『太陽が知っている』~映画における超リアリティ~

 『太陽が知っている』の製作・公開された1960年代後半当時、アラン・ドロンは、たいへん大きなスキャンダルに巻き込まれていました。
 アラン・ドロンの近親の人物ステファン・マルコヴィッチが殺害されて遺体で発見されたのです。この事件は警察当局の捜査対象となり、アラン・ドロン本人も何度も警察に召致され、ヨーロッパ中の新聞各紙、ゴシップ誌が、その内容をスキャンダラスに連日報道していたそうなのです。

 彼と暴力団関係者との関係などが取り沙汰されるようになったのは、この時期からのようです。また、この殺害事件は未解決のまま現在に至っています。

 映画の観客にとっては、この刑事事件がアラン・ドロンの現実生活への想像と重なり、彼の出演する暗黒街を舞台にした犯罪映画の多くが凄まじいリアリティを伴うことになりました。皮肉なことに、この強烈なアラン・ドロンのキャラクターが彼の人気スターとしての全盛期を支えることになっていきます。

 なかでも、この時期に公開された『太陽が知っている』は、過去の婚約者であったロミー・シュナイダーを共演者とし、出世作『太陽がいっぱい』で、殺害される友人を演じたモーリス・ロネを再び殺害される役柄としており、キャスティングも含めてたいへんな話題となった作品です。
 今でもカルト人気の高く魅力的な若きジェーン・バーキンも出演しています。

 そこで、『太陽が知っている』に出演したアラン・ドロンの意図していたものなども含めて、少しでもこの作品を理解することができるようにと思い、わたしの所有している書籍

『アラン・ドロン孤独と背徳のバラードシネアルバム⑥「アラン・ドロン バイオグラフィー南俊子」芳賀書店(1972年)』
『ロミー・シュナイダー恋ひとすじに』レナール・ザイデル著、瀬川裕司訳、平凡社(1991年)
『ロミー・シュナイダー事件』ミヒャエル・ユルスク著、平野卿子訳、集英社(1996年)

アラン・ドロン―孤独と背徳のバラード (1972年) (シネアルバム〈6〉)

南 俊子 / 芳賀書店



ロミー・シュナイダー―恋ひとすじに(1991年)

ロミー・シュナイダー レナーテ・ザイデル 瀬川 裕司 / 平凡社



ロミー・シュナイダー事件(1996年)

ミヒャエル ユルクス Michael J¨urgs 平野 卿子 / 集英社



などを参考にし、この「マルコヴィッチ殺害事件」に関わる抜粋内容を次のとおり列記してみました。

 これは、アラン・ドロンの名誉を毀損する目的では、もちろんありませんし、どこからどこまでが事実なのか憶測なのかも不確定である内容であったことを、当時のマスコミ各誌への報道倫理に係る批判も含めた前提とし、かつ、恐らくは、アラン・ドロン自らも犯罪映画の主人公を演じることに関しては、この事件の効果も踏まえていただろうことなどを鑑みながら整理してみたものです。

 ファンとしては、若干つらい作業でしたが、アラン・ドロンの映画スターとしてのキャラクターには、このようなスキャンダラスなイメージが、作品のリアリティを伴う説得力を喚起し、絶大な効果を挙げていたことを充分過ぎるほど理解することができました。


「マルコヴィッチ殺害事件」について

◎ ステファン・マルコヴィッチ
・ 被害者 ステファン・マルコヴィッチ 事件当時31歳 男性 ユーゴスラヴィア人
・ 死体発見年月日 1968年10月1日
・ 最終目撃年月日 1968年9月22日 
・ 死体発見場所 ヴェルサイユ近郊の塵廃処理場
・ 死体の状況 射殺死体として発見(種々の出典により、バラバラ死体、あるいは両手を縛られ猿轡をされて頭部を撃ち抜かれていた、など)。
・ 被害者の職業 映画俳優アラン・ドロンの第一ボディガード(スタンド・イン兼務)月額2、000フラン(当時の日本円で15万円)、高級売春宿「マダム・クロードの家」(パリ十八区ポール・ヴァレリー街)経営。
・ 居住地 アラン・ドロン邸(部屋数25部屋)パリ八区メッシーヌ通り22
・ アラン・ドロンとの関係では、ボディガード、スタンド・イン(兼務)の外、秘書、友人関係でもあった。
  彼との折り合いが悪くなり、1967年1月に、第一ボディガード、スタンド・インを解雇されていた。
・ アラン・ドロン邸での盗撮写真により、アラン・ドロンへの恐喝を計画していた。
・ 警察の捜査での発覚した事実
  「マダム・クロードの家」において、政財界の著名人、有名芸能人を対象とした性的交友を目的にした事業を企画し、写真盗撮による恐喝を実施。
 ・ 政財界の著名人として、当時の次期大統領候補の共和党ポンピドー夫妻のこの企画への参加経験も取り沙汰された(新聞各社、ゴシップ誌等のおびただしい憶測記事による)。
 ・ その後、警察の捜査中断。

