『シシリアン』③~娯楽大作となった「フレンチ・フィルム・ノワール」での典型的なアラン・ドロン~
2011年 06月 19日
久しぶりに『シシリアン』が観たくなりました。
『シシリアン』は、アラン・ドロンがジャン・ギャバンと共演した作品としては、決して高く評価されている作品ではありませんが、最近のわたしには、他の二本の共演作品(『地下室のメロディー』『暗黒街のふたり』)よりも好きな作品となっています(余談ですが、アラン・ドロンがジャン・ピエール・メルヴィル監督と組んだ最も好きな作品が、これも最近では、『サムライ』や『仁義』と比べ、やはり評価の低い『リスボン特急』でもあります。)。
1962年製作の『地下室のメロディー』は、フランス、ニースのカジノからの現金強奪を描いた「フレンチ・フィルム・ノワール」作品で、素晴らしい出来映えの作品だと思いますが、駆け出しのアラン・ドロンが初めて、ジャン・ギャバンと共演した作品であり、彼は若いチンピラとしてのキャラクターでしかなく、それはそれで、たいへん魅力的ではあるのですが、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の演出で1967年に撮った『サムライ』以降の非情で冷徹、かつ悲哀を帯びたキャラクターのイメージは、まだ確立されていませんでした。
『暗黒街のふたり』は、社会派ドラマトゥルギーを主軸とした作品であり、原作・演出・シナリオのジョゼ・ジョヴァンニ、製作・主演のアラン・ドロンが、各々の実体験からシリアスで悲劇的な独特のリアリズムによって、素晴らしい作風を確立した作品だと思いますが、この1973年当時のアラン・ドロンは、類型化し硬直してしまった自らのアンチ・ヒーロー的なヒーローのキャラクターから脱皮しようとしていたのか、従来の「フレンチ・フィルム・ノワール」からエンターテインメント的要素が失われてしまった印象を私は持っています。
それらの作品に比べて、1969年製作の『シシリアン』は、「フレンチ・フィルム・ノワール」の大先輩であるジャン・ギャバンやリノ・ヴァンチュラ、ハリウッド作品『素晴らしきヒコーキ野郎』や『史上最大の作戦』でも活躍していたイリナ・デミックなどの豪華な共演者たちで「スターシステム」を徹底し、高価な宝石を運送する航空機をそれごとハイジャックして強奪する大掛かりなアクションに、旧時代の典型的なフランス映画の特徴である運命に敗北する主人公たちのペシミスティックな情緒的表現も加味した贅沢な娯楽大作となっています。
しかも、この作品でのアラン・ドロンの格好良さは類い希なのです。
ファースト・シークエンスでは、護送車から刑務所に収容するために移送されてきた受刑者たちが、手錠を掛けられたままふてぶてしい無表情で続々と降車し続けるさまを描写し、バック・グラウンドに、イタリアン・マフィア風の曲調をうまく強調したエンリオ・モリコーネの主題曲を照応させています。
このショットでのエキストラの雰囲気は凄まじく、本物の受刑者を実写しているのではないかと錯覚するほどの迫力がスクリーン全面から滲み出ています。
そして、その護送車から最後に姿を現わすのが、主人公サルテを演じるアラン・ドロンです。彼のクローズ・アップがフリーズし、同時にマルチフレームのレフト・サイドに、彼が刑務庁舎内に連行される様子が描写されます。
多くの連行されてきた犯罪者の中から、任意のサルテという主人公を選び出すこの作業は「トラック・ショット」と呼ばれる手法ですが、ここでは、ひときわスタイリッシュに輝いているスターとしてのアラン・ドロンを犯罪者サルテと同化させて特に強調しています。
