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映画作品から喚起されたこと そして 想い起こされること

by Tom5k

『地下室のメロディー』⑤~「アラン・ドロン」の原型、ギャバンとの邂逅とアメリカへの野心② ~【改訂】

【<『地下室のメロディー』⑤~「アラン・ドロン」の原型、ギャバンとの邂逅とアメリカへの野心① ~>から続く】
 まず、『面の皮をはげ』でのジャン・ギャバンですが、この作品では過去にジュリアン・デュヴィヴィエやマルセル・カルネが演出した脱走兵や前科者など、逃亡者の典型的なキャラクターからの脱皮が試みられています。
 犯罪者である過去があり、それをひた隠しにしている主人公の設定までは同様なのですが、彼は現在でもギャング組織のボスとして君臨し、キャバレー、カジノ、映画館の経営者など、実業家としての地位を築くことにも成功しています。更に、資産家の妻を持ち、過去に決別した仲間の息子を引き取り弁護士として立派に育てあげています。

 ジャン・ギャバンがこのような分裂した人格の主人公を演じていることは珍しいのではないでしょうか?
 しかし、敵方のギャングとの抗争がメディアの恰好の的となって、隠していた自分の過去が世間に明るみになり、これが原因となって、現在の地位・名誉に加え、大切な家族すら失い、そして、最期には警察の銃弾を受け非業の死を迎えてしまうのです。

 この主人公の設定及びそのプロットは、ジョゼ・ジョヴァンニ監督がアラン・ドロンを主演にした『ブーメランのように』(1976年)に、あまりにも似通っており、私は本当に驚いてしまいました。ジョゼ・ジョヴァンニは、この作品からかなり大きな影響を受けていたのではないでしょうか?

 次に、『Leur dernière nuit(彼らの最後の夜)』ですが、この作品では、後半から戦前から得意としていた追われる逃亡者の役柄を踏襲したものとなっており、非業の死を迎える悲劇のヒーローと過去を持つ美しいヒロインとのロマンスを基本としています。
 今回、ヒロインを演じるのはマドレーヌ・ロバンソンです。私としては、アラン・ドロンが、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品に初めて出演したオム二バス『フランス式十戒』(1962年)の口うるさい母親役のイメージが強かったのですが、この作品ではドラッグに溺れていた過去を持ち、心に闇を抱えている美しい魅力的なヒロインを演じています。

 私は、『生きる歓び』(1961年)での母性の優しさ、美しさを備えた革命家の妻、『山猫』(1962年)での世間知らずで滑稽な初老の貴族などを演じたリナ・モレリにも驚いていたのですが、一流の女優というのは、全く異なる個性を自然に演じることが出来るプロフェッショナルだということをこの作品のマドレーヌ・ロバンソンからも大きく感じました。

 この作品でジャン・ギャバンが演じているのはギャング団のボスですが、表向きは図書館司書長という地味な職業に就いています。過去のヒーロー像の原点に回帰しつつ、やはり、『面の皮をはげ』のように二面性を持つ犯罪組織の首領役にキャラクターを転換させています。

 また、この作品で私が最も印象に強かったのは、ジャン・ギャバンが銀行強盗の逃走中に衝突事故で逮捕されたときの護送車からの逃走シークエンスです。護送車が信号停止中にその床板を剥がしたハッチ状の空間から脱走するプロットとなっており、『シシリアン』(1969年)冒頭でのアラン・ドロンの護送車からの脱走と全く同様の描写なのです。まさか、『シシリアン』のこのシークエンスが16年前の『Leur dernière nuit(彼らの最後の夜)』の焼き直しだったとは、全く想像もしていなかったので本当に驚きました。

 そして、やはり最後には、警察の追跡に遂に力尽きた逃亡者の哀しい末路が用意されており、彼が十八番にしていた非業の死には、情緒漂う港町の波止場が舞台に選ばれていました。