◎ 殺害事件の関係者
○ ミロス・ミロシェヴィッチ
  ユーゴスラヴィア人、男性
  アラン・ドロンの元ボディ・ガード
  アラン・ドロンがハリウッド転居の際、彼にステファン・マルコヴィッチを紹介
・ 1966年1月、ハリウッドで変死。
  ハリウッドの映画俳優ミッキー・ルーニーの五番目の配偶者(配偶者か元配偶者か重婚者なのか不明)と情死(事件調書の記録では心中とのこと)。
・ この事実発生日の前日の夜会パーティにアラン・ドロン夫妻が出席。

※ ステファン・マルコヴィッチ、ミロス・ミロシェヴィッチ双方に関わる内容が記載されている書籍においての異なる説明部分
  ナタリー・ドロン(アラン・ドロンの配偶者(1964年8月18日付け婚姻、1969年2月14日付け離婚成立))と愛人関係にあったこと。
  アラン・ドロンに対してのナタリー・ドロンの紹介者であったこと。
『アラン・ドロン孤独と背徳のバラードシネアルバム⑥「アラン・ドロン バイオグラフィー 南俊子」芳賀書店(1972年)』では、ステファン・マルコヴィッチの前歴として記載され、『ロミー・シュナイダー事件』ミヒャエル・ユルスク著、平野卿子、集英社(1996年)では、ミロス・ミロシェヴィッチの前歴として同内容で記載されている。
 いずれが誤りなのかは不明。

○ ゾリカ・ミロシェヴィッチ
 ミロス・ミロシェヴィッチの妹
 ステファン・マルコヴィッチの情婦
● 証言
・ミロス・ミロシェヴィッチの死の要因はステファン・マルコヴィッチによるもの。
・ミロス・ミロシェヴィッチとステファン・マルコヴィッチは、ともに雇用主であったアラン・ドロンとの情愛関係を巡るトラブル関係にあった。

○ ステファン・マルコヴィッチの兄
ユーゴスラヴィアのベオグラードに居住
● 証言
・ステファン・マルコヴィッチの手紙を所有
・手紙にあった文言の中に次の内容があった。
「もし自分の身に異変が起こったら、アラン・ドロンと夫人ナタリイ、および彼らの手下であるフランソワ・マルカントーニに問い合わせろ」

○ フランソワ・マルカントーニ
・ パリのナイト・クラブ経営
・ コルシカ出身のマフィア
・ アラン・ドロン夫妻と友人関係
  アラン・ドロン、ナタリー・ドロン婚姻時の立会人
  ステファン・マルコヴィッチは、アラン・ドロンに解雇された際の彼への怨恨から恐喝行為を計画していたが、フランソワ・マルカントーニのアラン・ドロンへの事前の情報提供で未遂となる。
・ マルコヴィッチ殺害事件への関与の疑義から逮捕拘留(10月間の未決拘留後、釈放(保釈金4万マルク))
  【保釈金の支払者 アラン・ドロン】

○ ウロス・ミリセヴィッチ
・ 「マルコヴィッチ殺害事件」の証人のひとり。
・ ステファン・マルコヴィッチを最後に見た者。
・ 1976年、ブリュッセルのホテルの一室で射殺死体として発見。

◎ アラン・ドロンについて
○ 「マルコヴィッチ殺害事件」の参考人として警察当局に召致。
・ 召致・尋問年月日 1969年1月23日、1969年3月12日、外2回
・ 最高留置時間 36時間
・ アリバイ提出

※ アラン・ドロンは、被疑者として事情聴取をされたわけではなく、あくまで参考人として召致されていたとのことですが、証拠物件を差し押さえられていたこと、1月23日の召致では1月25日朝まで35~36時間に及ぶ長時間を拘束されていたこと、アリバイに関わる答弁をしていたことなどから、事件関与の疑義に関わって、かなりの積極的な取調べを受けていたと察することができます。
 恐らく、アラン・ドロンは、被疑者として確定され検察に送検されるまでの前段階として、任意捜査によった重要な参考人として事情聴取されていたと思われますので、捜査当局においては、これらの段階を経たうえで、逮捕令状や家宅捜索などの申請から強制捜査に転換する目算であったとも考えられます。

