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映画作品から喚起されたこと そして 想い起こされること

by Tom5k

『仁義』②~劇場公開当時及びTV放映当時から、現在へ

 1960年代後期から1970年前期にかけての映画界は、「アメリカン・ニューシネマ」の時代を迎えながら、「ギャングスター(マフィア)映画」や「アクション映画」の全盛期を迎えていった時代であり、アラン・ドロンの人気も、そういった系統に属する「フレンチ・フィルム・ノワール」や「フランス製アクション映画」で映画スターとしての絶頂期を迎えていました。

 東宝東和配給の『仁義』は、正月映画として公開された昭和45年12月当時、日本ヘラルド配給の『狼の挽歌』とライバル配給会社の対決、そして、主演のチャールズ・ブロンソンとアラン・ドロンの「ギャング映画」対決として、興業価値の観点から注目されていたようです。

【さて、正月作品の中で本命と目される作品はというと、やはり「狼の挽歌」(ヘラルド配給、チャールズ・ブロンソン、ジル・アイランド、テリー・サバラス主演)だろう。
 これにからむのが「仁義」(東和配給、アラン・ドロン、イブ・モンタン、ブールビルの主演)だ。両者ともギャング映画であり、東和、ヘラルドというライバル会社の作品、ドロン、ブロンソンという現在の人気抜群のスターの作品と話題にはこと欠かない。
 (-中略-)「仁義」の方はジャン・ピエール・メルビル監督の作品で、話の内容は実に巧みで面白いが、ややシブイきらいはある。質的には前者より上だが、興業価値は落ちると見るのが正当な評価だ。(略-)】
【「キネマ旬報1970年12月下旬号」興業価値 外国映画「ドロンとブロンソン」】

 公開時の興行価値の側面からは、チャールズ・ブロンソンのアクション映画の集大成として、『狼の挽歌』に軍配が挙がっていたようです。

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 わたしが、『仁義』を初めて観たのは、確か小学校の5・6年生頃ですから、昭和50年代の初めころだったでしょうか。そのころのテレビ放映によるものでした。

 現在のわたしとしては、ブールヴィル演ずるマッティ警視の孤独、人としての良心をおろそかにしてまで、当局側の非人道的なセオリーに従って生きざるを得なくなってしまった男の孤独が強烈に印象に残ります。

 記憶として定かなものではないのですが、恐らく、当時のテレビ放映では、日本での人気スター、アラン・ドロン、シャンソン歌手としても有名だったイブ・モンタンの出演シーンを中心にした放送時間の枠内での編集のためなのか、マッティ警視や警視総監の関係からの捜査当局への否定的な描き方、作品のテーマに関わる最も重要な警視総監の
「人間は常に悪に染まっていく。すべての人間は罪を犯している。」
など、この作品本来のテーマであるセリフやシークエンスは、あまり重要視されずに編集(カット)されてしまっていたような気がしています。

 また、これも定かな記憶ではないのですが、イブ・モンタンが演じているジャンセンが、マッティ警視に撃たれて絶命する最期のシークエンスでのセリフが、
「サツなんて、クソくらえだ。」
という意味の言葉だったように記憶しているのですが(当時の三木宮彦氏の採録では「-サツは-いつもマヌケだな!」)、これは、現在のDVD(IVC盤)字幕での
「いつも おちこぼれさ」
とは、かなり印象の異なるものです(それにしても、過去に優良警察官であったというジャンセンの設定から、このセリフには違和感が伴います)。

 小学生当時のわたしにとってさえ、ジャンセンが警察官をやめて、このような強盗団に身を落としている理由や、彼が警察権力に反発した生き方にならざるを得ない「何か」があったのだと、想像力を喚起されてしまうセリフだったのです。
 ジャンセンの人生・・・彼の絶命時の気持ちなどを考え込まされてしまう言葉でした。
 ですから、現在のDVD鑑賞から、最も強く感じられるマッティ警視の深い孤独感や虚無感よりも、自宅の壁に飾り付けられている、「国際警察大会優勝」の刻印が記されている表彰盾から、射撃の名手であるジャンセンが、エリート・コースを歩む道を踏み外して人生を転落していったことを想起させられ、その生き様や死に様のほうが、子どもながらに強烈なインパクトとなっていたのです。
 誰にもわからない男の孤独、そして逆に男の規範のようなものを感じて取っていたと記憶しています。
 小学生にしては、随分とおやじくさい感想を持ったものだと、我ながら自嘲してしまいますが・・・。

