『シシリアン』①~「フレンチ・フィルム・ノワール」の変遷~

 「フィルム・ノワール」とは、「黒い映画」を意味するフランス語で、1940年代から1950年代にかけて創られたハリウッド製の犯罪映画を総称し、フランスの映画評論家ニーノ・フランクが映画雑誌『レクラン・フランセ』(1946年8月号)で用いた用語だそうです。一般的には、ジョン・ヒューストン監督、ハンフリー・ボガード、メアリー・アスター主演の『マルタの鷹』(1941年)が、この体系の最初の作品といわれているようです。

 そのテーマや手法などの特徴的な傾向は数多くありますが、ほとんどは、犯罪が多発する夜の世界を舞台とし、複雑で難解な推理プロットで構成され、上流階級の破滅的な結末を都会の孤独な生活を遠因にして描いています。
 登場人物の孤独感や、作品テーマに反映されたペシミスティックな雰囲気を表現するためのボイス・オーバー(主人公の独白)とフラッシュバック、当時の検閲を巧みに逃れるために編集やプロットを工夫し、特にポイント・オブ・ビュー(多種多様の視点)での表現を工夫しています。
 また、非情の女を意味する美しい悪女「ファム・ファタル」を登場させ、男の論理を一貫させて女性を破滅させるか、女性の裏切りによる男の犬死を描く傾向を持ち、その代表的な女優としては、メアリー・アスター、リタ・ヘイワース、バーバラ・スタンウィック、アン・バクスター、ローレン・バコールなどが有名です。

 映画の主人公たちが身につけているピストル、トレンチコート、帽子や、都会の夜の霧、ビルの灯りや街灯、点滅するネオンサイン、自動車のヘッドライト、街路を濡らす雨と闇の陰影、探偵事務所の窓・ブラインド・換気扇・タバコの煙などを、ロー・キーの照明で撮影し、暗闇でのライティング効果を利用した色彩のないモノクロームの黒白画面で独特の雰囲気を作り出し、凝った言い回しや挑発的なワイズ・クラックなどのキザなセリフで、B級低予算の作品を映画史に残る体系にまで高めました。
 アーネスト・ヘミングウェイの影響を受けたダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、W.R.バーネット、ジェームズ・M・ケインなどの「ハード・ボイルド」小説を原作・モチーフにして創ったものが多いようです。

 ハリウッドでの1930年代のウィリアム・A・ウェルマン監督、ラオール・ウォルシュ監督、ハワード・ホークス監督、マイケル・カーティス監督らが、ジェームズ・キャグニー、ジョージ・ラフト、エドワード・G・ロビンソン、ポール・ムニらを主演にして制作されたワーナー・ブラザーズ社を中心とした一連の「ギャングスター映画」は、厳密には「フィルム・ノワール」とは呼ばれていないようですが、その多くの作品に影響を与えました。

犯罪王リコ 特別版

ワーナー・ホーム・ビデオ



暗黒街の顔役 [DVD]

ジュネス企画



白熱 特別版

ワーナー・ホーム・ビデオ



彼奴は顔役だ! 特別版

ワーナー・ホーム・ビデオ



 更に、「ドイツ表現主義」や戦後イタリアの「ネオ・リアリズモ」などの影響も合わせて強く受け、全盛期を迎えていくわけです。
 その代表的なものとしては、前述した『マルタの鷹』、ビリー・ワイルダー監督、フレッド・マクマレイ、バーバラ・スタンウィック主演の『深夜の告白』(1944年)、フリッツ・ラング監督、エドワード・G・ロビンソン、ジョーン・ベネット主演の『飾窓の女』(1944年)、オットー・プレミンジャー監督、ジーン・ティアニー、ダナ・アンドリュース、ヴィンセント・プライス主演の『ローラ殺人事件』(1944年)、チャールズ・ヴィダー監督、リタ・ヘイワース、グレン・フォード主演の『ギルダ』(1946年)、テイ・ガーネット監督、ラナ・ターナー、ジョン・ガーフィールド主演の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1946年)、オーソン・ウェルズ監督・主演、リタ・ヘイワース主演の『上海から来た女』などが有名です。
 典型といわれているハンフリー・ボガートとローレン・バコールが主演した作品には、ハワード・ホークス監督の『脱出』(1944年)や『三つ数えろ』(1946年)、デルマー・デイヴィス監督の『潜行者』(1947)、ジョン・ヒューストン監督の『キー・ラーゴ』などがあります。

