人気ブログランキング | 話題のタグを見る

映画作品から喚起されたこと そして 想い起こされること

by Tom5k

『サムライ』⑥~アラン・ドロン、スターとしての古典的個性とその究極のダンディズム~

 アラン・ドロンが主役級のスターになったのは、映画出演3作品目、ミッシェル・ボワロン監督の『お嬢さん、お手やわらかに!』(1958年)からです。
 それ以降、ジャン・ギャバンと互角に共演した1962年の『地下室のメロディー』が、彼の初めての「フレンチ・フィルム・ノワール」での主演作品でした。
 その後1964年に、MGMの『さすらいの狼』、同年、ハリウッドに渉って『泥棒を消せ』など、アメリカ資本の「ノワール」系の暗黒街映画などでの主演歴があります。

【>アラン・ドロン
(-略)アメリカ移住は私には問題外だったね。私を説得しようと連中はあれこれしてくれたが・・・『泥棒を消せ』では妊娠してた妻が出産するまで(撮影を)待っていてくれた、連中が言うように私が”クール”であるためにね。素晴らしい家も用意してくれていたんだ、でも3週間もすると、私はパリへ電話して、半べそかいて、鬱状態だった・・・その後すぐさまフランスへ戻って来てしまった。だからアメリカは私にとってキャリアの選択じゃなく人生の選択なんだ。行きつけのビストロや自分のパンが必要なんだ、世界一のスターにならないかと言われるよりも重要なことだよ。それでもスターとしてアメリカで6,7本の映画に出演した。成功したとは思わないよ。アメリカで成功を収めた欧州の人間は少ないよね。(略-)】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/27 「回想するアラン・ドロン:最終回(インタヴュー和訳)」

【>アメリカでキャリアを築こうとは思わなかったのですか?
>アラン・ドロン
それはキャリアの選択じゃなく、人生の選択だ。アメリカでは生活できない。死ぬほど退屈してしまったよ!パラマウントのお偉いさんのボブ・エヴァンスに住んでみろと言われたんだがね。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/26 「回想するアラン・ドロン:その9(インタヴュー和訳)」

 彼は1966年にハリウッドから帰仏して、青春賛歌の映画詩『冒険者たち』でフランス映画界に返り咲き、いよいよ、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の映画作家として有名だったルイ・マル監督の演出で、エドガー・アラン・ポーの古典文学のキャラクターであるウィリアム・ウィルソンを演じました。

 見事なフランス映画復帰の二作品でしたが、更に三作品目の1967年制作『サムライ』で、ジャン・ピエール・メルヴィル監督に巡り会うことになり、彼らはこの作品で「フレンチ・フィルム・ノワール」としての極限的な美学を生み出すことになります。
 この作品は、1960年代から、1970年代に架けて、アラン・ドロンがスターとしての全盛期を迎えるキャラクター、特に「フレンチ・フィルム・ノワール」でのギャング・スターの個性を確立した作品となりました。

 商業ベースにあっても、映画芸術の視点からであっても、「ヌーヴェル・ヴァーグ」以降の新しい作家主義の系統を内包しているジャン・ピエール・メルヴィル監督の演出した作品でありながら、1930年代のワーナー・ブラザーズ一連のプログラム・ピクチャーであった「ギャングスター映画」や、1940年代のハリウッドB級「フィルム・ノワール」、自国における1930年代以降「詩的レアリズム」のノワール的傾向の伝統、1950年代以降に確立されたセリ・ノワール叢書を原作とする「フレンチ・フィルム・ノワール」など、アラン・ドロンが得意とする伝統的で古典的な題材を包含した作品となりました。

 この前作に撮ったルイ・マル監督の『ウィリアム・ウィルソン』も同様でしたが、旧来からの古典的な映画要素・題材によって、新しい時代「ヌーヴェル・ヴァーグ」以降の演出手法や「ヌーヴェル・ヴァーグ」のキャスト・スタッフで作品を制作する傾向はアラン・ドロンの作品の特徴ともいえます。語弊があるかもしれませんが、新しい映画人を旧来の古き良き時代の映画に挽きづり込んでしまうことを、これほど上手にやり遂げてしまうアラン・ドロンの我の強さには驚かされます。

