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『アラン・ドロンについて』①~好きな作品ベスト21-改訂- アラン・ドロン作品史の概略~

『恋ひとすじに』(1958年)
 初恋の人、ロミーと出会った作品です。
 アランもロミーも本当に恋しています。
 「ヌーヴェル・ヴァーグ」が出現し始めたころだったんですが、旧時代的作風です。
 しかも西ドイツの作品であることも手伝って、ひねくれたところが全く無い真面目な若者たちばかりが登場し、不倫の男女関係さえ生真面目に描かれています。
 シューベルトの『アヴェ・マリア(Ave Maria)』やベートーヴェンの『シンフォニー第5番「運命」第1楽章』などの挿入曲も含めて、ロマンティックで美しい作品です。
 アラン・ドロンは34年後、同じくアルトゥール・シュニッツラーの原作『カサノヴァ最後の恋』を映画化します。
 もしかしたら、『カサノヴァ最後の恋』は、『恋ひとすじに』を彼なりにリメイクした作品だったのではないでしょうか?

『太陽がいっぱい』(1959年)
 ルネ・クレマン監督が、「詩(心理)的レアリスム」としての映画作家から脱皮しようとして、アンリ・ドカエ、ポール・ジェコブ、モーリス・ロネなどの「ヌーヴェル・ヴァーグ」のスタッフたちと撮った作品です。
 わたしは、映画史上の大傑作であると思っていますが、登場人物たちが当時の若者の典型的なキャラクターとして描かれていなかったためか、映画史的な意味での高い評価にまでは至っていないようです。
 ルネ・クレマン監督の映画史での位置づけが正当なものとなるまで、『太陽がいっぱい』の作品評価も、出演しているアラン・ドロンも正確な評価をされることはないように思っています。

『若者のすべて』(1960年)
 貴族階級出身でありながら、共産主義者であったルキノ・ヴィスコンティ監督でしたが、「ネオ・リアリズモ」の体系としては彼の最後の作品かもしれません。労働者階級の立場に立脚しながら、貴族階級の眼でそれを描いた映画史上の傑作です。
 そこには下層の人々も上層の人々も同じ人間であるということ、すなわち労働者階級への優しさ、そして彼らの過酷な現実を描き、かつ未来への展望も描かれているように思います。
 ルキノ・ヴィスコンティ監督のアラン・ドロンへの複雑で純粋な愛情も、最も良く表現されている作品だと思います。
 イタリアの労働組合ではテキストとして使われていた作品です。

『太陽はひとりぼっち』(1961年)
 やはり、「ネオ・リアリズモ」後期のミケランジェロ・アントニオーニ監督の作品です。「内的ネオ・リアリズモ」として名称・位置づけられています。
 芸術作品としての映像美もさることながら、アントニオーニ監督の思想的に最も左翼的なテーマが浮かびあがっている作品だと思います。
 マネー・ゲームが、まだ社会批判として一般化していなかった時代、そこで生きる証券マンの人格的破綻に伴い、若い男女の最も大切な恋愛感情すら破綻していること、すなわち現在のセックスレスの問題にまで、そしてその行く末の大国の核武装の問題までをも、現代の金融経済と結びつけて描いている怖い作品です。
 アラン・ドロンの演じたピエロ役よりも、モニカ・ヴィッティが演じたヴィットリアが主な役割を担っていた映画であるというのが一般論かもしれません。ドロン自身も、自分でなくても、例えばマルチェロ・マストロヤンニでも良かった役だといっているようですが、わたしはビジネスに精通する未来のアラン・ドロンを最も正確に予見していた役柄だったように思っています。

『山猫』(1962年)
 アラン・ドロンのルキノ・ヴィスコンティ監督の作品としては、2作目の出演となりました。ルキノ・ヴィスコンティ監督は、現代社会に封建時代のキャラクターを演じさせたアラン・ドロンを、ここでは逆に封建末期の貴族社会を舞台に現代青年のキャラクターで登場させています。
 キャスティングのユニークさは、ヴィスコンティ&ドロンの作品の特徴でもあり、アラン・ドロンがいかに面白い俳優であったのかを良く見抜いているようにも思います。
 ルキノ・ヴィスコンティ監督としては、恐らくコミュニズムに挫折し、「赤い公爵」の異名を脱皮して、貴族出身の自らの苦悩を実直に描いていくようになった最初の作品なのだと思います。