世界名作映画全集 深夜の告白 [DVD]

GPミュージアムソフト



飾窓の女 [DVD]

ジュネス企画



ローラ殺人事件 <特別編>

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン



ギルダ [DVD]

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント



郵便配達は二度ベルを鳴らす 特別版 (1946年版) [DVD]

ワーナー・ホーム・ビデオ



上海から来た女 [DVD]

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント



脱出 特別版

ワーナー・ホーム・ビデオ



三つ数えろ 特別版 [DVD]

ワーナー・ホーム・ビデオ



潜行者 特別版

ワーナー・ホーム・ビデオ



キー・ラーゴ [DVD]

ワーナー・ホーム・ビデオ



 これらの作品傾向は、1950年代から1970年代にかけてのフランス映画にも定着し、一般的には、その創始者はジャック・ベッケル監督だとされ、ジャン・ギャバン主演の『現金に手を出すな』(1953年)とジョゼ・ジョヴァンニ原作の『穴』(1954年)が、その最初の体系と言われています。
 その先駆けとしては、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督の私立探偵を主人公とした『犯人は21番に住む』(1943年)や『犯罪河岸』(1947年)などが挙げられています。

犯人は21番に住む

ビデオメーカー



犯罪河岸

ビデオメーカー



 「ヌーヴェル・ヴァ-グ」の評論家達の主張していた作家主義においても、ハリウッドの「フィルム・ノワール」は絶賛され、自らの監督作品にもその要素を取り入れており、彼らの先輩格であるジャン・ピエール・メルヴィル監督の創作した多くの作品も、暗黒街を舞台にした「フレンチ・フィルム・ノワール」であったわけです。
 このようにフランスでは、映画人としての新旧世代やジャンルを問わず、それは評価され映画界に定着していきました。もっとも、定義づけについてはあいまいな部分も多く、フランス映画においての作風は、1930年代のハリウッドの「ギャングスター映画」に近い傾向の作品も含めた、広い意味での犯罪映画の総称になっています。

 フランスにおけるその代表的なスターは、戦前から活躍していた大スターであるジャン・ギャバンを始め、クラシック傾向の作品の多いアラン・ドロン、ジャン・リュック・ゴダール監督やアラン・レネ監督の「ヌーヴェル・ヴァーグ」の代表作品に出演していたジャン・ポール・ベルモンド、ジョゼ・ジョヴァンニのムショ仲間であったミシェル・コンスタンタンが上げられます。そしてリノ・ヴァンチュラ、イブ・モンタン、ジャン・ルイ・トライティニャンなども多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品に主演しています。

 『シシリアン』は、この代表的なスター、ジャン・ギャバン、アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラを出演させた非常に贅沢なキャスティングを組んで制作されました。

 まず、特筆すべきはジャン・ギャバンの出演です。
 彼は、戦後の『現金に手を出すな』よりも以前、戦前の「詩(心理)的レアリスム」の体系のなかで、すでに犯罪組織のボスや暗黒街に生きる孤独な主人公を、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、マルセル・カルネ監督、戦後間もなくのルネ・クレマン監督らの演出により演じています。

 ジャン・ギャバン主演の「詩(心理)的レアリスム」の作品は、1940年代のハリウッドで、「フィルム・ノワール」に大きな影響を与えた1930年代の「ギャングスター映画」の影響を少なからず受けており、更に、同様の影響を与えた「ドイツ表現主義」なども「詩(心理)的レアリスム」の源流のひとつであると言われています。
【(略)~こうしたペシミスティックな雰囲気の描写が、F・W・ムルナウの『最後の人』(1924年)やジュセフ・フォン・スタンバーグの『嘆きの天使』(1930年)など、ドイツ表現主義映画の風土から出発していることです。デュヴィヴィエの『望郷』(1937年)に至っては、アメリカのハワード・ホークスのギャング映画『暗黒街の顔役』(1932年)の影響をはっきりと受けています。フランス独自の映像美学と思われがちな「詩的レアリスム」は、けっして同時代の世界の映画の流れとは切りはなせないものでした。【引用~『フランス映画史の誘惑』中条省平著、集英社(集英社新書)、2003年)】