次に、施設に収容される受刑者たちを整列させるショットに繋ぎ、ボリューム・コントロールによりBGMのマスター音量を下げ、刑務官が事務的に指示事項を説明するショットをモンタージュさせる手法が採られています。
これらの描写には、反社会的でピカレスクな世界が非日常的な魅力として満載されており、彼ら犯罪者たちの魅力が冒頭から鮮烈に印象付けられ、作品への期待感が否応無しに喚起させられてしまいます。
当時の映画館で、このファースト・シークエンスを観た観客は、これから始まっていく映画の展開への期待感が最高潮に達したとことでしょう。
また、今回の鑑賞で印象的だったのは、長男アルド・マナレーゼの妻ジャンヌを演ずるイリナ・デミックでした。「殺し屋」という魅力的な存在への好奇心からエクスタシーを得ようとする女性特有のマゾヒスティックなエロティシズムがうまく表現されていたと思います。
自分だけがシチリア人ではないことで、ファミリーのなかで常に疎外感を感じていたジャンヌは、強盗殺人で投獄されたこのハンサムな「殺し屋」に魅せられることで、その欲求不満を解消できると確信したのでしょう。必要以上に、何度もサルテの部屋に食料を運ぶ彼女は、実に被虐的でセクシュアルな雰囲気を漂わせていました。
この作品でのアラン・ドロンとイリナ・デミックのポルノ・グラフィックなシチュエーションは、結果的にサルテの死やマナレーゼ・ファミリーを破滅に導く映画のプロットとしても、素晴らしい効果を上げています。
他に印象的だったのは、警官隊に囲まれた娼館からサルテが逃亡するときのシークエンス、特に彼が夜の闇に向かって路地を走り抜けていく後ろ姿のショットなどには、アニメーション的な躍動感があります。良い意味でリアリズムとは若干かけ離れた、映画ならではの非現実的なシチュエーションであったような気がするのです。
「フィルム・ノワール」として、都会の闇に隠れて生きる犯罪者の生態をうまく象徴させた描写だと感じました。
また、アクション描写を編集したシークエンスであるにも関わらず、静的で地味な「フレンチ・フィルム・ノワール」の体系に準拠している印象であり、わたしとしては、「アクション」それ自体の描写が、ノワールのイメージを醸成するための演出や編集の手法のひとつとして重要なのではないかと、考えさせられました。
この視点は、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の作品を理解するうえでも、重要なポイントになるように思い、今回の鑑賞の最大の収穫だったと考えています。
さて、この作品は何度もTV放映され、観る機会の多かった作品です。
想い起こせば、中学生のときのTV放映で観ていたときだったでしょうか?
ニューヨークのモーテルに潜伏しているサルテの元にニューヨークのボス、トニーが訪れ、訪問ブザーが鳴った途端に彼が飛び起きるシーンで、
当時、一緒に観ていた父親が、
「こういう商売やってると、神経休まる暇無いなっ! 絶対、熟睡できないぞっ!」
と、興奮して感想をもらしていた記憶があります。
わたしは、
おやじは何を力んでるんだろう?
あほでないのか?
と、不思議に思いながら、テレビでの映画放映を観ていた記憶が残っています。
多分、ギャングやマフィアが登場する映画が全盛期の時代でしたから、父親はそんな一連の作品群のなかの一本として観ていたのだと想います。
「ギャング役は好き?
= ぼくが一ばん好きなのがギャング役ではない 観客が一ばん好きなのがギャング役なのだと思う ギャングでも神父でもぼくは演りがいのある役が好きだ」
【アラン・ドロン孤独と背徳のバラード 芳賀書店(1972年)】
【>ルイ・ノゲイラ
ドロンはあなたにとってスターの典型的な例なのですか?