 ルイ・マルやジャン・ピエール・メルヴィル以外にも、『ボルサリーノ』でのジャン・ポール・ベルモンド、『個人生活』でのジャンヌ・モロー、『フリック・ストーリー』でのジャン・ルイ・トランティニャン、『チェイサー』でのステファーヌ・オードラン、『真夜中のミラージュ』でのナタリー・バイ・・・そして、『ブーメランのように』でのジョルジュ・ドルリュー、『私刑警察』でのラウール・クタールや『ヌーヴェルヴァーグ』でのジャン・リュック・ゴダールでさえも・・・。
 もちろん、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちからしても、その全盛期以後も映画創作の手法を常に模索し続け、旧世代の映画の特徴を採り入れることにも成功していますし、各人とも「ヌーヴェル・ヴァーグ」を脱皮した以降に、アラン・ドロンと巡り会っているのかもしれません。
 新・旧映画人たちは、どちらがどちらに影響を与えているのかという判断も極めて難しいところですので、一概に決めつけることは危険ですが、彼らがアラン・ドロンと組むと、一作品の中に、新しい映画の傾向と古い映画の傾向が同時に存在することになり、その結果として、生き生きとした躍動感を生み出す作品になっていることだけは間違いのないことのように思います。

 思えば、アキム兄弟がプロデュースした『太陽がいっぱい』で、旧世代のルネ・クレマンと「ヌーヴェル・ヴァーグ」のアンリ・ドカエ、ポール・ジェコブ、モーリス・ロネが組んだことなども、アラン・ドロンというスター俳優及びプロデューサーとして、後々の映画人としての生き方に大きな影響を与えていたのかもしれません。

 繰り返しになりますが、アラン・ドロンが製作・出演している作品は、一貫して作品の傾向もクラシカルですし、古いタイプの映画的題材を扱うことが多かったように思います。
 例えばそれらは、剣戟や西部劇などのエンターテインメントであり、ウィリアン・ウィルソンやゾロのような古典キャラクターであり、犯罪者、ギャング・殺し屋・逃亡者の死の美学であり、刑事事件のスリルとサスペンスであり、それらのアクションであり、メロドラマの悲劇性であり、レジスタンスの反骨精神であり、リアリズムの叙事詩、映画芸術であったのです。

【ベルモンドは人気スターで、ドロンはスターそのものである。2人は警官やならず者だったのだ。(-中略-)一方はほとんどフランス国内にとどまり、もう一方はかなりの国際派で、イタリア人の貴公子の役や、アメリカ西部の殺し屋の役や、コンコルドのパイロットの役も、ごく自然に似合う俳優だ。】
【引用 『フランス恋愛映画のカリスマ監督 パトリス・ルコント トゥルー・ストーリー』ジャック・ジメール著、計良道子訳、共同通信社、1999年】

パトリス・ルコント トゥルー・ストーリー フランス映画のカリスマ監督

ジャック・ジメール / 株式会社共同通信社



【>アラン・ドロン
(-略)・・・私はヌーベルバーグの監督たちとは撮らなかった唯一の役者だよ、私は所謂「パパの映画 cinéma de papa」の役者だからね。ヴィスコンティとクレマンなら断れないからねえ!ゴダールと撮るのには1990年まで待たなくてはならなかったんだ。
(-略-) 
>アラン・ドロン
(-略)人に仕返ししてやろうと思ったこともないし、自分のやり方で自由にやって来ただけなんだ。私が間違っていたと言ってもらいたいが、今になって変わる必要もないだろう?でシネマテークが何かを変えてくれるという発言だったが、私はそんな事はどうでもいいよ!もうだいたい遅過ぎるんだ。もっと前に言ってもらいたかったな。(略-)】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/21 「回想するアラン・ドロン:その7(インタヴュー和訳)」