 順調に着実にエリート・コースを歩んでいるマッティ警視は、ジャンセンの人生の転落をより鮮明に描くため、彼と対比するために、敢えて登場させた人物のようにしか印象に残りませんでした。
 

 また、アルコール中毒患者特有のジャンセンの幻覚として描かれている「は虫類」、それらが部屋中をはいずり回っているシーンなども、実に気味の悪い印象として記憶に焼き付きました。

 思い出せば、一緒にテレビを観ていた父親は、そのシーンで
「あっ、アル中だっ!」
と叫んでいたのを、今でもはっきり憶えています。

 わたしは、ジャンセンが、宝石強盗の仕事に就くときのナイト・クラブでアラン・ドロン演ずるコレイと落ち合うシークエンスで、アルコール中毒症状から回復し、宝石強奪時には、完全にそれを克服できた様子から、ハワード・ホークス監督の「リオ・ブラボー」を想い出しました。
 その作品での主演のひとりであるディーン・マーティンが、挿入曲「皆殺しの歌」が流れてきたとき、手の震えが止まるショットを連想したのです。

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 一度は、落ちぶれてしまった者が再起する瞬間、「再生」と「復活」・・・そんな魅力ある映画のテーマが想起させられたことも、懐かしく想い出すことができます。

 余談ではありますが、一緒にテレビを観ていた父親は、

「アラン・ドロンの映画で有名なのは、『太陽がいっぱい』くらいだ。せいぜい、この『仁義』が少し有名なくらいかあ?それにしたって、知っているのは、よっぽどフランス映画を好きな奴らくらいだろうけどな・・・。売れないんだよなあ、こいつの映画・・・。」

という、いつもながら、本当に頭に来る解説を聞きながらの鑑賞でした。
 父親にとっては、『地下室のメロディー』も『シシリアン』も、ジャン・ギャバンの映画だったようですし、『さらば友よ』は、チャールズ・ブロンソンの主演作品、『レッド・サン』もチャールズ・ブロンソンと三船敏郎が愛すべき主人公で、アラン・ドロンは憎むべき悪役。『冒険者たち』は、興味自体が無かったようですし、『ボルサリーノ』は、知らなかったようです。

 しかも、なんと、『サムライ』にかかっては、失敗作だと抜かしていました。

「殺し屋を侍に当てはめるなんて、わけわからん感覚だな・・・。まっ、失敗作だべ。」

 何せ、実に不愉快な気分で、テレビを観ていた記憶があります。


 2度目の鑑賞は中学3年の頃、昭和50年代の半ば頃だったでしょうか?
 テレビでの放送日、友人との話題で、
「今日、アラン・ドロンの映画、テレビでやるから観ようぜ。」
と話していた記憶があります。

 その友人は、当時テレビ放映された『さらば友よ』や『ボルサリーノ』などを観て、アラン・ドロンの映画は面白いと思い込んでいました。そんなことから、この『仁義』にも、相当に期待していたらしいのですが、地味で暗鬱な大人の「フィルム・ノワール」であることから、
その感想は、

「期待してたのに、面白くなかったなあ。」
でした。

 どうも、過去の『仁義』の鑑賞時のわたしの周囲の反応で芳しいものは、あまり無かったようです。


 アラン・ドロンのファンとしては、この『仁義』は、彼の主演している作品として、典型的な作品と言えると思います。
 宝石強盗団のアクションを基軸にしたストーリーであり、この作品以前、すでに『地下室のメロディー』、『泥棒を消せ』、『さらば友よ』、『ジェフ』、『シシリアン』などで、計画的な宝石や現金の強奪をプロットとして設定している作品が多かったこと、主人公たちの男同士の友情を基軸にした作品であることも、『冒険者たち』、『さらば友よ』、『ボルサリーノ』などで、お馴染みの設定であったこと、などが挙げられるからです。