 これらのことを考えると、ジャン・ギャバンの得意とした暗黒街の孤独な主人公を登場させた戦前の代表作品の傾向は、ハリウッドの1930年代の「ギャングスター映画」にまで拡大されて総称となった「フレンチ・フィルム・ノワール」の土台となっていると、わたしには思えるのです。
 どの映画評論によってもフランスでの、それは、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督やジャック・ベッケル監督の作品以降であると体系づけられていますが、わたしは、この戦前の「詩(心理)的レアリスム」でのジャン・ギャバンの作品群にこそ、その源流があると思えてならないのです。

 特にジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品は、元来、ノワール的傾向の作品も多く、1932年の『モンパルナスの夜』などは、明らかに「フィルム・ノワール」作品としての傾向を持っています。
 戦後のジャン・ギャバンの演じた「メグレ警視」(ジャン・ドラノワ監督、ジル・グランジェ監督)は有名ですが、これはベルギー人作家ジョルジュ・シムノンが生んだ「セリ・ノワール」小説のこのシリーズの一遍である『男の首』を映画化したものです。ジャン・ギャバンは出演していませんが、1940年代のハリウッドの「フィルム・ノーワル」に最も近い傾向の作品です。
 しかもカイエ派が絶賛し、ジャン・リュック・ゴダール監督がフランスで唯一の「フィルム・ノワール」だとまで言い切った巨匠ジャン・ルノワール監督の「メグレ警視」を主役にした『十字路の夜』(1932年)よりも先立って制作されているのです。

 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督は、1936年にはジャン・ギャバンを主演にして、暗黒街の犯罪者ペペ・ル・モコを演じさせた大傑作『望郷』を撮るわけですが、後年、他の「詩(心理)的レアリスム」の演出家や脚本家の例に漏れず、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のカイエ派のシニカルで攻撃的な批判によって、彼の多くの功績は無視され、現在に至ってもなお不遇な扱いを受け続けています。

 トーキー時代初期のルネ・クレール監督から始まった「詩(心理)的レアリスム」の最高傑作は、その巨匠と位置づけられているジュリアン・デュヴィヴィエ監督、ジャック・フェデール監督よりも、更に若いマルセル・カルネ監督と、脚本を担当していた詩人ジャック・プレヴェールとのコンビによる『天井桟敷の人々』(1943~45年)でしょう。
 そして彼らがジャン・ギャバンを主演にした『霧の波止場』(1938年)や『港のマリー』(1949年)などは映画史上においても、ジャック・プレヴェールによるシナリオによるダイアローグの数々が絶品であり、『望郷』と同様に、この2作品ともノワール的な傾向を強く持った作品なのです。

 また、独特のリアリズム作品を多く生みだしたルネ・クレマン監督は「詩(心理)的レアリスム」の作品傾向とは一線を画しているように見えますが、ジャン・オーランシュとピエール・ボストのシナリオ・コンビと組んだ『禁じられた遊び』(1952年)、『居酒屋』(1956年)を制作していることから、やはりカイエ派の批判にさらされていきます。
 『鉄格子の彼方』(1948年)は、イタリアの「ネオ・リアリズモ」作品である『自転車泥棒』(1948年)のチェザーレ・ザヴァッティーニとチェッキ・ダミコのシナリオですが、ジャン・オーランシュとピエール・ボストに脚色させ、ジャン・ギャバンが主演していることもあって、彼の作品としては最もノワール的傾向の強い「詩(心理)的レアリズム」作品として位置付けられましょう。

 これらの作品の特徴を考えたとき、「フレンチ・フィルム・ノワール」が、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督、ジャック・ベッケル監督から始まったといわれている映画史体系は、それ以前の作品群が、いくらフランス映画の良質の伝統の体系であったとはいえ、戦前からのノワール傾向を持った演出や、ジャン・ギャバンたちの演じたキャラクターと演技等の素晴らしい実績を、あまりにも短絡的に無視してしまったようで実に残念なわけです。
 そのような意味では、フランス映画史の体系は今後、前向きな再編の必要性を要しているのではないでしょうか?