『地下室のメロディー』(1962年)
 アラン・ドロンが最も敬愛するジャン・ギャバンと初共演したアンリ・ヴェルヌイユ監督作品です。
 従来からのジャン・ギャバンの出演してきた作品と同傾向の「フィルム・ノワール」で、アラン・ドロンも後に得意としていく系統の作品すが、ジャン・ギャバンの作品でもなく、アラン・ドロンの作品でもありません。
 あくまでギャバン&ドロンのコンビネーション作品なのです。息の合った名コンビとは、まさにこの二人です。
 デビュー時から、いきなり国際俳優になってしまったアラン・ドロンは、本国映画界で席捲していた「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品に出演できる俳優になる機会を持てませんでした。監督も旧時代のアレグレ兄弟、ルネ・クレマン、ジュリアン・デュヴィヴィエなどなど。
 ジャン・ギャバンとの共演で、フランスでの巻き返しを図り、足場とできた作品です。
 ギャバンにとってのドロンは、わがままでわんぱく、腹を立てながらも可愛くて仕方の無い息子のような存在だったのではないでしょうか?
 また、アラン・ドロンにとっては、ルネ・クレマンもルキノ・ヴィスコンティも演出家であって、俳優ではありませんし、やはり敬愛するバート・ランカスターは俳優ですが、彼の主戦場はハリウッドでした。
 「フィルム・ノワール」作品の大スター、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちも絶賛していたジャン・ルノワールやジャック・ベッケルの演出した代表作を持ち、旧時代のジュリアン・デュヴィヴィエ監督やマルセル・カルネ監督、旧時代第二世代のジャン・ドラノア監督やアンリ・ヴェルヌイユ監督などの作品に出演し続けていたジャン・ギャバンは、アラン・ドロンの俳優人生に最も適したモデルだったのだと思います。

『黒いチュ-リップ』(1963年)
 「詩(心理)的レアリスム」第二世代であるクリスチャン・ジャック監督が演出したスケールの大きなアクション時代劇で、スター、アラン・ドロンとしての典型的な作品だと思います。
 彼は、お得意の一人二役、盗賊である黒いチューリップ、革命派である黒いチューリップを含めると一人四役です。同一の作品で四役ものキャラクターを使い分ける最もアラン・ドロンらしい作品とも思えます。
 脚本は旧世代のアンリ・ジャンソンです。アレクサンドル・デュマの原作など欠片も見当たらず、彼とクリスチャン・ジャックのオリジナルに近いものだったと思います。そう考えると、アラン・ドロンの二面性を映画の素材とすることの素晴らしさを、フランス映画のクラシック作品において見出せた作品ともいえます。
 わたしは、これらのことから、フランス映画史の中でも着目すべき作品のひとつであると考えます。
 また、わたしは二役のドロンが演じた兄ギヨームにジェラール・フィリップを配役したいと思ってしまいました。ジェラール・フィリップが生きていたら、アラン・ドロンの俳優人生も、また大きく変わったのではないでしょうか?

『パリは燃えているか』(1965年)
 師匠ルネ・クレマン監督の演出では最後の出演作品となってしまいました。
 もう彼は、殺人者(『太陽がいっぱい』のトム)でも、見栄はりの青年(『生きる歓び』のユリス)でも、チンピラのイカサマ・カード師(『危険がいっぱい』のマーク)でもありません。ルネ・クレマン監督はアラン・ドロンに、いよいよ、フランス国家にとって最も重要な社会的役割を担うレジスタンス運動の指導者のひとりであった第三共和政の幕僚ジャック・シャバン・デルマスを演じさせます。
 ルネ・クレマン監督は、「レジスタンス映画」の第一人者です。久しぶりにハリウッド資本で撮ったこのレジスタンス作品は、彼が世界に向けて、フランス国家の誇りを思想・信条を超えて誇示したメッセージのように思います。また、確かに、レジスタンス運動は誇るべき内容のものだったのでしょう。
 屈折した現代青年であったアラン・ドロンを、ここまで育てきったという自負心も感じられた素晴らしい作品でした。

