『Quand la Femme s'en Mele』~デビュー作品は「フレンチ・フィルム・ノワール」①~
2016年 12月 23日飯島正氏は、シモーヌ・シニョレとベルナール・ブリエが出演した『デデという娼婦』(1947年)を初期の暗黒映画の代表作品として評価し、同じく、シモーヌ・シニョレとベルナール・ブリエ出演の『Maneges』(1950年)は、「ペシミズム・ノワル」と自分のノートに記していたそうです。イブ・アレグレは、その後、ノワール系の作風と異なる作品を撮った後、ジェラール・フィリップとミシェル・モルガンが出演し、実存主義哲学者ジャン・ポール・サルトル原作の『狂熱の孤独』(1953年)を制作し、再び「暗黒レアリスム」作品の制作に立ち返ったと総括し、この作品を頂点として、その後は不振におちいったと評しています。
【参考 『世界の映画作家18 犯罪・暗黒映画の名手たち/ジョン・ヒューストン ドン・シーゲル ジャン・ピェール・メルヴィル 「フランス暗黒映画の系譜 飯島正」』キネマ旬報社、1973年】
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残念なことに、この批評によれば、まさにイブ・アレグレが不振に陥っていった4年後の作品であることになります。
それはさておき、この『Quand la Femme s'en Mele』の原作は、ガリマール社のセリ・ノワール叢書で活躍していたジャン・アミラ著のセリ・ノワール小説『Sans attendre Godot』(1956年刊行)です。この作品の「フレンチ・フィルム・ノワール」としての要件は、まずここにあります。
ところで、ヨーロッパの映画作品において、1950年代から1960年代にかけてのイタリアの「ネオ・レアリズモ」は、後年、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「内的ネオ・レアリズモ」への変遷やフェデリコ・フェリーニなどの台頭、フランスにおいては、「ヌーヴェル・ヴァーグ・」が席巻していく状況を迎えます。
これらの映画作家、すなわち、この時代のヨーロッパでの映画作品が、物語・プロットを解体したアンチ・ドラマとしての構成を大きな特徴とするようになっていったことは映画史的な総括として現在に至っています。
特に、フランス映画において、それは様々な試行錯誤がなされていた時代であったようにも思います。
また、それは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」より以前の旧時代の映画作家たちの作風にも大きく影響を与えていたように私は思っています。ルネ・クレマン監督においては、「ヌーヴォ・ロマン」の代表的作家マルグリット・デュラス原作の『海の壁』(1958年)の映画化、『太陽がいっぱい』(1959年)のスタッフ・キャストの選び方などにそれは表れていますし、更に戦前の「詩(心理)的レアリスム」の代表的演出家のマルセル・カルネ監督でさえ、『危険な曲り角』(1958年)の主題曲に、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズのモダン・ジャズを使用しました。
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そして、この作品のイブ・アレグレ監督は、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品を手掛けていたとは言え、「詩(心理)的レアリスム」の系譜を引き継つぐ演出家でした。
代表作品である『狂熱の孤独』もジャン・ポール・サルトルが原作者であり、当然、アンチ・ドラマの特徴から、この時代の新しい映画においての作風に合致するものであったわけです。しかしながら、この作品では、従前から「ヌーヴェル・ヴァーグ」の諸作家たちに徹底的に批判されていたピエール・ボストとジャン・オーランシュがシナリオを担当しました。
そもそも、「フレンチ・フィルム・ノワール」の映画体系において、『現金に手を出すな』(1954年)や『穴』(1960年)が代表作品であるジャック・ベッケルは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の映画作家たちに敬愛されていましたし、その作風を引き継いでいった経緯を持つジャン・ピエール・メルヴィルも、同様に「ヌーヴェル・ヴァーグ」の先行者として作家主義を全うしていった映画監督でした。これらのことは、既に、現在、フランス映画史における一般的な総括として定着しています。