 映画史的な意味での「フィルム・ノワール」の懸案はさておき、ジャン・ギャバンは『シシリアン』のオファーを受けたときに

「ヤツをぶち殺す役ならドロンと共演してもいい。」

とジョークを交えて承諾したという逸話が残っています。
 これは粋で洒落たエスプリに富んだ発言です。俗物でありながら非常識で生意気、わきまえの無い青年などと言われていたアラン・ドロンを決して拒否せず、世間と同様の彼に対する憎さを、嫌みなく正直に、そしてほほえましく言えるジャン・ギャバンに、キャパシティの広さと後輩思いの親分肌を感じました。

 『シシリアン』での、さらに贅沢なキャスティングは、ル・ゴフ警部役のリノ・ヴァンチュラの助演でしょう。
 ラリー・アドラーのハーモニカの「グリスビーのブルース」を背景に、ボスのマックス役によって、以降のキャラクターを確立したジャン・ギャバンや、ジャンヌ・モローのファム・ファタルとともに、ジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』に出演した当時の彼は、ジャン・ギャバン主演の「フレンチ・フィルム・ノワール」作品での助演も多く、『筋金を入れろ』(1955年)、『赤い灯をつけるな』(1957年)、『殺人鬼に罠をかけろ』(1958年)などで素晴らしい名脇役としての共演を果たしています。
 彼のアラン・ドロンと共演したロベール・アンリコ監督の青春映画『冒険者たち』(1967年)も、ジョゼ・ジョヴァンニの原作です。

 クロード・ソーテ監督の『墓場なき野郎ども』(1960年)での主演、アンリ・ヴェルヌイユ監督の『太陽の下の10万ドル』(1964年)でのジャン・ポール・ベルモンドとの共演、ジョルジュ・ロートネル監督の『女王陛下のダイナマイト』(1966年)ではミシェル・コンスタンタン、ミレーユ・ダルクとも共演しています。ジャン・ピエール・メルヴィル監督とはジョゼ・ジョヴァンニ原作『ギャング』(1966年)や『影の軍隊』(1969年)で組んでいますし、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』(1957年)でさえ、刑事役で出演するほどでした。

 ジャック・ベッケル監督、ジェラール・フィリップ主演の『モンパルナスの灯』(1958年)での冷徹な画商の役や、テレンス・ヤング監督、チャールズ・ブロンソン主演の『バラキ』(1972年)での冷酷なマフィアのボス役が圧巻で、強烈な印象を残しました。
 彼は、「フィルム・ノワール」の世界では、最も優れた助演俳優なのです。

筋金を入れろ(字幕スーパー版) [VHS]

東映ビデオ



墓場なき野郎ども

アイ・ヴィー・シー



DVD名画劇場 バラキ

ジェネオン エンタテインメント




 そしてアラン・ドロンです。彼の「フレンチ・フィルム・ノワール」第1作目は、ジャン・ギャバンと共演した『地下室のメロディー』(1962年)です。演出も『シシリアン』と同様にアンリ・ヴェルヌイユ監督でした。失敗作とも言われていますが、自らのプロデュース作品であるアラン・カヴァリエ監督の『さすらいの狼』(1964年)もノワール傾向の色調の強い作品だと思います。

 また渡米後のハリウッド作品、当時エルヴィス・プレスリーと恋人だったアン・マーグレットと共演し、『危険がいっぱい』のラロ・シフリンが音楽を担当したマーク・ロブソン監督の『泥棒を消せ』(1964年)を忘れてはいけません。
 凄いのはジャック・パランスを初めとしたヤクザ・ファミリーでした。見るからに凄みのあるヤクザを続々登場させているこの作品の迫力を、わたしは忘れることができません。
 さらに犯罪者がまっとうに生きるために気質(かたぎ)になることの難しさや、父親としての我が子への愛情などを、アラン・ドロンが初めて演じた作品であり、後年ジョゼ・ジョヴァンニ監督とコンビを組んで製作していった70年代後半のアデル・プロダクションのテーマに通じる極めて重要な作品です。

 しかも、それはハリウッド作品であることから、1930年代の「ギャングスター映画」や1940年代以降の伝統的ノワール傾向を色濃く反映していますし、主人公エディのキャラクターは、ジョゼ・ジョヴァンニが原作者である『冒険者たち』の主人公マニュに通じるものを感じます。