『冒険者たち』(1966年)
 アラン・ドロンがハリウッドに渡り、挫折して本国フランスに戻って撮った第一作目の作品です。
 眩いばかりのアフリカ、コンゴの海を素晴らしい太陽光の色彩で映像化しており、『太陽がいっぱい』と同様に一人の女性と二人の男性を主軸として登場人物が設定されています。
 わたしにとっては、『続・太陽がいっぱい』ともいえる作品で、モーリス・ロネとマリー・ラフォレが共演者だったとしても面白い作品になったように思っています。
 ハリウッドで、多くの苦労を経験してきたアラン・ドロンは、憤りや悲しみをたくさん知って、人の心の痛みがわかる人間に成長できていたのではないでしょうか?ロベール・アンリコ監督の詩情溢れる青春賛歌でした。

『世にも怪奇な物語(第2話 影を殺した男)』(1967年)
 『黒いチューリップ』と同様に、最もアラン・ドロンらしい二重性人格の役柄で、時代もののコスチューム・プレイです。アラン・ドロンは良心の欠片も無い残酷で悪魔的なキャラクター、ウィリアム・ウィルソンを演じました。
 わたしはいつの日か、この短編作品が、彼の代表作品の一本であると体系づけられる日がやってくると信じています。
 アラン・ドロン=ウィリアム・ウィルソン・・・。
 そして演出は、何と「ヌーヴェル・ヴァーグ」のルイ・マル監督です。映画のテーマとしては、彼の代表作『鬼火』の前段に位置づけてもいる作品であり、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家から見たアラン・ドロンであっても、やはり最も彼らしいキャラクターとなったことにスター・俳優としての一貫性を感じます。
 現在の世評では第3話「悪魔の首飾り」(フェデリコ・フェリーニ監督、テレンス・スタンプ主演)が最も高い評価となっていますが、わたしはダントツでこの第2話「ウィリアム・ウィルソン」が優れていると思っています。

『サムライ』(1967年)
 アラン・ドロンの人気全盛期は、すべてこの作品のジェフ・コステロの人物キャラクターから始まっています。彼がアンチ・ヒーロー的なヒーローとして、「フィルム・ノワール」作品体系に嵌っていった作品です。ジャン・ギャバンの後継者といわれる所以もこの作品以降からではないでしょうか?『望郷』や『霧の波止場』などで見せたジャン・ギャバンの「死の美学」を更に徹底していく契機になった作品ではないかとも思います。
 ルネ・クレマン監督とは異なり、ジャン・ピエール・メルヴィル監督は、フランス映画史体系での評価が、概ね正確に定まっている映画作家でもあり、アラン・ドロンとは相容れなかった「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちにも敬愛されていました。
 ハリウッドでの挫折からも立ち直り、ようやくアラン・ドロンの時代が幕を開けることになった「アラン・ドロン俳優史」のなかでも特筆すべき作品です。

『悪魔のようなあなた』(1967年)
 何故、アラン・ドロンはこの段階で、「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動以後に衰退してしまった「詩(心理)的レアリスム」の巨匠、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品に出演したのでしょうか?しかも彼の演出力さえすでに衰えを隠せていなかったにも関わらず・・・・。
 そして、すでにルイ・マル監督やジャン・ピエール・メルヴィル監督という現在において大活躍している映画作家たちとも巡り会っていたにも関わらず・・・・。
 アラン・ドロンのキャリアに、すでに過去の巨匠であったジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品に出演するメリットは少なかったはずです。
 でも、アラン・ドロンからすれば、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督には、デビュー当時に出演した『フランス式十戒』でお世話になっていますし、最も敬愛するジャン・ギャバンの師匠でもあったのです。何よりも旧時代の大監督に敬意を払ったように思うのです。
 「男気」、彼にはこの言葉が良く似合います。

『ボルサリーノ』(1969年)
 いよいよ、ジャン・ポール・ベルモンドとの共演です。しかも自社のアデル・プロダクションで、新時代の相棒ジャック・ドレー監督作品です。わたしたちの世代では、『さらば友よ』や『ゾロ』と並んで最も人気のある作品かもしれません。ジャック・ベッケル監督やアンリ・ジュルジュ・クルーゾー監督の「フレンチ・フィルム・ノワール」作品を、体系として最も純化していったジャン・ピエール・メルヴィル監督の作品『サムライ』に出演したアラン・ドロンは、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『悪魔のようなあなた』に出演していましたし、この『ボルサリーノ』の直近前作の『シシリアン』では、大先輩のジャン・ギャバンやリノ・ヴァンチュラと共演しました。
 アラン・ドロンは偉大な先輩方の作風を受け継いで、盟友でありライバルでもあったジャン・ポール・ベルモンドとフランス映画界を背負って立つ決意をしたのではないでしょうか?
 「詩(心理)的レアリスム」の正当な継承者アラン・ドロンは「フレンチ・フィルム・ノワール」において、それを実現していったと、未来の映画史に位置づけられるときの最も典型的な代表作品だと思っています。 