○ 証拠物件とアラン・ドロンの証言の不整合部分について
・ アラン・ドロンの証言
  マルコヴィッチの目撃証言、最後に目撃された年月日に、サン・トロペーで共演者の女優ロミー・シュナイダーと映画『太陽が知っている』のラブ・シーン撮影中であった。
・ 不整合部分
  実際の当日は撮影休止の日であった。
  アラン・ドロンが9月22日に投函した友人あて絵葉書の消印がパリの消印となっていた。9月22日はサン・トロペーにいたと証言していた期間内であった。
・ 不整合部分に関する本人の答弁
  その絵葉書は友人に依頼してパリで投函してもらった。

○ 映画作品『太陽が知っている』について
・ 1968年制作、1969年1月30日プレミア公開。
・ 映画の内容
  友人を殺害する犯罪者を主人公にしたサスペンス作品。主人公は、証拠不十分により履行した殺害は完全犯罪の事案となる。
・ 共演者ロミー・シュナイダーについて記載された書籍からの『太陽が知っている』制作当事のことに関わる掲載部分の抜粋内容。
【1969年2月1日
 (-略)追記 今日、私たちに向かって発砲した男がいた-まさか、待ち伏せされて撃たれるなんて誰も思ってもみなかった。頭のおかしいユーゴスラヴィア人がアラン目がけて発砲したのである。弾は危く私に当たるところだった。残念なことに、今日着ていたパコ=ラバンヌのドレスは防弾仕様ではなかった!】
【『ロミー・シュナイダー恋ひとすじに』レナール・ザイデル著、瀬川裕司訳、平凡社(1991年)】

【一九六九年一月三十日の『太陽が知っている』のプレミアは大成功を収めた。カムバックに成功した旨をロミーは嬉しそうに女友達に手紙で知らせている。ただ、追伸にこう記した。「わたしたちみんな不安だったの。頭のおかしいユーゴスラヴィア人がどこかでアランを待ち伏せて撃たないとも限らないって思ってたから。だけど、もしそんなことがあったら、きっとわたしに当たったわ。だって、いつもそうなんですもの。」】
【『ロミー・シュナイダー事件』ミヒャエル・ユルスク著、平野卿子訳、集英社(1996年)】

○ 1970年4月25日付けで、アラン・ドロンからフランス共和国大統領あてに「マルコヴィッチ殺害事件」の早期解決の公開嘆願。

 これらの記載は、すでに発刊されている書籍等に掲載されている範囲を超えてはいませんが、正式な事件調書として公開されているものを整理したものではありません。よって、その内容自体のどこからどこまでが事実なのか憶測なのかも不確定であるかもしれませんし、なかには翻訳した段階での誤訳や勘違いや誤ったゴシップ情報などもあったかもしれません。

 しかしながら、これらのことは当時の日本でも実際に報道されて大きな話題となっていた経緯もあり、アラン・ドロンの映画作品を鑑賞するうえで、結果として逆に有意義なものとなっていたことも事実です。わたしとしては、映画の主人公と出演しているスター俳優の整合によるリアリティを表出していたことや、当時の社会現象としての映画史上の一断片であったことなどを考え併せ、極端に言えばアラン・ドロンの映画スターとしての実績として評価すべきであるとまで思ってしまうのです。

【ドロンはギャバンとはちがいさまざまな異質なヒーローを演じながら、ドロン=ヒーローとして一貫性をもっている。彼は舞台経験がほとんどないだけに、かえってそういう芸当もできるのである。またそういう自信には一時代まえのギャバンの自信とはちがった近代性がある。TVコマーシャルにでても一向平気なのもそのためだ。1968年に彼は、自分のガードマンだったマルコヴィッチが殺害された事件で、殺人の嫌疑さえかけられ、一時は俳優としての生命をうしないそうになったこともあったが、立派に彼はそれを生き延びた。ヒーロー=ドロンは無傷だった。当時彼はすでに常人ではなくヒーローそのものになっていたのである。】
【引用~「ユリイカ詩と批評1976年6月号~特集映画ヒーローの条件」(映画におけるヒーローと俳優 主としてフランス映画の場合 飯島正)】


 映画俳優としてのデビュー当時に、ルネ・クレマンやルキノ・ヴィスコンティなどのリアリズム作品への出演にあたって、徹底的に演技力を鍛え抜かれたスター俳優アラン・ドロンの演技における究極のリアリズムは、とうとうこの閾値まで達してしまっていたのです。
 ここまでくると、ロベール・ブレッソン、ロベルト・ロッセリーニ、山本薩夫、ヌーヴェル・ヴァーグ諸派の作品でさえも・・・果たして、これほどのリアリズム以上のものまでを表現し得ていたのだろうかと疑わしくさえなってくるほどです。