 この作品は、マドレーヌ・ロバンソンという魅惑的で素晴らしい女優を相手役に迎え、ラブ・ロマンスの要素をテーマにしながらも「フレンチ・フィルム・ノワール」の傾向を多分に含んでおり、『現金に手を出すな』の原型の一つとして、そして、アラン・ドロンやリノ・バンチュラと共演した『シシリアン』にまで繋がっていく隠れた逸品なのです。そして、やはりアラン・ドロンが、ジャン・ギャバンの後を追っていたスター俳優だったとリアルに実感できたことは、私には非常に感慨深いことでした。

 このように、『面の皮をはげ』と『Leur dernière nuit(彼らの最後の夜)』の二作品のジャン・ギャバンは、第二全盛期を迎える『現金に手を出すな』以降の「フレンチ・フィルム・ノワール」で演じ続けた犯罪組織のボスとしての在り方に辿り着くことに成功しています。
 人生での成功や飛躍などは一朝一夕に突然出現するものではありません。むしろスランプ期などにきらりと光る端緒やきっかけとなるものがあり、その原石のようなものに磨きをかけていくことが、成功や飛躍への第一歩なのだと、そんなことにあらためて気づかされる二作品でした。

>ジャン・ギャバン
 私は35歳くらいの時、戦争に行って、帰って来た頃はまだ若かったのに、髪が白かった。これはコンプレックスだった。そして、その当時の映画では悲しい役ばかりやっていた。私はもっとよくなろうと思っていた。肉体的にも精神的にも人生が刻まれなくては・・・と。そして、すごいチャンスが‘‘現金に手を出すな”(53)でやってきた。(略-)
【『Jean Gabin わがジャン・ギャバン』銀河協会編、英知出版 昭和52年6月25日】

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 ジャン・ギャバンは、このニ作品により自分自身の戦前・戦後の各全盛期の橋渡しをするとともに、実業家・知識階級として犯罪者の首領であることを覆い隠した二面性を持った主人公のキャラクターを演じ、戦後世代の後継者とも言えるアラン・ドロンへの映画史的バトン・タッチのきっかけとなる非常に重要な作品を生み出したようにも思うわけです。

 そして、1953年の『現金に手を出すな』から、1962年の『地下室のメロディー』までの10年間にジャン・ギャバンは、多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品、例えば、『その顔をかせ』(1954年)、『筋金を入れろ』(同年)、『赤い灯をつけるな』(1957年)、『Le cave se rebiffe(親分は反抗する)』(1961年)などでギャング組織のボスを演じ続け、そのキャラクターは大スターの風格とともに定着していきました。
>当時の作品を何本か再見したんですね、そこで『地下室のメロディー』の話をしたいのですが、ギャバンと共演しています。彼はあなたの共演者であり、同時に師匠でもあった:役者と演じる人物の間である種伝わるものを感じます。
>アラン・ドロン
 『地下室のメロディー』の頃は、ギャバンは元気一杯だったよ。彼は常にボスで素晴らしい役者だった。彼とは共通点があった。彼同様、私も昔軍人で、船員だったんだ。私同様、ギャバンは最初は役者じゃなかった。ミュージック・ホールやカフェ・コンセール以外は、同じ道を歩んで来てた。ギャバンはフォリー・ベルジェールの階段を(キャバレー)でミスタンゲットの後ろで降りていた、するとある日役者をやってみないかと勧められた。ちょっと修理工をしてたアラン・ラッドやサーカス出身のランカスターみたいなものだね。これが正に役者ってものだ。
【引用 takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事  2007/6/4 「回想するアラン・ドロン:その2」(インタヴュー和訳)」カイエ・ドュ・シネマ501号掲載

 このような「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スター、ジャン・ギャバンと共演したことによって、「アラン・ドロン」キャラクターの基礎工事が実践され、『地下室のメロディー』が、彼の将来への飛躍のための作品になったのだと考えることができます。

 そして、アラン・ドロンは、この後、戦前のフランス映画の黄金時代を体系づけていた「詩(心理)的レアリスム」、その第二世代の代表であったクリスチャン・ジャック監督の「剣戟映画」の体系にある『黒いチューリップ』(1963年)に主演します。