 『真夜中のミラージュ』や『ヌーヴェルヴァーグ』でさえも、その制作時期においては、すでにセンセーショナルな新しい映画としてではなく、映画史での体系では、安定感のある確実な実績のうえに制作された作品でした。
 ジャン・リュック・ゴダールやベルトラン・ブリエの作品においてさえ、アラン・ドロンは、フランソワ・トリュフォーによって侮蔑されていた「パパの映画 cinéma de papa」の俳優だったのです。

 また、「私が間違っていたと言ってもらいたい」、シネマテークの影響力について、「もっと前に言ってもらいたかったな。」という彼の発言には、自分自身のスター俳優としてのスタイルを、「新しい映画」の俳優として改変する機会を持てなかったことに対しての過去の実績に対する複雑で微妙な心情が垣間見えるように思え、これは、彼にしては極めて貴重な発言であり、珍しい心情吐露ともいえましょう。

 確かに、アラン・ドロンというスター俳優が、最も活躍していた1960年代から1970年代に、「ヌーヴェル・ヴァーグ」が・・・シネマテークが・・・カイエ・デュ・シネマ誌が・・・彼に何かを働きかけたでしょうか?恐らくそんなことなど、ほとんどなかったように思います。
 「ヌーヴェル・ヴァーグ」からすれば、彼は、ただ単に、商業映画の二枚目ギャング・スターであっただけでしょうし、一般的にもフランスの暴力団組織に関与している黒い噂を持つ危険で超人気の、しかし二流・三流のスター俳優でしかなく、新しい映画芸術の体系においては、完全に無視され続けていた俳優であったように思うのです。

 「ヌーヴェル・ヴァーグ」専門の映画評論家である山田宏一氏によれば、アラン・ドロンが、ようやく巡り会った映画作家ジャン・ピエール・メルヴィルに関してさえ、
【自らは『サムライ』から『リスボン特急』に至る「アラン・ドロン映画」のお抱え監督になり、かつての「メルヴィル映画」-撮影所システムやスター・システムを根底から否定したロケーション主義、低予算映画というヌーヴェル・ヴァーグのさきがけとなった真の「作家」の映画としての「メルヴィル映画」-の神話を商業主義の場にあっさりと葬ってしまったような感じだ。】
【引用『わがフランス映画誌(「ヌーヴェル・ヴァーグ」の項)』山田宏一著、平凡社、1990年】

わがフランス映画誌(1990年)

山田 宏一 / 平凡社



などと揶揄していますし、ジャン・リュック・ゴダールに関してでさえ、
【ジャン・リュック・ゴダールは『ヌーヴェルヴァーグ』という題名の映画を撮って、みずから「失敗作」と断じた。】
【引用『友よ映画よわがヌーヴェル・ヴァーグ誌』山田宏一著、平凡社、1985年】
と出典あるいは詳細を示さず、中傷的な結果のみで記述しています。

増補 友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌 (平凡社ライブラリー)

山田 宏一 / 平凡社



 それはともかく、アラン・ドロンが、この『サムライ』に出演したことは、彼にとってもフランス映画界にとっても、計り知れない価値を生み出したと、わたしは考えています。

 アラン・ドロンは、この作品で初めて、ソフト帽とトレンチ・コートを身につけ、職業的犯罪者に扮したわけですが、特にこの作品での彼のハード・ボイルド・スタイルについて検証してみると、
アラン・ドロンは、デビュー以来、『冒険者たち』までの作品で、どのようなペシミスティックで暗鬱なテーマの作品であっても、例え、それが『太陽がいっぱい』のトム・リプリーであっても、その一作品中には笑顔の似合う優しい好青年の要素を持ったアイドル的スターの側面を垣間見せていたようには思います。

 しかしながら、この『サムライ』では、その表情そのものが無と化し、それがアクションによって構成されているショットでさえ、主人公ジェフ・コステロの行動様式は静的で虚無そのものを表現するものとして昇華されています。
 思えば、前作の『ウィリアム・ウィルソン』も、爽やかな好感の持てる主人公の表情など、どのワン・ショットにおいても必要としない作品でした。彼のその犯罪性向者としてのキャラクターの魅力は、過去のルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』の主人公トム・リプリーやクリスチャン・ジャック監督の『黒いチューリップ』の主人公の兄ギヨームから継承され、ルイ・マル監督によって、この作品で純化されたのかもしれません。