『レッド・サン』(1971年)
 『さらば友よ』で共演し、国際的ドル箱スターとなっていたチャールズ・ブロンソン、そして多くの黒澤明監督の諸作品の主演してきた三船敏郎らとの共演、当時の売れっ子、007シリーズを手懸けていたテレンス・ヤング監督の演出、これほどスケールの大きな話題作も珍しかったのではないでしょうか?アラン・ドロンは、この華やかなエンターテインメント西部劇に、もの凄い悪役で登場します。
 彼が扮したゴーシェのキャラクターは、「ウィリアム・ウィルソン」のキャラクターに類似しているように思いますが、これほどの端正な二枚目が西部劇の悪漢として登場することは、実に斬新な設定だったのではないでしょうか?だって、女性にモテモテというだけで、大半が男性だった多くの西部劇ファンは、嫉妬、やっかみから、彼を心底憎んだと思いますから。
 そして、黒澤一家のスター俳優、三船敏郎から、アラン・ドロンは何を学んだのでしょうか?
 出演したかったと思います。黒澤&ドロンの『青い眼のサムライ』・・・。

『スコルピオ』(1973年)
 同時期に出演したジョセフ・ロージー監督の『暗殺者のメロディ』と似たテーマの作品です。どちらの作品でも東西両陣営の国家的策謀の犠牲者、そしてそれを得意の殺し屋役として演じました。
 ジャン・ギャバンと同様に彼の敬愛するバート・ランカスターとの共演で、久しぶりのハリウッド作品です。娯楽作品ですが、テーマがしっかりした作品でした。それもそのはず、『夜の大捜査線』でアカデミー作品賞を受賞した実績を持つのウォルター・ミリッシュ・プロダクション作品ですから。
 また、新境地を切り開いた『暗殺者のメロディ』とは異なり、最も自分の得意なキャラクターによって、ハリウッドで勝負できた作品でもあります。
 また、自国で『シシリアン』や『ボルサリーノ』、『レッド・サン』などでエンターテインメント性の強い作品で勝負してきたにも関わらず、ハリウッドの「アクション・フィルム・ノワール」では案外と社会性の高い作品となっていることも、彼の勝負どころのひとつだったのかもしれません。

『アラン・ドロンのゾロ』(1974年)
 デビュー当時ならいざ知らず、暗黒街を舞台にした「フィルム・ノワール」で全盛期を迎え、大人の恋愛映画でダンディズムを透徹してきた当時のアラン・ドロンが、このようなクラシックの古典的名作、ジョン・ストン・マッカレー原作のチャンバラ時代劇を撮るなど、信じられないことだったと思います。
 しかしながら、元を手繰ればアラン・ドロンは、元来、こういった俳優なのですから、原点に回帰して役に嵌ったのも驚くにはあたらず、当然といえば当然だったのかもしれません。クラシックスを再生させた最後の銀幕のスターとしてのアラン・ドロンを再認識できる作品です。
 さらに、彼の特徴だった登場人物の人格の二重性を、このような「陽」のキャラクターで演じたことも重要な要素です。
 ジョセフ・ロージー一家、門下生としての兄貴分、スタンリー・ベイカーが素晴らしい好演で、悪役ウェルタ大佐を演じました。ベッドで寝込んでいるときのウェルタ大佐の追求をはぐらかそうとするディエゴ総督の姿は、15年前の『太陽がいっぱい』で、ベッドから眼を覚ましたばかりのトム・リプリーを追求するリナルディ刑事とのやり取りのパロディだったのでしょう。

『パリの灯は遠く』(1977年)
 これは、やはりアラン・ドロンの最も優れた代表作品です。
 『若者のすべて』と同様、カンヌ国際映画祭がグランプリ、そして主演男優賞を受賞させなかったことが、国際映画祭自体の権威を失墜させる結果になっていったとまで思います。それほどの映画史上の大傑作であるのです。この事例は未来の映画史において、「国際映画祭」批判の典型的な逸話となることでしょう。
 そして、マーラーの歌曲を歌うフランツ・サリエリ劇団の舞台劇を使ったことも、映画音楽史上の特筆すべき事件とまでいえるのではないでしょうか?
 更に、アレクサンドル・トローネルの映画美術も「天井桟敷の人々」に匹敵するリアリズムの究極でした。
 ジョセフ・ロージー&アラン・ドロン、世紀のコンビネーションは不滅です。
 