 フランスにおける「剣戟映画」の全盛期は1950年代から1960年代初頭でしたが、ジェラール・フィリップ主演、クリスチャン・ジャック監督『花咲ける騎士道』(1952年)、ジョルジュ・マルシャル主演、アンドレ・ユヌベル監督『三銃士』(1953年)などから、ジャン・マレーの時代にその全盛期を担っていきます。

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 ジョルジュ・ランパン監督『城が落ちない』(1957年)、アンドレ・ユヌベル監督『城塞の決闘』(1959年)、『快傑キャピタン』(1960年)、ピエール・ガスパール=ユイ監督『キャプテン・フラカスの華麗な冒険』(1961年)、アンリ・ドコワン監督『鉄仮面』(1962年)などがありました。

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 しかし、その後の「剣戟映画」が、映画史的な意味での位置づけにさして重要なポジションを占めることができなかった結果を鑑みれば、当時からこの映画体系に映画ファンの安定した需要があったものとも思えません。目先の効くアラン・ドロンには、そんなことを敏感に感じ取ることができていたのかもしれません。

 また、1962年に製作を開始したクリスチャン・ジャック監督、アンソニー・クイン共演の「冒険活劇」の超大作『マルコ・ポーロ』の企画も、ドニス・ド・ラ・パテリエール監督、ホルスト・ブッフホルツ主演に交代してしまいました。
 この作品の製作者は、ブリジット・バルドー主演『素直な悪女』(1956年)を初め、ロジェ・ヴァデム監督の作品やマルグリット・デュラス原作、ピーター・ブルック監督の『雨のしのび逢い』などをプロデュースしたラウール・レヴィでしたが、彼はアメリカ・ナイズされた「ヌーヴェル・ヴァーグ」のプローデューサーとして活躍していた人物でした。

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 当時のアラン・ドロンは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派に批判されていた映画作家だったクリスチャン・ジャックのもと、『太陽がいっぱい』で、ルネ・クレマン監督がポール・ジェコブの脚本やアンリ・ドカエのカメラ、共演のモーリス・ロネを取り込んだように、ラウール・レヴィの作品に出演することによって新時代を席巻していた「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品に対する勝算に野心を持っていたのかもしれません。

 アラン・ドロンは、このような実績を持つラウール・レヴィとの企画を果たすことができず、大きなショックを受けたのではないでしょうか?
 彼が、「剣戟」や「冒険活劇」の映画スターとして活路を見出せなかったことは、やむを得ないことだったかもしれません?

 また、『危険がいっぱい』(1963年)で、三本目となるルネ・クレマン監督も同じく旧世代の映画作家でしたし、ルイ・マルの助監督として育成された若手のアラン・カヴァリエ監督による『さすらいの狼』(1964年)も戦前の「詩(心理)的リアリスム」の作風による作品でした。この公開に関わっても、アルジェリア問題による検閲等が厳しく財政的な大きな痛手もこうむってしまいます。

 ここでもう一度この時期の作品の中で、ハリウッドでも通用する要素を持ち、「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品に勝算を持つ企画を再考したとき、やはり、ジャン・ギャバンと共演した『地下室のメロディー』が浮かび上がってくるのです。
 この作品は、カラーバージョンがアメリカ公開用として制作され評価も高く世界中で大ヒットしまた。
 それもそのはず、1950年代以降のアメリカ映画では、現金や宝石の強奪をストーリー・プロットとして扱った作品が盛んに量産されていました。
 ジョン・ヒューストン監督、マリリン・モンロー出演『アスファルト・ジャングル』(1950年)から始まり、スタンリー・キューブリック監督『現金に体を張れ』(1956年)、ハリー・べラフォンテ主演『拳銃の報酬』(1959年)、ルイス・マイルストン監督、フランク・シナトラ一家総出演『オーシャンと十一人の仲間』(1960年)などはハリウッド映画史においては重要な「フィルム・ノワール」の名作品です。

