『ブーメランのように』③~ジョルジュ・ドルリューの音楽による「悲劇のヒロイズム」最後の作品

 『プレステージ』(1977年)を観た後、急に頭をよぎって、どうしても頭から離れなくなってしまった作品がありました。『ブーメランのように』(1976年)です。
 『プレステージ』が製作された前年に、実業家・ビジネスマンである主人公を演じたアラン・ドロンという共通項から、当時の彼をもう少し深く理解したくなったのです。どちらの作品もその結末は悲惨なのですが、彼が従来から得意としていた悲劇的なヒロイズムが貫徹しているのは、『ブーメランのように』でしょう。

【>あなたが演じる役にはしばしば鬱的なメランコリーな何かがありますね。
>アラン・ドロン
傷はなかなか癒えないんだね。笑わそうとしてみたり無駄なこともした、それがトレードマークになってるな。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18 「回想するアラン・ドロン:その6(インタヴュー和訳)」

 ロミー・シュナイダーと出会ったデビュー間もない頃の『恋ひとすじに』(1958年)やルキノ・ヴィスコンティと巡りあった『若者のすべて』(1960年)で、彼が表現した「悲劇のヒロイズム」は、『さすらいの狼』(1964年)や渡米して撮った『泥棒を消せ』(1964年)により、ノワールを基調としたものとして模索されていったように思います。
 その後のアラン・ドロンは、フランス映画界においても重要な代表的作品を撮っていったジャン・ピエール・メルヴィル監督の演出により、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品での中心的な存在に到達し、ノワールを基調とした悲劇性のイメージを完成させていくことになります。

 しかし彼は、70年代後半から、特に『ブーメランのように』の翌年に撮った『プレステージ』以降、そこからの脱出を企てたように私には見えるのです。『プレステージ』の主人公からは、悲劇的なヒロイズムは読み取れませんし、少なくても、この作品は、「フレンチ・フィルム・ノワール」の体系には該当しないでしょう。

 『ブーメランのように』は、そのどちらも要素としているのですが、『プレステージ』と同様に、『太陽はひとりぼっち』(1961年)以来の現代ビジネスに生きている者の矛盾も強く表出した作品にもなっており、最愛の息子との愛情面での在り方に焦点が絞られ、実業家・ビジネスマンとしてのハレーションが、父親としての苦悩に結びつくテーマとなっています。
 また、この作品は、『冒険者たち』(1966年)のシナリオで出会って以降、ジョゼ・ジョヴァンニと一緒に仕事をした最後の作品でもあり、それまでのアラン・ドロンの出演作品から新境地を拓いた作品ではなく、『ビック・ガン』(1973年)や『ル・ジタン』(1974年)と同様に父性愛のテーマを徹底したものであったし、過去の犯罪歴から現在の更生に失敗して悲劇的結末を迎える主人公の設定も、アメリカ映画『泥棒を消せ』、イタリアで撮った『ビック・ガン』(1973年)、ジョゼ・ジョヴァンニ監督との『暗黒街のふたり』(1973年)など、それまでのフィルム・ノワール体系の作品でのキャラクターと類似したものになっています。

 このように考えると、『ブーメランのように』までのアラン・ドロンの作品は、本人が後述しているように、
>トレードマークである「鬱的なメランコリーな何か」(これを、いわゆる「悲劇のヒロイズム」のトレードマークと定義しても誤りではないでしょう。)を表現した作品が非常に多かったわけです。

 しかし、アラン・ドロンのスターとしてのトレード・マークは、『ブーメランのように』を最後に、とうとう影を潜めてしまいました。

 世紀の大傑作『パリの灯は遠く』(1977年)は、戦時中の美術商としての役柄でしたが、「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」などというものを超え、主人公の「異常性」を一世一代の演技で表現した超越的で特異なキャラクターでした。

 そして、『友よ静かに死ね』(1977年)は、作品そのものは哀愁を帯びた旧時代的な悲劇であり、ここではまだ、「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」の要素は残ってはいたかもしれませんが、彼が演じた主人公のキャラクターは陽気なギャング集団のボスでしたし、外見も髪の毛をカールしたスタイルに変貌していました。

 なお、アラン・ジェシュア監督の『Armageddon』(1977年)は、未見なのですが、各種の映画雑誌や現在ではネット上の情報などから「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」の主人公とは、縁遠い作品となっているようです。