『スワンの恋』(1983年)
 ヴィスコンティ、クレマン、ロージー、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たち、アラン・ドロンゆかりの映画作家の誰もが手を附けられなかったマルセル・プルーストの映画化ですが、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の助監督だった「ニュー・ジャーマン・シネマ」の旗手、フォルカー・シュレンドルフ監督が実現してくれました。そして、アラン・ドロンの演技の資質はここでも新たなものとして開花しています。
 ルキノ・ヴィスコンティ監督の構想では、『失われた時を求めて』第4編「花咲く乙女たちのかげに」のマルセルにアラン・ドロンを配役する予定だったそうですが、そちらも完成できていれば世紀の大傑作になったことでしょう。それにしても、ここでのアラン・ドロンはシャルリュス男爵という助演ではあったものの、実に素晴らしい好演でした。

『真夜中のミラージュ』(1984年)
 ようやく、セザール賞男優賞を受賞できた作品です。確かに、ここでもアラン・ドロンは新境地を開拓しています。「シネマ・ヴェリテ(映画=真実)」の作家としてデビューしたベルトラン・ブリエ監督の作品で、このような素晴らしい演技を見せたアラン・ドロン。そして、彼の大好きなナタリー・バイとの共演です。

『ヌーヴェルヴァーグ』(1990年)
 フランス映画、いや映画そのものの矛盾とも言えたジャン・リュック・ゴダールとアラン・ドロン。
 しかしながら・・・・・フィルム・ノワール、サスペンス、リアリズム、映画詩、一部の上流階級の芸術ではなく庶民の映画、多くの人に勇気と希望を与える感動・・・・・ふたりの目指してきたものには、意外に多くの一致点があったのです。
 この映画で彼らが表現したものは「再生」そして「復活」でした。
 わたしは、この作品の鑑賞から、我々は多くの矛盾を払拭して、今一度「再生」、そして「復活」しなければならないっ!・・・と考えてしまうのです?
 ジャン・リュック・ゴダール監督は、過去の自らの傲慢に自己批判し、アラン・ドロンをファクターとして、フランス・クラシックにオマージュを捧げ、それを発展的に解消しようとしたのだと、わたしは思っています。
 しかし、あえて厳しくこの二人を批判するとすれば、ジャン・リュック・ゴダールは似非インテリに成り下がって庶民層を忘れ、アラン・ドロンもまた、大金持ちに成り下がって貧困層を忘れてしまった・・・後にアニエス・ヴァルダ監督も、『百一夜』という映画生誕100年の記念映画で、この二人の弱点を皮肉っていたようにも感じました。だから、このふたり、世間から注目されなくなったのかなあ?
 でも、この作品を観てみると、ジャン・リュック・ゴダールの天才と、アラン・ドロンの芸域と個性、ふたりの映画人としての歴史をもってすれば、まだまだ彼らが行き着くところが他にもあるような気がしてくるのです。

『ハーフ・ア・チャンス』(1998年)
 盟友、ジャン・ポールとの共演、しかもジュリアン・デュヴィヴィエ監督を敬愛してきた新進気鋭のパトリス・ルコント監督の演出です。
 少し前にフランスで大ヒットとなったルコント監督の『スペシャリスト』・・・。
 アランもジャン・ポールも、もうおれたちの時代じゃないという現実に打ちのめされたんじゃないでしょうか?あせったんでしょう。そして、もしかしたら、もうおれたちの居場所はないと・・・。
 でも、まだ老け込んじゃいられない、ジャン・ポールもアランも、若い世代に最後の意地を見せたかったんでしょうね。


※ 製作年順に最小限に絞っています。
   アラン・ドロンのワースト作品は、なかなか選ぶことができません。
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by Tom5k | 2009-04-18 20:07 | アラン・ドロンについて(10) | Comments(12)