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 アラン・ドロンが当時の現状を打破するために、『地下室のメロディー』を跳躍台にして、アメリカ映画への野心を現実的なものにしようと考えたことも無理はありません。まして、『地下室のメロディー』は、初めて彼が世界市場(ロシア、ブラジル、日本)への配給権を取得した作品でした。

>当時、神話は全てアメリカからやって来ていた。
>アラン・ドロン
 その通り。僕らにはバルドーしかいなかった。あちらさんにはエヴァ・ガードナー、リタ・ヘイワース、それからマリリン・モンローが少し遅れてやって来た・・・そう、スターたちは大西洋の向こう側だった。
【引用 takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事  2007/6/4 「回想するアラン・ドロン:その2」(インタヴュー和訳)」カイエ・ドュ・シネマ501号掲載

 残念ながら、アラン・ドロンのアメリカでの人気は、結果的に芳しいものにはならず、キャリアのうえで充分な成功を収めることは出来ませんでしたが、後年のジョゼ・ジョヴァンニ監督との三部作の原点とも考えられる作風の『泥棒を消せ』(1964年)に主演することができました。

 いずれにしても、アラン・ドロンが代表作『サムライ』以降の「フレンチ・フィルム・ノワール」作品での人気全盛期を迎える序章として大きな影響力を持った作品が、次の四作品だったとは思います。
 ・ 彼の銀幕デビュー作品、『Quand la Femme s'en Mele』
 ・ ジャン・ギャバンとの共演作品、『地下室のメロディー』
 ・ 念願だった自社プロダクションによる製作作品、『さすらいの狼』
 ・ アメリカでの野心作、『泥棒を消せ』

 そして、この中でも、最も成功し未来への展望を持てた作品が『地下室のメロディー』だったわけです。

 『地下室のメロディー』では、ジャン・ギャバン演ずるシャルルの妻ジネット(ヴィヴィアンヌ・ロマンス)やアラン・ドロンが演ずるフランシスの恋人ブリジット(カルラ・マルリエ)などの女性は重要な登場人物としておらず、また、カジノの現金強奪は、シャルルとフランシス、その兄モーリス・ビローが扮するルイが協力し合って計画し実行しますが、ルイが現金強盗に嫌気が差し現金強奪後は彼らの元から離れていきます。

 これらの人物構成のプロットは、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の伝統的特徴である「男同士の友情と裏切り」が緩和され、「男同士の協力と離反」となっていますが、この体系を充分に準用した設定だったと思います。
 加えて、シャルルとフランシスが落ち合うビリヤード場、カジノの夜の情景、ナイトクラブ、ダンスホールの舞台裏、エレベーター昇降路・送風ダクト内・車のヘッドライト、煙草・酒・鏡・サングラスなど、オリジナル・バージョンではモノクロームを基調として光と影のコントラストで描写した舞台や小道具も、この作品のノワール的特徴だと言えましょう。

 後年、ここでのジャン・ギャバンとの邂逅から、『シシリアン』(1969年)、『暗黒街のふたり』(1973年)が生み出され大きなヒットを記録していくことになります。
 また、1967年の『サムライ』以降の多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品、例えばジャン・ピエール・メルヴィル、ジョゼ・ジョヴァンニやジャック・ドレーが演出した作品など、いわゆる多くの「アラン・ドロン」キャラクターへの確立には、上記四作品への主演の経験が大きかったでのでしょうし、取り分け、この『地下室のメロディー』でのジャン・ギャバンとの共演が不可欠であったと私は考えているのです。

【ギャバンも多くを教えてくれました
30~40年遅れて私は彼の後を追いかけたんです(アラン・ドロン)】
【『アラン・ドロン ラストメッセージ 映画、人生・・・そして孤独』について(2019年 09月 07日)平成30年9月22日(土)10:30NHK BSプレミアム】

【(-略)全く異質な人間が、ある一作の中で、すれちがった。栄光のバトンを手渡し、ひとりはそのバトンをもって、夢中でかけ出す。明日という日へ向って-。】
【スクリーン1963年11月号「ギャバン対ドロン」秦早穂子】

by Tom5k | 2019-10-27 13:53 | 地下室のメロディー(5) | Trackback | Comments(14)
Commented by 用心棒 at 2019-11-05 00:13 x
こんばんは!