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このように考えたとき、1950年代後半の混沌としたフランス映画界に私は大きな矛盾を感じてしまうのです。
さて、この作品のキャストですが、当時のフランス映画においては、そうそうたるメンバーをキャスティングしています。
主人公フェリックスの前妻メーヌは、大女優エドウィジュ・フィエールが演じています。彼女は、フランスでの目覚ましい活躍ぶりに比して、日本での知名度は大きくはありませんでしたが、その経歴から半端な女優でなかったことがわかります。
彼女は、コンセルバトワールの文教部門、フランス国立高等演劇学校の出身で、卒業後1931年コメディ・フランセーズに入座し、エドウィジュ・フィエールと名乗るようになりました。アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)原作の『椿姫』は彼女の十八番であったそうですが、主人公のマルグリット・ゴーチェは、19世紀「ベル・エポック」の時代には、サラ・ベルナールのような歴史的大女優が演じた役柄でした。その大役を、戦中・戦後にかけて、エドウィジュ・フィエール以外に手を出す女優はいなかったそうなのです。
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映画では、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督『ゴルゴダの丘』(1935年)、ジョルジュ・ランバン監督、ジェラール・フィリップ出演『白痴』(1945年)、ジャン・ドラノワ監督、ジャン・ルイ・バロー出演『しのび泣き』(1945年)、ジャン・コクトー監督、ジャン・マレエ出演『双頭の鷲』(1947年)、クロード・オータン・ララ監督『青い麦』(1953年)、同監督、ジャン・ギャバン、ブリジット・バルドー出演『可愛い悪魔』(1958年)などの作品に出演し活躍しましたが、この時代の映画界において大女優だったことは監督、共演者から容易に理解できます。
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また、フィリップ・ド・ブロカ監督『リオの男』(1964年)で、ジャン・ポール・ベルモンドと共演し、『名誉と栄光のためでなく』(1965年)で、再びアラン・ドロンと共演します。
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イブ・アレグレ監督の作品では、前述した『デデという娼婦』(1947年)、『Maneges』(1950年) があります。
ジャン・ギャバンとの共演も多く、ジョルジュ・ランパン監督『罪と罰』(1956年)、ジャン・ポール・ル・シャノワ監督『レ・ミゼラブル』(1957年)、ジル・グランジェ監督『Archimede,le clochard』(1958年)や、セリ・ノワール叢書でも有名なアルベール・シモナン原作、ジル・グランジェ監督『Le cave se rebiffe』(1961年) など、「文芸作品」から「フレンチ・フィルム・ノワール」までジャンルを問わず共演しました。
前述のイブ・アレグレ監督作品やジャン・ギャバンとの共演作品以外での「フレンチ・フィルム・ノワール」への出演作品には、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督『犯罪河岸』(1947年)、アンリ・ドコアン監督、フランソワーズ・アルヌール主演『女猫』(1958年)、アンリ・ヴェルヌイユ監督、ジャン=ポール・ベルモンド、リノ・ヴァンチュラ出演『太陽の下の10万ドル』(1964年)、ジョルジュ・ロートネル監督、ミレーユ・ダルク、ミシェル・コンスタンタン出演『狼どもの報酬』(1972年)などがあります。
永きに渉って「フレンチ・フィルム・ノワール」の俳優として、フランス映画に貢献した俳優でした。また、彼の長男のベルトラン・ブリエは、シネマ=ヴェリテ(映画=真実)の映画作家として鮮烈にデビューし、フランス映画界を牽引している映画作家です。なお、ベルトラン・ブリエ監督の『Notre histoire』(1984年)に出演したアラン・ドロンは、この作品でセザール賞男優賞を授賞しています。