 その後、彼の作品は、『プレステージ』へと続くのですが、実業家・ビジネスマンを主人公にした作品に限ったとき、最もアラン・ドロンらしい役柄は、『太陽はひとりぼっち』(1961年)から出発し、後年、『Notre histoire(真夜中のミラージュ)』(1984年)、『ヌーヴェルヴァーグ』(1990年)と人気全盛期を終えた後に演じていくことになります。
 しかし、男女の愛をテーマにしたこれらの作品は、トレード・マークであった「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」を主題・テーマにしていた『ブーメランのように』とは異なる体系の作品だと考えられましょう。

 『プレステージ』の翌年に製作された『チェイサー』(1978年)は、作品としては、アラン・ドロンの得意とする「フレンチ・フィルム・ノワール」の体系に在る作品と云っていいでしょう。
 また、ここで彼の演じた主人公も『ブーメランのように』や『プレステージ』と同様に、実業家・ビジネスマンでした。
 しかし、もうアラン・ドロンは、既に悲劇的なアンチ・ヒーロー的なヒーローではなく、友情に厚い硬質な正義のヒーローに脱皮しており、「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」からの脱出は完全に成功した作品となっています。

 これらのことから、盟友ジョゼ・ジョヴァンニ監督との三作品目『ブーメランのように』は、1960年代後半からのアラン・ドロン全盛期における「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」が最後に総決算された作品なのではないかとも思いますし、『プレステージ』や『パリの灯は遠く』なども併せて考えると、この頃のアラン・ドロンは映画俳優以外のビジネスの仕事で自分自身の生き方に矛盾を感じていたのではないか?とすら感じます。

 ところで、『恋ひとすじ』や『若者のすべて』で出発した「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」が、はっきりとノワール的基調において、主人公に表れていた作品は『さすらいの狼』でしたが、何とっ!ここで音楽を担当したのは、アラン・レネやフランソワ・トリュフォー、ジャン・リュック・ゴダール、ルイ・マルの作品で音楽を担当し「ヌーヴェル・ヴァーグ」の音楽家と言われていたジュルジュ・ドルリューでした。各書籍ではジャン・プロドロミデスが音楽を担当していたと記載されていることも多いのですが、実は、彼が音楽を担当していたのです。
【>ドロンの作品で、他にドゥルリューさんがなされたものはありますか?
>ドゥルリュー
「さすらいの狼」がありますね。アラン・カヴァリエの。これはこれで、いい作品だったんですが、アルジェリア戦争をあつかって検閲にあい、それだけに評価されなかった作品でしたね。(略-)」】
【キネマ旬報1976年12月下旬号No.697(「「ジョルジュ・ドゥルリュー「ブーメランのように」と映画の秘密を語る」<インタビュアー>ユミ・ゴヴァース、西村雄一郎】

Alain Resnais Portrait Musical

Emarcy Import


Le Cinema de Francois Truffaut, musique de Georges Delerue

Emarcy


Jean Luc Godard Histoire(s) de Musique

Martial Solal / Emarcy Import



 そして、彼を13年ぶりに、アラン・ドロンの「フレンチ・フィルム・ノワール」有終の美を飾る『ブーメランのように』で、再び起用したのですから驚きます。
 私としては、アラン・ドロンの「フレンチ・フィルム・ノワール」における悲劇的ヒーロー像の音楽的照応は、ジュルジュ・ドルリューで始まり、その総括的な『ブーメランのように』で締め括ったと解釈せざるを得ないのです。

 特筆しておきたいことは、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の『ジェフ』(1968年)で、当初予定されていた彼の起用が、作品のテーマ・主題の考え方の相違によって、残念なことに実現せず、フランソワ・ド・ルーペの起用に変更されてしまったことです。
【(-略)「ジェフ」(69 ジャン・エルマン監督)もやりことになっていたんですが、作品を見て、どうしても好きになれなかったので、おりました。一度、ひきうけたものをおりるのは、悪いと思ったんですが、時にはこうした毅然とした態度をとることも、必要だと思ったのです。あれはギャングというものを、悲劇的にあつかっていなかったのが、気にいらなかったのですよ。】
【キネマ旬報1976年12月下旬号No.697(「「ジョルジュ・ドゥルリュー「ブーメランのように」と映画の秘密を語る」<インタビュアー>ユミ・ゴヴァース、西村雄一郎】
 アラン・ドロンとしては、ジャック・パールとともに初めて自らプロデュースに携わった『さすらいの狼』で、彼の協力が得られたときと同様に、初めて単独でプロデュースした『ジェフ』でも彼の音楽を使用したかったのでしょう。
 これらのことは、アラン・ドロンのプロデュース作品史における象徴的な事件とも云えることなのではないでしょうか。