マリー・ラフォレが亡くなりましたね。80歳を越えていたようなので、長生きの部類でしょうが、映画で見たことのある方が毎年亡くなっていくのは寂しいですね。

ではまた!
Commented by Tom5k at 2019-11-10 13:55
>用心棒さん、こんにちは。
返信おくれました。すみません。

>マリー・ラフォレ
やっぱり、ショックですよね。
今はいつでも自宅でDⅤDで観ることのできる時代ですから、あの若いマルジュや「赤と青のブルース」の溌剌とした彼女しか頭に残っていない中、唐突感が否めません。

それと、カトリーヌ・ドヌーブも入院したとか。彼女の場合は、現在の活躍の情報が常時ありますから、まだ高齢である印象があり「シェルブールの雨傘」や「昼顔」との隔離は少ないですけれども・・・。

まあ、今、我々は、逃亡者ぺぺルモコから嘘つきマックスに脱皮する世代・・・ひと頑張りしましょう。

では。

P.S.
それから、とんでもない記憶誤りがありました。
「冒険者たち」中学生時代(1978年頃)のリバイバル公開の配給が日本ヘラルドではなく、ジョイパックフィルム(現ヒューマックスシネマ)だったようです。
あのとき、確かにドロンの歌エンディングだったと思うんですが・・・。
もしかしたら、テレビ放映版からだったのか、ビデオ編集版からだったのか・・・誰か詳しい方いませんかね(笑)。
Commented by 用心棒 at 2019-11-10 17:33 x
こんばんは!

>記憶違い
ぼくら世代は思い込みが強く、しかも周りのみんなもそうだから、何か言われても内心で俺が正しくて、こいつらは記憶がおかしいのだ!と感じますww

>詳しい
トムさんよりドロンに詳しい人はフランスのマニアかご本人しかいないのでは?

ではまた!
Commented by Tom5k at 2019-11-17 10:27
>用心棒さん、こんにちは。
>内心で俺が正しく・・・
ええ、全く私もそうなってますよ。でも、あまり良くない傾向ですよね(笑)。わたしの場合、さらに「どうせ、最後におれが勝つ」などと余計な想いまで持ってしまいます(笑)。

>トムさんよりドロンに詳しい人・・・
ありがとうございます。たいへんうれしいです。
でも、ソフト化されたものや映画会社やソフト販売における業界情報は、版権や著作権などがどう処理されているのか・・・北海道の田舎サラリーマンですので、そういった業界に友人・知人もいませんし・・・なかなかピンとこないことも多いですよ。

アラン・ドロンも時代的にファンが少なくなっていますし、オールド世代の「あの人は今」の体系のスターであって、ボギーやジェームズ・ディーンのような伝説のスターまでのレベルではなく・・・映画史的には、ヴィスコンティ、メルヴィル、ロージーなどの「巨匠に愛されたスター」の位置でありドロン単独での研究者も少ない・・・日本での映画史的位置づけは、悔しいですが、淀川長治が言っていましたが、トロイ・ドナヒューの位置(つまりアイドル)でしか評価しきれていないのが、今のところなんでしょう。
自国フランスでも恐らく未だに「パパの映画」のスターですし・・・。

ゴダールはドロンのプロデューサーとしての過去の作品をイーストウッドの監督作品と並列して、映画ファンの求めているいるものと彼らの作品が合致していることが、むしろ映画の役割の難しさになっているとの要旨で論じていました。
たぶん、実際にドロンを使ったうえでの評価なのでしょうが、一朝一夕に結論が出るものではないでしょうね。