Commented by Astay at 2006-08-12 00:39 x
トムさん
何回もすみませんm(_ _"m)
私もMyドロン作品のベスト10を書いておりましたのでTBさせていただきます
これもブログを始めて間もない頃に書いてますが
今でもこのベスト10かと思います
『ボルサリーノ』『ボルサリーノ2』を早くUPしたのですが・・・
なかなか作業が進みません
先日も続けて2作品またまた観たばかりなのですが、観るだけで大満足で
その後はボーーっとしてます(笑)
Commented by Tom5k at 2006-08-12 22:17
>Astayさん、気になさらず何回でもどうぞ。
Astayさんの選定は、ほとんどハリウッドからの帰仏後の作品ですね。どちらかというと、団塊世代が青春時代に好んでいたドロン作品が多いように思います。
それから、クラシックな傾向がお好きなようで、戦前からの古いフランス映画などが、Astayさんに合っているように思いました。
Commented by Astay at 2006-08-13 01:34 x
お言葉に甘えてまた来ました^_^;
Myブログにも書きましたが、私のベスト10にもう10作品プラスして
ベスト20にしてみました
『お嬢さん、お手やわらかに!』『生きる歓び』『テキサス』『ジェフ』『もういちど愛して』
『リスボン特急』『高校教師』『燃えつきた納屋』『復讐のビッグ・ガン』『私刑警察』
こんな感じになります
トムさんが『スコルピオ』を入れてベスト20にされても
共通する作品は5作品だけですね
Commented by Tom5k at 2006-08-13 01:41
>Astayさん
早速、『スコルピオ』を加え、ベスト20にしました。
Commented by Astay at 2006-08-13 11:57 x
トムさん、本当にベスト20になってますね(ニカッ!)
『地下室~』『サムライ』『悪魔~』『スコルピオ』『ボルサリーノ』が共通ですね
トムさんが挙げられてる中では『ハーフ・ア・チャンス』『真夜中のミラージュ』『黒チュー』も好きですよ

My2大VIPということでドロン氏とレッドフォードを書きましたが
今は7:3から8:2の比率でドロン作品に傾いてますね
ちなみに昔はアメリカ映画一辺倒でしたので10:0でレッドフォードでした(笑)
本当に何故、今ドロンさんなのか自分でも不思議です、不思議な魅力~
ちょっと前の世代の方々に言わせると神様のような存在だったとか
偉大なお方ですね
Commented by Tom5k at 2006-08-16 00:16
>Astayさん
『真夜中のミラージュ』がお好きだとは意外ですね。少し驚きました。是非今度ブログ記事にしてみてくださいよ。

レッドフォードは、ハリウッドの俳優として最も好きな俳優です。わたしは『コンドル』が一番好きです。

>ちょっと前の世代の方々に言わせると神様のような存在
マルコヴィッチ事件のころは、暗黒街ものやサスペンスものでの危険な人物としての魅力も放っていたようです。
世代や人によって、それぞれだと思いますが、庶民的なスターとして多くの人に受け入れられていたような記憶があります。遠い存在ではなく、大衆に身近なヒーロー、そんなキャラクターが受けていたのではないかな?