 また、『黒いチューリップ』での粗野な強盗としての悪徳のキャラクター、『太陽がいっぱい』や『ウィリアム・ウィルソン』での犯罪性向者のキャラクターは、人格の破綻者か、兄弟に比喩した表裏の二重自我として設定されていましたが、それは欲得にまみれたサディスティックな主人公の個性と合わせて、極端に良性の人格も一作品内において同時に演じてもいたのです。

 ところが、『サムライ』で表現されている主人公ジェフ・コステロのダンディズムは、そのような典型的な犯罪者の性向とも異なり、同じくジャン・ピエール・メルヴィルが演出した「フレンチ・フィルム・ノワール」作品『いぬ』で、ライバルであるジャン・ポール・ベルモンドが演じた主人公シリアンの人間的、かつファッショナブルなキャラクターとも異なるものでした。
いぬ
/ アイ・ヴィー・シー





 それは、主人公ジェフ・コステロの行動様式そのものが、冷徹で折り目正しく、自らの規範に潔癖に従い、その清貧の思想を誇るものとして表現されているからなのです。わたしは、このアラン・ドロン独自のスタイルとも言えるダンディズムに、
「精神主義やストイシズムと境界線上にある自己の崇拝する方法で独創性を追求する態度、改革期が終わってすぐの反封建的な風習の残っている時代に現れる退廃期の英雄主義。」
と、定義付けた「悪の華」の詩集で有名なフランスの詩人シャルル・ボードレールの言葉を思い起こすのです。
悪の華
ボードレール 堀口 大学 / 新潮社





 「ヌーヴェル・ヴァーグ」に一新されたフランス映画界において、その先駆でありながらも、旧来の映画ジャンル「暗黒街映画」を残存させたジャン・ピエール・メルヴィル監督は、アラン・ドロンに旧世代からの伝統的キャラクターを継承させ、彼の映画スターとしての英雄的イデオロギー、そのオーラを、『サムライ』での暗黒街の主人公ジェフ・コステロを通して最大限に発光させました。

 アラン・ドロンは『サムライ』以降、「暗黒街での一匹狼」というある種の伝統的キャラクターを継承しながらも、現代的なアンチ・ヒーロー的ヒーローとしてのキャラクターをも確立していきました。

 恐らく、彼は「ヌーヴェル・ヴァーグ」が終わってすぐの時代に、僅かではあっても、旧世代の作風が残存できることの可能性を信じ、新時代以降に究極のダンディズムによって、したたかに、たくましく、時代に抗っていったのだと思うのです。
 その彼のダンディズムの根底に想いを馳せたとき、わたしは、その反骨の志に、いつものように手前勝手に感動してしまっているのでした。
by Tom5k | 2010-08-24 02:25 | サムライ(6) | Trackback | Comments(2)
Commented by トールバズ at 2010-08-24 20:23 x
前回の「仁義」といい今回の「サムライ」といい、Tomさんのアラン・ドロンやフランス映画、メルヴィルへの思い入れや文章は重厚で、読み応えがあります。

「サムライ」・・これは以前私のブログにて発表しましたが、もう一度書いてみようかなと思わせる傑作であり、今一度掘り下げる価値のあるイデオロギーがあると思いました。
以前NHKで放送された「サムライ」のDVDを見返しております。
Commented by Tom5k at 2010-08-25 23:16
> トールバズ さん、いらっしゃいませ。コメントありがとうございました。
ほんとうに、メルヴィルは素晴らしいですよね。
『映画伝説 ジャン=ピエール・メルヴィル』という本を読んで刺激を受けているんですよ。これは、素晴らしい著作です。 トールバズ さんにもお薦めだな。
>「サムライ」
もうこれは、是非是非 トールバズさんの記事を楽しみにしています。何度観ても新しい発見があるように思います。
わたしは、失敗作といわれている「リスボン特急」にも魅了されているところです。

では、また。
名前
URL
削除用パスワード