では、また。
Commented by 用心棒 at 2020-01-01 10:49 x
明けまして、おめでとうございます。

『國民の創生』はとても衝撃的な作品ですよね。映画の良いところも悪いところも網羅しています。技術的な面では最先端を走っていますし、感情誘導のコントロール力もずば抜けています。

当時の一般的な白人たちが思っていたことを見事に表現したからこその大ヒットでしょう。反省を促す『イントレランス』は結果的に大失敗ですし、難しいですね。

最近は映画よりも昔好きだったレコード鑑賞にハマり、ビートルズ関連、ツェッペリン、YMO、RCサクセションなどを買いあさっていますwww

それでは今年も健康第一で頑張りましょう!

ではまた!
Commented by Tom5k at 2020-01-03 01:55
>用心棒さん、今年もよろしくお願いします。
本当に年末に観た「國民の創生」は、久しぶりに私の人生観を覆すほどの内容でした。
あのオカピーさんでさえ、観ることを勧めないなどと言っていました。本当にその意味が良くわかりました。
エイゼンシュテインを観てもボリシェビキを肯定するなんてことは無かったんですがね・・・。
今回、私が学んだことは、とにかく物事は平行線では変わらないということです。それぞれの立場や事情によって、まずは全てを肯定的に捉えて、初めてスタートラインに立てるんでしょうね。怖いのは立場が分かると自分がそこの一員になってしまうような恐ろしさでした。

私は年明け早々にアルドリッチの「ベラクルス」のDVDを発注しました。まだ届いていませんが、楽しみです。
用心棒さんはご覧になったことありますか?

最近、私は「レッド・サン」のアラン・ドロンの役作りのオリジナル映画であるとの仮説を立て、そして確信しています。多分間違いないと思います。
「レッド・サン」のゴーシェは、間違いなく「ベラクルス」のジョー・エリンですよ。ジョ―は左利きじゃないですが、銃さばきが非常に似通っているようですし、そもそも最後の野垂れ死にがそっくりです。
しかも、ドロンがジャン・ギャバンと同様に敬愛していたのが、バート・ランカスターですから・・・。

年始からドロンの話題ばかりですみません。

>ビートルズ関連、ツェッペリン、YMO、RCサクセション・・・
おおっ!さすが用心棒さんです。センスが良いですね!
私はツェッペリンが大好きでした。ヤードバーズ時代から好きだったという親しかった先輩がいてかなり影響を受けました。

「天国の階段」「ロックンロール」「胸いっぱいの愛を」・・・特に「移民の歌」は、ロバート・プラントのあの叫びのような、悲鳴のようなボーカルに痺れましたよ。

そういえば、紅白にキッスが出ていましたね。もう彼らも年ですから生き方もいわゆるロックじゃないと思いますが、当時、私も大好きだった「ロックンロール・オールナイト」を選曲したセンスは素晴らしかった。もうすでに古典・・・クラシックですよね(笑)。
もうエース・フュレーリーもピーター・クリスもいなくて淋しかったですが懐かしく嬉しかったです。

では、今年も精力的に頑張っていきましょう。
Commented by 用心棒 at 2020-01-03 16:27 x
こんにちは!

>國民の創生
覚悟を決めてから見ないとダークサイドに持って行かれますね。
それだけ魅力的な映画という意味もあります。

>アルドリッチ
未見です。『レッド・サン』は遠い昔に見ましたので断片的です。

>移民の歌
ゼップはアナログを再び集めて行き、ファーストから『プレゼンス』までを聴いています。『Ⅲ』はアコースティックな曲が多く、当時のファンからは批判されたそうですが、1年ちょっとの間に立て続けに三枚も出せば、いつまでもガキに合わせて、同じようなモノばかり作るのは大人ならば飽きるのは当たり前という視点が抜けているように思えますし、『Ⅲ』を間に挟むからこそ『Ⅳ』の必然性が見えてくる気がします。