わたしは彼の初期のイタリア作品のほとんどを絶賛しておりますが、『ビッグ・ガン』『高校教師』などの全盛期のイタリア作品も素敵ですよね。
Commented by mchouette at 2009-04-23 09:56
>アラン・ドロンのワースト作品は、なかなか選ぶことができません。
とどのつまりはここに納まる(笑)
「真夜中のミラージュ」は私にとっては収穫でした。TSUTAYAでリクエストして待って待っての鑑賞。これは私の好きなテイストだわ。
かなりの生臭さのあるないようなのだけれど、このあたりがおフランス感覚なんでしょうね。ドロン演じる男の内面を探る楽しみもあり、演技者ドロンを見ました。
「パリの灯は遠く」も非常に印象に残っていた作品でしたが、記憶に埋もれていて、トムさんと知りあって再鑑賞の機会を得られて嬉しかったですね。
「ハーフ・ア・チャンス」はその後のお二人はいかに?という下世話的興味で観た作品。ベルモンドが普通の親父になっていたのはちょっとショックだったけど、アクションは頑張ってお疲れ様!。ドロンは変わらずスーツ姿で崩れず、これはルコント監督と2人がノッて撮ったってところでしょうかしらね。
Commented by mchouette at 2009-04-24 14:46
ちょっと時間たっての続き。
>ジャン・リュック・ゴダール監督は、過去の自らの傲慢に自己批判し、
自己検証あるいは20世紀の自己を総括して、っていってほしいわ(笑)それに彼って、自己を語る術として映画を撮り続けてきたと思うの。ただ、21世紀になってからの彼の作品をみていると、自らの限界をも曝け出しているようにも思える。こっちで世界を論じている僕も、鼻歌歌って花を植えている僕もいる、って。
彼は人間を離れ、自然の営みにより関心がいってるみたい。「ヌーヴェルヴァーグ」でもそれを強く感じたわ。
「映画史」を一つの到達点として、それ以降の彼の作品には「老い」が描かれているように感じる。それ以上のことは私にはまだ言葉にするほど感じ取れていないけれど…
ちょっと、つっこみ。
>似非インテリに成り下がって
ゴダールが成り下がっているかどうか、インテリかどうかわからないけれど、多かれ少なかれインテリって似非じゃねぇか…そう思わん?(笑)
Commented by Tom5k at 2009-04-25 19:55
>シュエットさん、こちらにもありがとう。
>「真夜中のミラージュ」
ほんとうに隠れた名作ってあるものですよね。日本未公開はないよなあ。
>「パリの灯は遠く」
これは、もう、ジョセフ・ロージーにとっても最高傑作でしょう。フランス映画では「大いなる幻影」や「勝手にしやがれ」に匹敵すると思いますよ。
>「ハーフ・ア・チャンス」
ラウール・クタールやゴダールとの作品のあとに、この作品を撮ったことはドロンからすると意味深いものだったように思います。
そして、ルコントからしても「スペシャリスト」を撮ったあとにドロン&ベルモンドというのが、自身の幅を拡げる契機だったと。彼のなかではリュック・ベッソンあたりも意識してたんじゃないかな。

>自己検証あるいは20世紀の自己を総括・・・
確かにねえ!用心棒さんやオカピーさんのように、厳しい言葉でなかなか映画を語れないんですが、ここは、旧世代の映画を擁護するわたしの立場を鮮明にしたかったんですよ。
最近、オカピーさんの気を害することを覚悟で、またトリュフォー批判の記事を書きましたが、今回もシュエットさんの気を害することを覚悟しました(笑)。
Commented by Tom5k at 2009-04-25 19:55
>似非インテリ
いやあ、これも辛い表現なんですが、敢えてドロン批判も含めて思い切って書いてみたんです。
インテリも表現者(ここでは俳優)も、おっしゃるようにみんな似非かもしれないけれど、チャップリン、エイゼンシュテイン、今井正、今村昌平・・・・なんか観ているとゴダールの天才の行き着くところは、まだあるような気がするんです。
だって、社会が知識人を必要としたり、映画や歌や文学で生活の営みをよりよくしていくことって必要なことだと思うのです。
だから彼らの過去から考えて、これからまだまだ活躍してほしいんですよ。そして、その役割をわたしは求めたいんです。
だから一般の似非じゃなく、ほんもの志向で生きて欲しいです。
では、では。
Commented by 用心棒 at 2009-05-26 10:11 x
 トムさん、おはようございます!コメントをいただきまして、ありがとうございました。

 先週『天使と悪魔』を観に行きました。140分近い作品なのですが、劇場で観る価値は十分ありますよ。

 ヒッチコックやフィルム・ノワールのエッセンスを存分に使い、脚本もよく作りこまれていますので、お時間があれば、劇場へ足をお運びください。

 こっちはつぎは『チェ 28歳の革命』の記事を予定しております。

 ではまた!
Commented by Tom5k at 2009-05-30 23:20
>用心棒さん、レス遅れてすみません。
>『天使と悪魔』
おおっ!巷でもかなりの話題になっていますね。映画もなかなか行くことができなくて・・・。それにしてもヒッチコック、フィルム・ノワールのエッセンスとは、急に興味がそそられてきますね。
最近は、ドュミ&ドヌーブの「シェルブールの雨傘」「ロバと王女」などレンタルし、
成瀬監督の「放浪記」を観て、オカピー評で、なるほどなあ、と納得していたところです。
また、わたしの地元では、明日、「ふみ子の海」の上映があり、監督の近藤明男監督と主演の高橋恵子さんの講話も予定されており、行く予定だったのですが、所用でいけなくなり、がっかりしているところです。
>『チェ 28歳の革命』
これは、シュエットさんが、なかなか割り切れない作品だったようですが、用心棒さんの感想も楽しみです。
では、また。