>ジャン=ピエール・メルヴィル
彼は私が知っている最後のスターだ。フランスでは言うまでもなく、全世界を見てもそうだ。彼は30年代のハリウッド的な「スター」なんだよ。(略-)】
【引用『サムライ ジャン・ピエール・メルヴィルの映画人生』ルイ・ノゲイラ著、井上真希訳、晶文社、2003年】
サムライ―ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生
ルイ ノゲイラ Rui Nogueira 井上 真希 / 晶文社
この作品は、当時のアラン・ドロンのファンが最も好み、それに答えるために、超人気スター俳優としてギャングを演じた最も安定感のある、彼にとっての典型的なスタイルの「フレンチ・フィルム・ノワール」だったように思うのです。
『シシリアン』は、アラン・ドロンがジャン・ギャバンと共演した作品としては、決して高く評価されている作品ではありませんが、最近のわたしには、他の二本の共演作品(『地下室のメロディー』『暗黒街のふたり』)よりも好きな作品となっています(余談ですが、アラン・ドロンがジャン・ピエール・メルヴィル監督と組んだ最も好きな作品が、これも最近では、『サムライ』や『仁義』と比べ、やはり評価の低い『リスボン特急』でもあります。)。
1962年製作の『地下室のメロディー』は、フランス、ニースのカジノからの現金強奪を描いた「フレンチ・フィルム・ノワール」作品で、素晴らしい出来映えの作品だと思いますが、駆け出しのアラン・ドロンが初めて、ジャン・ギャバンと共演した作品であり、彼は若いチンピラとしてのキャラクターでしかなく、それはそれで、たいへん魅力的ではあるのですが、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の演出で1967年に撮った『サムライ』以降の非情で冷徹、かつ悲哀を帯びたキャラクターのイメージは、まだ確立されていませんでした。
『暗黒街のふたり』は、社会派ドラマトゥルギーを主軸とした作品であり、原作・演出・シナリオのジョゼ・ジョヴァンニ、製作・主演のアラン・ドロンが、各々の実体験からシリアスで悲劇的な独特のリアリズムによって、素晴らしい作風を確立した作品だと思いますが、この1973年当時のアラン・ドロンは、類型化し硬直してしまった自らのアンチ・ヒーロー的なヒーローのキャラクターから脱皮しようとしていたのか、従来の「フレンチ・フィルム・ノワール」からエンターテインメント的要素が失われてしまった印象を私は持っています。
それらの作品に比べて、1969年製作の『シシリアン』は、「フレンチ・フィルム・ノワール」の大先輩であるジャン・ギャバンやリノ・ヴァンチュラ、ハリウッド作品『素晴らしきヒコーキ野郎』や『史上最大の作戦』でも活躍していたイリナ・デミックなどの豪華な共演者たちで「スターシステム」を徹底し、高価な宝石を運送する航空機をそれごとハイジャックして強奪する大掛かりなアクションに、旧時代の典型的なフランス映画の特徴である運命に敗北する主人公たちのペシミスティックな情緒的表現も加味した贅沢な娯楽大作となっています。
しかも、この作品でのアラン・ドロンの格好良さは類い希なのです。
ファースト・シークエンスでは、護送車から刑務所に収容するために移送されてきた受刑者たちが、手錠を掛けられたままふてぶてしい無表情で続々と降車し続けるさまを描写し、バック・グラウンドに、イタリアン・マフィア風の曲調をうまく強調したエンリオ・モリコーネの主題曲を照応させています。
このショットでのエキストラの雰囲気は凄まじく、本物の受刑者を実写しているのではないかと錯覚するほどの迫力がスクリーン全面から滲み出ています。
そして、その護送車から最後に姿を現わすのが、主人公サルテを演じるアラン・ドロンです。彼のクローズ・アップがフリーズし、同時にマルチフレームのレフト・サイドに、彼が刑務庁舎内に連行される様子が描写されます。
多くの連行されてきた犯罪者の中から、任意のサルテという主人公を選び出すこの作業は「トラック・ショット」と呼ばれる手法ですが、ここでは、ひときわスタイリッシュに輝いているスターとしてのアラン・ドロンを犯罪者サルテと同化させて特に強調しています。
次に、施設に収容される受刑者たちを整列させるショットに繋ぎ、ボリューム・コントロールによりBGMのマスター音量を下げ、刑務官が事務的に指示事項を説明するショットをモンタージュさせる手法が採られています。
これらの描写には、反社会的でピカレスクな世界が非日常的な魅力として満載されており、彼ら犯罪者たちの魅力が冒頭から鮮烈に印象付けられ、作品への期待感が否応無しに喚起させられてしまいます。
当時の映画館で、このファースト・シークエンスを観た観客は、これから始まっていく映画の展開への期待感が最高潮に達したとことでしょう。
また、今回の鑑賞で印象的だったのは、長男アルド・マナレーゼの妻ジャンヌを演ずるイリナ・デミックでした。「殺し屋」という魅力的な存在への好奇心からエクスタシーを得ようとする女性特有のマゾヒスティックなエロティシズムがうまく表現されていたと思います。