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全編を通じて登場する刑事には、ピエール・モンディが扮しています。
彼は、『ヘッドライト』(1956年)で、ジャン・ギャバンと共演した若いトラックの運転手が印象深い役柄でした。アラン・ドロンとは、『お嬢さんお手やわらかに!』(1958年)や『学生たちの道』(1959年)で共演しています。私が強く印象に残っている作品は、アラン・ドロン製作・監督・主演の『Le Battant』(1983年)での刑事役です。彼はこの作品で、主演のアラン・ドロンに付きまとって、口汚く嘲罵を浴びせるサディスティックな刑事を演じています。ここでのピエール・モンディは、まるで、『太陽がいっぱい』(1959年)でのフィリップや『太陽が知っている』(1968年)でハリーを演じたモーリス・ロネのようでした。
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そして、アラン・ドロンと同世代のブリューノ・クレメールも、この作品がデビューとなりました。
日本では、ジョゼ・ジョヴァンニ監督の『父よ』(2001年)や1991年~2005年にテレビシリーズとなった『メグレ警視』が有名です。アラン・ドロンも出演しているルネ・クレマン監督の『パリは燃えているか』(1966年)には、ド・ゴール派ではなく、フランス共産党が主導するFFI(フランス国内軍)のレンジスタンスの闘士アンリ・ロル=タンギー大佐として出演していました。
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アラン・ドロンが、後に「フレンチ・フィルム・ノワール」で自己のキャラクターを確立することになるのは、10年後の『サムライ』(1967年)でしたが、旧時代のイブ・アレグレ監督の作品で、多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品で活躍していたジャン・セルヴェ、ベルナール・ブリエと共演したこの典型的な作品がデビュー作品であることは、彼の将来を既に暗示していたと言えましょう。
それにしても、この『Quand la Femme s'en Mele』が、日本で劇場公開されなかったことはとても残念です。旧時代的な作風であったことや日本で人気の高いスター俳優が出演していなかったとは思いますが、ストーリーも面白く、映像もノワールのムードが満載ですし、出演者は地味ではあっても若手・ベテランともに素敵な俳優ばかりですから、製作年より遅れてでも日本公開してほしかった作品です。
アラン・ドロンは、この作品で、主人公のゴドーのボディガードのジョーを演じました。主演ではないものの随分と出番も多く、ストーリー・プロットの上でも重要な役柄を演じています。
映画は、4人でカードをしているシーンでのタイトルバックと軽快でジャジーなテーマ曲から始まり、ジャン・セルヴェが演ずるゴドーがカード仲間と口論になるシークエンスから展開していきます。
ゴドーはナイトクラブのオーナーですが、夜の世界では顔役のようで、エドウィジュ・フィエール演ずるメーヌと愛人関係にあります。そんなおり、メーヌの元に、フランス南東部グルノーブルに居るベルナール・ブリエが演ずる前夫の郵便局員フェリックスから電話が入ります。彼は、ソフィー・ドーミエが演ずる娘コレットとともに、パリを訪れる予定であるとのことでした。
アラン・ドロンの初登場は、ゴドーとジャン・ルフェーブル演ずるフレッドの3人が打ち合わせをしているシーンでした。
彼は、このとき22歳です。映画ではマフィアのボディガードを演じているわりには、育ちの良さそうな無垢で純情な青年に見えます。それにしても、この時点では、彼がその後フランスやイタリアの巨匠たちに寵愛され、時代の寵児として、あれほど大きく飛躍することになるとは誰にも想像できなかったことだと思います。
駅に出迎えに言ったメーヌは、冒頭のカードのシークエンスでゴドーと揉めていた2人にからまれますが、ゴドーとジョーが駆けつけ助けに入ります。
この乱闘シーンは、私にはたいへん印象的でした。ゴドーとジョーが相手を一撃で殴り倒すのですが、こういった静かなアクション・シーンは、現在の映画では、もっと派手なパフォーマンスとして表現されることが多いでしょうから、今ではもう見られなくなってしまった古典的で貴重なショットだと思います。
【<『Quand la Femme s'en Mele』~デビュー作品は「フレンチ・フィルム・ノワール」②~>に続く】