 残念ながら、日本では30年近く前にゴールデン洋画劇場でTV放映されて以後、ビデオ・DVD化されておらず、わたしは早急に商品化すべき作品であるとまで思っています。
 その後、アラン・ドロンはハリウッド映画からフランス映画に復帰し、『シシリアン』の製作までの間にジョゼ・ジョヴァンニ原作の『冒険者たち』でリノ・ヴァンチュラと共演し、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の『サムライ』(1967年)、チャールズ・ブロンソンと共演した『さらば友よ』(1968年)、ミレーユ・ダルクと知り合った『ジェフ』(1968年)などの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品に主演していったのです。

 そして遂に1969年、この『シシリアン』により、『地下室のメロディー』以来7年ぶりの顔合わせであるジャン・ギャバンや、『学生たちの道』や『冒険者たち』で息の合ったコンビを組んだリノ・ヴァンチュラとの再共演が果たせました。
 「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スターであるアラン・ドロンは、彼ら大先輩に可愛がられて、更にスターとしての素養に磨きをかけることのできた幸せな俳優でした。

 わたしは、このような先輩たちと互角に渡り合えた『シシリアン』での撮影は至福の時だったと想像します。彼は、リノ・ヴァンチュラに追われ、ジャン・ギャバンに殺されるサルテの役に、歓びをかみしめながら演技していたに違いないと思うのです。
[PR]

by Tom5k | 2006-07-09 16:56 | シシリアン(3) | Trackback(1) | Comments(10)

トラックバックURL : http://zidai.exblog.jp/tb/3782355
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Tracked from 愛すべき映画たち at 2006-12-08 13:07
タイトル : 『シシリアン』(1969/アンリ・ヴェルヌイユ)
Le Clan des Siciliens(1969/フランス) 【監督】アンリ・ヴェルヌイユ 【撮影】アンリ・ドカエ 【音楽】エンニオ・モリコーネ 【出演】ジャン・ギャバン/アラン・ドロン/リノ・ヴァンチュラ まさかそこに飛行機を! ... more
Commented by オカピー at 2006-07-19 15:04 x
こんにちは。
②のほうですが、私の名前が載ることになり、光栄であります。別のブログでも本文中に私の名前がずらずらと載るなど、面映い現象に遭遇しております。

「モンパルナスの夜」と言えばジェラール・フィリップ、ではなくて、デュヴィヴィエの埋もれた(?)秀作ですが、この作品の系譜は意外なところにつながれていると思います。
黒澤明です。彼の「野良犬」そして、特に「酔いどれ天使」にはこの「モンパルナスの夜」の影が見えてしまうのです。この時代の黒澤は正に<詩的レアリスム>の体現者であったろうと思います。
Commented by Tom5k at 2006-07-19 22:31
>オカピーさん
他のブログでのオカピーさんの人気も上々で、日頃のご努力の賜物ですね。今後も更新記事、わたしも楽しみにしてまいります。

