったら、とことんお付き合いしましょう。ご報告楽しみにしております。
では、また。
Commented by 用心棒 at 2007-02-26 23:43 x
 こんばんは!さっき完成しました。超お馬鹿なプロットが出来上がりました。さっそくアップします!笑ってやってください。
 >『祇園囃子』
 いいですよねえ、あれ。むせ返るような女の色香とどす黒い欲望の世界はまさに成人映画ではないでしょうか。こういうのを見ると、ポルノを成人映画と呼ぶのは止めて欲しいなあと思います。ではまた。
Commented by FROST at 2007-03-29 02:18 x
トムさん、TB&コメントありがとうございました。参上が遅くなりました。
”貧困・犯罪・差別からの逃亡と挫折”、いかにも映画に似合うテーマです。が、これだけいろいろな作品があったとは驚き。トムさんの博覧強記ぶりも驚き。TBさせていただいたのは『暗黒街の弾痕』ですが、この”逃亡と挫折”を俳優さんがいかに演ずるか・・・、主演のヘンリー・フォンダとシルヴィア・シドニーが素晴らしかったので、他の作品の俳優たちの演技ぶりも興味津々です。うちのブログでは、故あって今のところ60~70年代あたりのフランス映画を慎重に避けて通っていますのでアラン・ドロンを見る機会も少ないのですが、『ブーメランのように』もいずれ観て見たいと思います(ボルサリーノは良かったなぁ)。
まだまだ初心者ゆえトンチンカンなことも言うと思いますが、レモンハートの松っちゃんのようなもんだと思って大目に見てやってください・笑。今後ともよろしくお願いします。
Commented by Tom5k at 2007-04-03 23:01
FROSTさん、せっかくTBとコメントをくださいましたのに、ご返信が遅れて申しわけありませんでした。このところ残業続きで、PCを開くことすらままならない状況でしたので・・・。

>”貧困・犯罪・差別からの逃亡と挫折”、いかにも映画に似合うテーマ
そうなんですよ。挙げた作品は、わたしの嗜好の範囲のものばかりですが、探せばまだまだ在るのではないでしょうか?
非常にドラマティックな題材で、特にクラシック作品に多いような気がしますし、名作揃いのような気がしています。
ドロンが目指していたジャン・ギャバンの作品にも、このテーマが多いので機会があれば、ご覧ください。
>まだまだ初心者ゆえトンチンカン・・・
とんでもございません。
多くのフィルム・ノワールシリーズ、わたしにとっては最高のブログ記事です。わたくしも、ちょくちょく、お邪魔させていただきますので、今後ともよろしくお願いいたします。
では、また。