自分だけがシチリア人ではないことで、ファミリーのなかで常に疎外感を感じていたジャンヌは、強盗殺人で投獄されたこのハンサムな「殺し屋」に魅せられることで、その欲求不満を解消できると確信したのでしょう。必要以上に、何度もサルテの部屋に食料を運ぶ彼女は、実に被虐的でセクシュアルな雰囲気を漂わせていました。
この作品でのアラン・ドロンとイリナ・デミックのポルノ・グラフィックなシチュエーションは、結果的にサルテの死やマナレーゼ・ファミリーを破滅に導く映画のプロットとしても、素晴らしい効果を上げています。
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20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
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他に印象的だったのは、警官隊に囲まれた娼館からサルテが逃亡するときのシークエンス、特に彼が夜の闇に向かって路地を走り抜けていく後ろ姿のショットなどには、アニメーション的な躍動感があります。良い意味でリアリズムとは若干かけ離れた、映画ならではの非現実的なシチュエーションであったような気がするのです。
「フィルム・ノワール」として、都会の闇に隠れて生きる犯罪者の生態をうまく象徴させた描写だと感じました。
また、アクション描写を編集したシークエンスであるにも関わらず、静的で地味な「フレンチ・フィルム・ノワール」の体系に準拠している印象であり、わたしとしては、「アクション」それ自体の描写が、ノワールのイメージを醸成するための演出や編集の手法のひとつとして重要なのではないかと、考えさせられました。
この視点は、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の作品を理解するうえでも、重要なポイントになるように思い、今回の鑑賞の最大の収穫だったと考えています。
さて、この作品は何度もTV放映され、観る機会の多かった作品です。
想い起こせば、中学生のときのTV放映で観ていたときだったでしょうか?
ニューヨークのモーテルに潜伏しているサルテの元にニューヨークのボス、トニーが訪れ、訪問ブザーが鳴った途端に彼が飛び起きるシーンで、
当時、一緒に観ていた父親が、
「こういう商売やってると、神経休まる暇無いなっ! 絶対、熟睡できないぞっ!」
と、興奮して感想をもらしていた記憶があります。
わたしは、
おやじは何を力んでるんだろう?
あほでないのか?
と、不思議に思いながら、テレビでの映画放映を観ていた記憶が残っています。
多分、ギャングやマフィアが登場する映画が全盛期の時代でしたから、父親はそんな一連の作品群のなかの一本として観ていたのだと想います。
「ギャング役は好き?
= ぼくが一ばん好きなのがギャング役ではない 観客が一ばん好きなのがギャング役なのだと思う ギャングでも神父でもぼくは演りがいのある役が好きだ」
【アラン・ドロン孤独と背徳のバラード 芳賀書店(1972年)】
【>ルイ・ノゲイラ
ドロンはあなたにとってスターの典型的な例なのですか?
>ジャン=ピエール・メルヴィル
彼は私が知っている最後のスターだ。フランスでは言うまでもなく、全世界を見てもそうだ。彼は30年代のハリウッド的な「スター」なんだよ。(略-)】
【引用『サムライ ジャン・ピエール・メルヴィルの映画人生』ルイ・ノゲイラ著、井上真希訳、晶文社、2003年】
サムライ―ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生
ルイ ノゲイラ Rui Nogueira 井上 真希 / 晶文社
この作品は、当時のアラン・ドロンのファンが最も好み、それに答えるために、超人気スター俳優としてギャングを演じた最も安定感のある、彼にとっての典型的なスタイルの「フレンチ・フィルム・ノワール」だったように思うのです。
by Tom5k
| 2011-06-19 02:06
| シシリアン(3)
|
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Comments(4)
Commented
by
tatehan
at 2015-09-24 15:24
まだ大作『ゴッド・ファーザー』が公開される数年前で、「マフィア」の存在もよく知らないうちに、この『シシリアン』を試写会で観ました。スリルに満ちたギャング映画…程度の認識しかありませんでしたが、(今にして考えれば、)仏伊の実力派俳優を配し、モリコーネのサウンドで彩った傑作と言えるのでは…と思いました。
護送車から脱走する場面や、ハイジャックした旅客機を高速道路に強制着陸させる場面など見せ場も盛り沢山でしたが、最後のどんでん返しの結末への布石となる脱獄者サルテ(A・ドロン)と一味の女ジャンヌ(イリナ・デミック)のシチリアの海岸縁での密会シーンは、美しい風景と相俟ってドキドキ感満載。デミックの見事な全裸姿に試写会室の暗がりで硬直した股間が濡れて来るのを実感して大困惑(汗)…!!