 そして、プロデューサーとしてのアラン・ドロンは、『ブーメランのように』に限っては、今まで組んできたクロード・ボラン、フランソワ・ド・ルーペ、フィリップ・サルドではなく、よほどジョルジュ・ドルリューが必要だと考えたのでしょう。

【>ドゥルリュー
(-略)今回の仕事は、むしろアラン・ドロンが直接私の方に電話してきて、ひきうけたようなわけで、それも非常にていねいな電話でした。それで出来上がった作品を見て、どういう風にいれようかと、ドロンに尋ねたら、「この作品の、ヴァイオレンスな部分と、やさしい愛情に満ちた部分を強調してくれ」と言われて、作曲したわけです。まあ、この映画の後、非常にまれなことなんですが、ドロンからの自筆の礼状がきましてね、嬉しかったですよ。
>ジョヴァンニとは音楽のうち合わせはなさらなかったのですか?
>ドゥルリュー
最初、ジョヴァンニは、音楽に関してそれほど、はっきりした考えはもっていなかったと思います。(略-)
>ドゥルリュー
(-略)撮影が終わって、ドロン自身が、積極的に考えを述べて、その考えが大きく反映したということはありますがね。そういう意味では、創作の所まで、深くドロンが入り込んできた、初めての作品であるといえます。】
【キネマ旬報1976年12月下旬号No.697(「「ジョルジュ・ドゥルリュー「ブーメランのように」と映画の秘密を語る」<インタビュアー>ユミ・ゴヴァース、西村雄一郎】

 このインタビューでジョルジュ・ドルリューは、アラン・ドロンが父と子の絶望的な愛情への描写に執着していたことやヴィスコンティ時代における俳優としての才能を理解していたこと、そして、人気全盛期よりもこの作品のアラン・ドロンの方が際立っていると言及し、監督のジョゼ・ジョヴァンニより、彼とディスカッションすることが多かったことなど、当時の逸話も伝えています。
 彼は、この『ブーメランのように』のプロデューサーであり、出演者でもあるアラン・ドロンを最も良く理解したうえでスタッフとして協力したのです。

 『ブーメランのように』でのアラン・ドロンが演じた主人公ジャック・バトキンは、過去の『太陽がいっぱい』(1959年)の主人公トム・リプリー、『悪魔のようなあなた』(1967年)の主人公ジュルジュ・カンポなどが犯した犯罪や偽証を成功させた人物設定でありながら、その貧困・犯罪・差別からの呪縛から逃れることができず、その過去と必死に闘っているように感じていたことは、既に記事にしました。
【参考~『ブーメランのように』①~貧困・犯罪・差別からの逃亡と挫折~

 今回の鑑賞では、加えて、盟友ジョゼ・ジョヴァンニ監督のもとで、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の音楽家、ジョルジュ・ドルリューの協力を得て、過去からの「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」、特に過去のフィルム・ノワール作品におけるそれを総決算した作品、そして、女性との恋愛では、愛を再生・復活させていく主人公や、友情に厚い正義のヒーローとして腐敗した政財界に挑んでいく主人公などの新しい境地に向かっていくために必要な作品だったと考えるようになったのです。

【>ドロン親子は死んだのでしょうか?
>ドゥルリュー
それは永遠にわからぬクエスティョン・マークですね。
それは観客の判断にゆだねているのです。しかし、ドロンは、父も子も死ぬことにしたかったのだと思いますよ。なにしろ、ドロンは、多くの作品のラスト・シーンで、死ぬことになっていますから。(笑)】
【キネマ旬報1976年12月下旬号No.697(「「ジョルジュ・ドゥルリュー「ブーメランのように」と映画の秘密を語る」<インタビュアー>ユミ・コヴァース、西村雄一郎】