「いい映画ができた。面白いし、スリルもある。殺人のシーンではみんな身じろぎもせずにスクリーンを見つめていた。アランは震えていた-(略-)」(ロミー・シュナイダー)
【『ロミー・シュナイダー 恋ひとすじに』レナール・ザイデル著、瀬川裕司訳、平凡社(1991年)】
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by Tom5k | 2010-09-26 01:34 | 太陽が知っている | Trackback(2) | Comments(4)

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Commented by オカピー at 2010-09-27 00:44 x
暑さは過ぎましたが、熱いですねえ。(笑)
本稿と弊記事へのコメントは、7月に観た韓国映画を思い出させました。

ヤクザを演じる俳優の要請でヤクザが俳優になる「映画は映画だ」という韓国映画ですが、トムさんには一見の価値がありそうですよ。
映画の中の映画監督がリアリティーを求めた結果なのですが、二人は現実と虚構の合せ鏡的な存在でもあり、俳優とヤクザのアイデンティティーも絡んでくる入れ子構造のお話です。
但し、この作品を作った監督自身は映画の中の監督とは少し考えが違うような気がしましたけど。

ロミー・シュナイダーと言えば、NHKで放映されていたので「プリンセス・シシー」シリーズを全部観ました。
基本的には他愛ないファミリー映画ですが、部分的には面白いところもありました。
Commented by Tom5k at 2010-09-27 23:49
>オカピーさん、こんばんは。
>7月に観た韓国映画を思い出させました。
確かに興味深いですねえ。
むかし、羽仁進の「不良少年」という凄い作品がありましやけど、少し思い出しました。
>二人は現実と虚構の合せ鏡的
本当に面白い発想ですね。オカピーさんの嗜好には合わないかもしれませんが、ジョゼ・ジョヴァンニなんかもそんなイメージですよ。
>ロミー・シュナイダー・・・「プリンセス・シシー」シリーズ
他愛ないファミリー映画とはいえ、これこそロミーなのではないでしょうか?ヴィスコンティがロミーでシシーのその後を描いたのは、このシシーシリーズの基盤があったからこそ、「ルードヴィッヒ」でそれは総括されたのだと思います。ロミーが若き頃それを演じた経験があったのと無かったのとは、かなり異なったように思います。是非オカピーさんにもシシー完結編観て欲しいな。

ところで、わたくし、10月1日付けで転勤になります。えっと、7年ぶりに姐さんの住んでいる街に復帰です。どっかで、姐さんに遭遇するかも。
では、また。
Commented by mchouette at 2010-11-16 15:22
トムさん こちらにも。
上でオカピーさんが書かれている「映画は映画だ」面白いですよ。またドロン論に関して新たな切りくちが沸いてきそう。
この事件はかなり騒がれたから記憶にあるわ。「俳優がヤクザをえんじてるんではなくって、ヤクザが役者をやっているんだ」とまで言われ、裏社会とのつながりなども取りざたされてた。
それでもそれでもなお彼主演の「太陽がいっぱい」の魅力は霞まないし(ルネ・クレマンの力量でもあるだろうけど)、日本におけるそのドロン人気は衰えなかったように記憶してますが…。私自身、そういう報道を聞いても、ドロンはドロンって思えるほど彼の人気は不動だったような。そういう食いろい噂を凌駕するほどのカリスマ性は日本では定着していたような。
それから質問。アラン・ドロンってフランスでは日本ほどの人気ではないって耳にするけど、どうだったんですか?
「フリック・ストーリー」ではトラティニャンと共演しているし、なんといってもギャバンとは親子関係的な役柄で共演しているし…どうなんでしょうね。
Commented by Tom5k at 2010-11-17 20:02
>シュエットさん、こちらにもコメントありがとう。
>「映画は映画だ」
シュエットさんにまで、そう言われると観ないわけにはいかんですな(笑)。
>俳優がヤクザをえんじてるんではなくって、ヤクザが役者をやっている・・・
実際、そうだったんじゃないですか?
ただ、それは若いころのルネ・クレマンからの教示もあったからだと思っていますが、見事にアクシデシデントの効用として彼の一切のキャリアを傷つけず、むしろ魅力となって人気全盛期になっちゃった。
>アラン・ドロンってフランスでは日本ほどの人気ではない・・・
それはそうでしょうね。ベルモンド、トランティニャン、ピコリには絶対勝てなかったようです。
数年前のフランスでの最も影響力の強かったスターの選定では、ハリウッドの俳優も含めて11位だったそうですよ。
ただ、ヨーロッパ全域としての人気やアジア圏での人気はトップクラスでドロンはフランス人だけれども国際スターだったんでしょうね。
特に「パリの灯は遠く」のときの男優ランキングはベルモンド、トランティニャン、ピコリを抜いてトップだったそうです。
では、また。