護送車から脱走する場面や、ハイジャックした旅客機を高速道路に強制着陸させる場面など見せ場も盛り沢山でしたが、最後のどんでん返しの結末への布石となる脱獄者サルテ(A・ドロン)と一味の女ジャンヌ(イリナ・デミック)のシチリアの海岸縁での密会シーンは、美しい風景と相俟ってドキドキ感満載。デミックの見事な全裸姿に試写会室の暗がりで硬直した股間が濡れて来るのを実感して大困惑(汗)…!!
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Tom5k at 2015-10-04 00:01
>tatehanさん、はじめまして、いらっしゃいませ。
>スリルに満ちたギャング映画
現在でも、その程度の映画だと私は思っています。(笑)
ただ、好きなものは好き。ということから、作品を細部にわたって過大に評価したくなってしまいます。私にとっては、欠点だらけの、しかし大好きな映画なのです。もちろん、豪華なキャストにスリル満点のアクション満載。音楽も雰囲気満点、ほんとに面白い作品です。
>イリナ・デミック
私もこの作品の彼女は大好きですね。こういう大人のエロティズムを表現することも平成になってからは、めっきり少なくなってしまったように思います。
「史上最大の作戦」のレジスタンスの女闘士は彼女にピッタリの役でしたね。
また、寄ってください。
>スリルに満ちたギャング映画
現在でも、その程度の映画だと私は思っています。(笑)
ただ、好きなものは好き。ということから、作品を細部にわたって過大に評価したくなってしまいます。私にとっては、欠点だらけの、しかし大好きな映画なのです。もちろん、豪華なキャストにスリル満点のアクション満載。音楽も雰囲気満点、ほんとに面白い作品です。
>イリナ・デミック
私もこの作品の彼女は大好きですね。こういう大人のエロティズムを表現することも平成になってからは、めっきり少なくなってしまったように思います。
「史上最大の作戦」のレジスタンスの女闘士は彼女にピッタリの役でしたね。
また、寄ってください。
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tatehan
at 2015-10-05 13:21
>「史上最大の作戦」のレジスタンスの女闘士はイリナ・デミックにピッタリの役でしたね。
『史上最大の作戦』は劇場やテレビ、DVDなんかで何回も観(視)た作品なのに、イリナ・デミックが何の役で、どの場面に出演していたのかは全く覚えていません。オールスターキャストとして一流映画スターが大挙して名を連ねているので、彼女の存在は全く意識していませんでした。再生映像でも視返して確認します(笑)。
彼女(イリナ)は既に亡くなったそうですが、この『シシリアン』では着衣姿のスタイルも素晴らしく、シチリアでの海岸のラブシーンでのヌード姿は圧巻。この場面だけでもアラン・ドロンに成り代わりたかったですね(絶対にムリだけれど…)。
『史上最大の作戦』は劇場やテレビ、DVDなんかで何回も観(視)た作品なのに、イリナ・デミックが何の役で、どの場面に出演していたのかは全く覚えていません。オールスターキャストとして一流映画スターが大挙して名を連ねているので、彼女の存在は全く意識していませんでした。再生映像でも視返して確認します(笑)。
彼女(イリナ)は既に亡くなったそうですが、この『シシリアン』では着衣姿のスタイルも素晴らしく、シチリアでの海岸のラブシーンでのヌード姿は圧巻。この場面だけでもアラン・ドロンに成り代わりたかったですね(絶対にムリだけれど…)。
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Tom5k at 2015-10-09 00:10
>tatehanさん、いらっしゃいませ。
コメントありがとうございます。
>イリナ・デミックが・・・・・全く覚えていません。
とのことで・・・。そうでしたか。残念です(笑)。
「史上最大の作戦」では、とてもセクシーな女性のレジスタンスの闘士役でしたよ。
大胆な胸元、脚を武器にナチス占領軍の兵士を煙に巻いて仲間を守るんです。
是非是非、再見してみてください(笑)。
地味ですけれど、素敵な女優さんですよね。
では、また。
コメントありがとうございます。
>イリナ・デミックが・・・・・全く覚えていません。
とのことで・・・。そうでしたか。残念です(笑)。
「史上最大の作戦」では、とてもセクシーな女性のレジスタンスの闘士役でしたよ。
大胆な胸元、脚を武器にナチス占領軍の兵士を煙に巻いて仲間を守るんです。
是非是非、再見してみてください(笑)。
地味ですけれど、素敵な女優さんですよね。
では、また。