ビートルズとゼップは批判やからかいが許されない対象になっているのは残念ですが、それはぼくも含め、ファンたちの高齢化のせいかもしれませんwww

>YMO、RCサクセション
今でこそ再評価されていますが、昔はただただマイナー派でしたwww
両者ともメイクをして登場することが強烈なイメージを持つ時代でしたので、キワモノ扱いでした。プリンスも好きでしたが、日本では音楽では評価されずに気持ち悪いとしか周りの連中は思っていませんでした。両方ともレコードはすべて集め直しましたwww

>キッス
驚きましたね。ジーンも引退すると数年前から言われていました。当時は日本での邦題が無茶苦茶で何でもかんでもアルバムやシングルのタイトルに“地獄の”って付けられていましたwww

ではまた!
Commented by Tom5k at 2020-01-05 16:10
>用心棒さん、こんにちは。
年末年始休暇も最終日になってしまいましたが、長い休暇いかがでしたか?
>ビートルズとゼップ
ビートルズは別格でしょうね。私はビートルズと言えば何かと引き合いに出されていたストーンズの方が好きでしたが・・・。
それにしても、ディープ・パープルやレッド・ツェッペリンよりもクイーンやキッスが次々と世代を超えてファンを再生産していること、ハード・ロックではなくへヴィ・メタが一般化したこと。
私の当時の価値観と真逆になってしまってます。
基本的に私は音楽のセンスに未来予測が無かったんだろうなあ(笑)。

>YMO、RCサクセション
忌野清志郎も坂本龍一も素晴らしい音楽家だと思います。
彼らの音楽には魂があったような・・・今、活躍している多くのミュージシャンは音楽に必要な自己顕示と才能、そしてファンとの共感なんかは十分あると思うんですが・・・もっとも私が大切だと思う「闘い」が今のミュージシャンには足りないように思ってしまいます。

では、また。
Commented by 用心棒 at 2020-01-25 21:41 x
こんばんは!

>年末年始
うちの会社では連休中は交代で出社する体制になっているのでようやく月曜から3連休に入れます。ふつうに休みたいですが、正月に甥や姪から逃げるには好都合です。

>クイーンやキッス
80年代までは両者ともキワモノ扱いだったのに隔世の感がありますね。

>当時の価値観
ぼくもメタルはあまり好きではありませんでした。

>足りない
迎合しすぎな気がしますね。建前ばかりで心の奥を抉るような気合は感じません。まあ、苦労知らずの若い子たちは本質に触れられると逃げ出しそうな気がします。

アーチストに限らず、今の20代の人たちって、好況しか知らないので、いざ不況になった時に権利ばかり主張し、義務を果たさない傾向が強い若い子たちは真っ先にリストラされるのではないかと思っています。

ではまた!
Commented by Tom5k at 2020-01-26 17:55
>用心棒さん、こんばんは。
クィーンのライブが埼玉のアリーナでやっていたと新聞に出ていましたね。
まだ、活動していたんですね(笑)。
でも、フレディ・マーキュリーのいないクィーンというのもピンと来ませんよ。
当時(中学生の頃)、クィーンなんてっ!へっ!
というように一丁前に生意気な私だったんですが「華麗なるレース」と「オペラ座の夜」のアルバムは気に入って買ってしまってましたよ。
日本語で、手をとりあってこのままいこう とフレディが歌っていたのを思いだします!!
それにしても、
昨年はマリーラフォレやアンナ・カリーナ、ミッシェル・ルグラン、エマニエル・ウンガロなどフランスの有名人、他にもピーター・フォンダ、スタンリー・ドーネン、フランコ・ゼフレッリ、ドリス・デイ、が逝ってしまいましたね。さみしいですね。
もう他人事じゃないし、つくづく嫌になります。人生は短すぎますね。
では、また。
Commented by 用心棒 at 2020-01-26 23:51 x
こんばんは!