さて、確かに黒澤明監督には、おっしゃられている傾向があると思います。特に彼のヒューマニズムの表現はシナリオを大切にしたもので、セリフの特徴としてもポエジックな側面がありますし、画家であった経歴から、絵画的な美しさが映像の特徴です。フランスの古典と我が国の巨匠の一致点など面白い傾向ですねえ。
言われてみれば、黒澤の次の世代に、松竹ヌーヴェル・ヴァーグが位置しています。映画の世界には不思議な魅力が溢れていますね。
Commented by オカピー at 2006-07-21 00:57 x
歴史のダイナミズムというものは必ずあるもので、歴代王朝も長くて270~280年間が限度だったり、そうしたダイナミズムは映画の世界も例外ではないようですね。
しかし、そうした中でまたトリュフォーのような新古典主義とでも言うべき才能が古き良きものを再現するようになり、歴史は繰り返すのでしょう。トリュフォーには初期の頃からクラシックな感じがあり、他のヌーヴェルヴァーグの諸氏とは違う印象を持っていましたし、現在一番人気があるのはトリュフォーでしょう。後年デュヴィヴィエ再評価になっていったのは必然のような気がします。
Commented by Tom5k at 2006-07-22 22:16
>オカピーさん
おっしゃるとおり、一般的に最も人気が高い監督は、トリュフォーかもしれませんね。
後年自ら批判していたフランス映画の「良質の伝統」に還ったというカイエ派の旧友たちの批判こそ、その証明に他ならないのかもしれません。
わたしの嗜好でいえば『黒衣の花嫁』や『アデルの恋の物語』『隣の女』など女性の恋愛の究極を描いていた作品が強烈な印象です。
俳優としてはスピルバーグ監督の『未知との遭遇』にも出演していましたよね。
Commented by オカピー at 2006-07-23 02:24 x
おおっ、嗜好は同じですね。
映画文法的には「突然炎のごとく」が凄いと思いますが、人間の原罪を抉り出そうとしたような「隣の女」、文字通り恋愛の究極を描いた「アデル」、ミステリーとしても抜群の「黒衣の花嫁」は大好きですね。「恋のエチュード」にも一時期かなり参っていた時期があります。
ジョナサン・デミの全くお粗末なリメイク「シャレード」の幕切れ(もしくは終盤の一部、確かな記憶なし)が、「黒衣の花嫁」の幕切れのオマージュでした。レンタルにでもあったらご確認されてみるのも一考かと。但し、全くの駄作です。
Commented by Tom5k at 2006-07-24 20:28
>オカピーさん
トリュフォーは、わたしにもオカピーさんにも、古典に回帰していった作家として、嗜好に合ったのかもしれませんね。
『恋のエチュ-ド』は未見です(近所のレンタル屋に無いんですよ)。しかしオカピーさんに刺激を受け、久しぶりにトリュフォーが見たくなってきましたので、先ほど『ピアニストを撃て』を借りてきましたよ。

『シャレード』は、かなり以前ですが、観ています。ヘップバーンは嫌いではありませんので。『黒衣の花嫁』へのオマージュ的シーン気になりますね。気がついていませんでしたので、機会があれば再見してみたいです。
今日は『ピアニストを撃て』観て、寝よう。
では、また。
Commented by オカピー at 2006-07-25 03:15 x
すみません。書き方が悪かったようです。

>「シャレード」
スタンリー・ドーネンの「シャレード」{勿論オードリー出演作)をヒッチコッキアンを称するジョナサン・デミがとんでもない駄作に作り変えたリメイクのことです(二本では未公開)。レンタルにでも置いてありましたら、さっと飛ばして終盤部分だけご覧下さい。デミはヒッチコック・ファンなので、その繋がりで「黒衣の花嫁」となったのかもしれません。
オリジナルは傑作ですよ。オードリーの主演作品で駄作は「緑の館」のみ。
Commented by Tom5k at 2006-07-26 21:05
>オカピーさん
そうですよね。今回とても不思議だったのです。
【オードリーの『シャレード』ってリメイクだったっけなあ?その『シャレード』が駄作?オカピーさんも厳しい評価をするなあ。】 などと、ひとりで混乱していました。
いやはや、ご丁寧な追記、申しわけありませんでした。
Commented by micchii at 2006-12-08 13:13 x
初めまして、TB&コメントありがとうございました。
にじばぶさんのところで、お名前はお見かけしておりました。
アラン・ドロン、今のところUPしているのは他に『レッド・サン』と『さらば友よ』ですが、やはり『さらば友よ』が好きですね。
UPしていない作品でも『冒険者たち』などは観ていますが、まだまだ数えるほどしか観ていないので、これから少しずつ観ていきたいと思います。
記事が凄く詳細で大変勉強になります。
今後とも宜しくお願い致します。
Commented by Tom5k at 2006-12-08 21:54
>micchiiさん、いらっしゃいませ。
にじばぶさんのブログには、ときどきTBやコメントをさせていただいています。
映画として素晴らしいものばかりなのですが、アラン・ドロンは、どうしても、共演者を引き立ててしまい、共演者の評価が高くなってしまうような作品傾向があるように思います。
『レッド・サン』、『さらば友よ』、『シシリアン』、『冒険者たち』などは、すべてそのような作品ですが、相手の俳優たちもドロンと共演したことで、単独で主演した作品よりも素晴らしいキャラクターが引き出されているような気がします。
わたしは、アラン・ドロンに関わっては、「俳優」としてこだわってきたのですが、スターシステムにおける彼にも不思議な特徴と、独特の魅力があるように思っています。
では、また。