 やはり、ジュルジュ・ドルリューは、十分にアラン・ドロンのこれまでの作品を熟知したうえで、『ブーメランのように』で自分の音楽での役割りを果たしていたのです。

 私は、『ブーメランのように』が、ジュルジュ・ドルリューの音楽も含めて、ジョゼ・ジョヴァンニ監督との三作品の中でも、アラン・ドロンの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品としても、彼の未来の作品への真の熟成に向けて、傑出して重要な位置を占める貴重な作品だと思うようになってしまったのです。

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オリジナル・サウンドトラック盤(東映提供フランス映画「ブーメランのように」よりブーメランのように、愛のバラード)
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by Tom5k | 2015-03-08 01:44 | ブーメランのように(4) | Trackback(2) | Comments(4)

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Commented by オカピー at 2015-03-09 14:32 x
関連性は薄いですが、折角TBを戴いたので、お返しに参上致しました。

アラン・ドロンとジョルジュ・ドルリューの関係については思い浮かばなかったですね。

そもそも、ドロンの主演映画で音楽を意識したことは案外少ないと思います。映画館で観た本数が限られているということもあるかもしれません。
やはりあの映画館のばかでかい音量ですと、何気ない音楽も印象に残りますから。

「太陽がいっぱい」と「冒険者たち」、この二本における音楽の素晴らしさは言わずもがなでしょう。
もう一本は「高校教師」ですね。主題曲は、ヴィヴァルディがベースになっていますが、次回上映が始まるまで外で待っている時から妙に印象に残る曲でした。

トムさんからのコメントがありましたので、投稿の順番を変えて本日、「真夜中のミラージュ」の映画評をUP致しました。例によって非常に大雑把なものですが、よろしかったらどうぞお越しください。
Commented by Tom5k at 2015-03-09 21:45
オカピーさん、いらっしゃませ。
コメント、TBありがとうございます。

>アラン・ドロンとジョルジュ・ドルリューの関係
わたしとしては、結構、不思議だったんです。でも音楽家は、カメラマンや脚本家と異なり、誰がどこで活躍しても違和感が少ないかもしれません。私はやはりゴダールの「軽蔑」が印象的でした。

>ドロンの主演映画で音楽を意識したことは案外少ない
なるほど・・・映画音楽としては際立ったものが少なく、凄く自然なBGMが多いかもしれません。悲しい場面では悲しい旋律、かっこいい場面ではかっこいい音楽・・・。

>「高校教師」
オカピーさん、やっぱりセンス良いですねえ~。また、よくご存知ですね。ピッコロ協奏曲と言われているようですけれど、真偽はどうなのかな?私、原曲がよくわかってないんですよ。しかし、あのトランペットはとても映像とマッチしていて何とも味わいのある雰囲気でした。

>「真夜中のミラージュ」の映画評・・・
わおーオカピー評、早く読みたいです。
早速、お邪魔します。
Commented by 用心棒 at 2015-03-11 18:55 x
こんばんは!おひさしぶりです。

 年度末ということもあり、なかなか更新できないのはもちろん、映画を観に行くこともできなくなっています。まあ劇場まで行っていないのは観たいものをやっていないというのが一番ではあります。

 ブログをやり始めたころは週4更新でしたが、週一になり、隔週になり、今は月刊ペース(笑)になっています。

 季刊にならないようにがんばります(笑)

天候も不順ですので健康にお気を付けください。ではまた!

 
Commented by Tom5k at 2015-03-12 19:51
>用心棒さん、こんばんは。
私もだんだん、忙しくなってきました。
>映画を観に行く・・・
私もですが、最近『マエストロ』を観てきました。音楽が身近になることは素晴らしいですが、『のだめカンタービレ』以降、若干、マンネリですかね?でも、素敵な作品ではありましたよ。私は、どうしても原点である今井正の『ここに泉あり』と比べてしまいます。
>週4更新でしたが、週一になり、隔週になり、今は月刊ペース・・・
マイペース、マイペース(笑)わたしもそのあたりのペースはデタラメです。2年に1回でも、1日3更新でもいいと思います。(笑)
>一言二言間違えただけでもゴチャゴチャ言われることも・・・
なにを「潔癖」なつもりでいるのでしょうかね?
そういうやからは気にせず、これもマイペースでOK。だって、間違えは成功のもとではありませんか?(笑)
用心棒さんの記事は眼からうろこですので、また、気が向いたら更新してください。
ではまた。