ヤフーニュースでクイーンライヴのことが出てましたね。ピストルズが何年か前にオジサンたちでライヴをしていましたが、あちらはジョン・ライドンは存命。クイーンはヴォーカリストが亡くなっている。どんな感じなのでしょうね。

ニュースを見てから、ついつい聴きたくなり、昔買ったクイーンのベスト盤LPレコードを引っ張り出してきましたwww

手を取り合っても入っていますねwww

ではまた!
Commented by Tom5k at 2020-01-27 23:04
>用心棒さん、こんばんは。
それにしても、音楽も含めて、現在(代)は最も(文化の)闘いを忘れた時代だと私は思います。闘わずして何が得られると言うんでしょう。喧嘩(大きく言えば戦争)を必要とするという意味、好戦的であらねばならないという意味では無くて、相手と・・・場合によっては自分と、正面から向き合って格闘していく気概を持つ映画や音楽、つまり「文化」が何故これほど貧困なのか?
だから、私の場合はキッスやクイーンでなくピンク・フロイドやストーンズだったのです。

大きく例えれば、健康で文化的な最低限度の生活とは、最低限度の闘いの権利の事ではないでしょうか?もっと言えば闘いは権利では無く義務ではないかと思う昨今です。もっと必死に闘っているような映画や音楽が必要な時代だと、そのファンとして思いますし、そんな文化を求めたいのです。
取り留めのないコメントをしてしまいました。すみません。
でも、「手をとりあって」や「ロックンロールオールナイト」は確かに魅力的です。

では、また。
Commented by 用心棒 at 2020-02-04 00:33 x
こんばんは!
たしかに喧嘩はいけないとか、暴力はダメだとかいう人たちは昔はやられていたほうでしょう。彼らが大人になって作り上げた世界は動物的には弱くて劣る者を優遇しすぎたため、日本をいびつなディストピアにしてしまいました。

権利ばかりを主張する割りに義務ややせがまんを損得勘定だけで判断する女々しい社会をはびこらせています。クレーマーなんてのは評判を気にしすぎる会社が全体から見れば少数派に過ぎない輩の言うことを真に受けて、どんどん住みにくい世界にしてしまっています。

よほどの閑人しかわざわざ電話して時間をつぶす作業をしませんし、閲覧数とコメントを入れる人の割合を調べればすぐに分かることです。多くても100分の1以下でしょうし、企業サイトもそれらのコメントを気にする必要はありません。

>魅力的
でもビートルズやストーンズとは違って、彼らは本流になれるほどの影響度は持っていませんでした。それが事実でしょうね。

ではまた!
Commented by Tom5k at 2020-02-05 23:29
>用心棒さん、こんばんは。
>日本をいびつなディストピアに・・・
なんでこうなってしまったんでしょうかねえ?
やはり、繰り返しになりますが、誠実な闘いがなくなって、つまり、アンチ・・・が潰されて過ぎてしまったんでしょうね。お利口さんだけが価値観を占めてしまった。これでは良くなるものもよくなりません。
少なくても映画や音楽、文学など、文化的な価値観は闘いの中から生み出されることが必須ではないでしょうか?
黒澤明、今井正、今村昌平、山本薩夫、大島渚、熊井啓、増村保造、浦山桐郎・・・こういった映画作家を輩出してきた土壌を日本の映画界は、もう一度取り戻すよう努めていくべきですし、観客においても、漫然とカタルシスを得るだけでなく、日常の中で受け取るべき価値観を選んで高めていきたい。映画などの文化の受益から自分の可能性を高められるように生きるべきですよ。
ただ、おしゃるように確かに権利の主張ばかりになると公共性というか公平性が失われて全体の歪みが拡大するかもしれませんね。ワガママを通すことと本当の意味での闘いとは全く別のものだと思います。要するに自立できない情けない大人が一般化してしまっているのでしょう。
少なくても映画や音楽の世界からは、人々に現実を良くしていく力、つまり自立して頑張っている人には勇気や知性を与えて欲しいし、甘ったれてた小賢しい人達には反省を促すようなメッセージを発出して欲しいと思っています。
また、取り留めのないコメントをしてしまいました。すみません。
では、また。
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