 このころ、公開された「アラン・ドロン映画」としては、類型的でワン・パターンのステレオ・タイプの作品として印象づけられていたことも、無理の無いことのようにも思えます。

 しかしながら、映画作品としてのこの作品の評価は、現在においては、映画史的な意味で、考えられないほどの高評価となっており、わたしとしては、この極端な評価の変遷はとても信じられないことでもあります。
 ジャン・ピエール・メルヴィル監督が、アラン・ドロンを主演にした作品は、この外に『サムライ』、『リスボン特急』がありますが、現在では、『パルプ・フィクション』でカンヌ国際映画祭・パルムドール(最優秀作品賞)を受賞した『キル・ビル』シリーズで有名なクエンティン・タランティーノによる高評価や、実現はしていませんが、「香港ノワール」の旗手であるジョン・ウーやジョニー・トーなどによるリメイクの企画などからも、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の作品の中でも『仁義』の評価が、際だって高いものとなっているそうなのです。

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 例えば、わたしが、現在において『仁義』を鑑賞し、特に印象的なショットを挙げるとすれば、それは、ジャン・マリア・ヴォロンテが演ずる脱走犯ボージェルの逃走現場における、原野一杯に隊列を組む警官隊の陣形のショットです。
 この警官隊列の横一列の全景のズーミング撮影は、犯人が追いつめられる圧迫感を表現している映像としてはもちろんですが、アクション・シークエンスではないにも関わらず、その景観の迫力、映像の強さを感じます。その情景としての美しさにおいても、フランス映画特有のアヴァンギャルドの伝統、すなわち紛れもなく映画芸術としてのフォトジェニックの極みであることを感じることができるものなのです。

 また、ボージェルが、アラン・ドロン演ずるコレイの車のトランクから現れ、初めて彼らが邂逅するシークエンスも印象の強いところですが、特にコレイからもらった煙草をボージェルが吸う時、その瞬間の彼のミディアム・ショットでのカット・ズーミングも、実に前衛的な映像なのです。
 B級俳優であるジャン・マリア・ヴォロンテのクローズ・アップであるからこそ、映像の時流としてのさきがけを予感してしまうようなショットとも思えます。アンリ・ドカエのカメラ・ワークから、職業俳優である前に、彼の私人としての眼、表情、発散するオーラが写し撮られているように感じました。

 他のショットにも、数限りなく映し出される映像の極限美の数々は数え切れません。優れた映画作家の作品は、映像そのものが前衛アートの連続として構成されているように思います。

 公開当時、TV放映時には、誰しもが大きな関心を示さなかった『仁義』・・・単なる地味な「ギャング映画」として、ありふれたアラン・ドロン主演の「ギャング映画」としてしか解釈されなかった作品・・・それから40年あまりを経た現在、映画史の上で再評価の気運が高まった理由を、現代におけるさきがけの映像美の素晴らしさから納得することは、さほど難しいことではないように思うのです。
by Tom5k | 2010-08-08 21:37 | 仁義(2) | Trackback | Comments(5)
Commented by mchouette at 2010-08-11 15:09
お暑うございます。
大阪の蒸し風呂状態で頭も身体も半分溶けて息も絶え絶え状態のシュエットで、ブログ更新も滞っているこの頃です。それに比べ20度台の気温の北海道にお住まいのトムさんの変らぬアラン・ドロン長談義!! 元気だなぁ~ハァ~と溜息つきながら読ませていただいてます。
父君のアラン・ドロンと作品評価に思わず笑ってしまう。
こんど父君の語録特集なんぞ期待したいナァ。
今度NHK・BSでアラン・ドロン特集(と言っても数作品だけど)あるんだけど本作は放映枠にないな。若い時に観たような記憶があるけど、こないに書かれたら再鑑賞してみようかなって気に。
最近、山田宏一氏が「ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」を刊行されて、やっぱゴダールだって思っているところ。彼も今年で生誕80年だって!
暑中見舞いかねてちょっとお喋りしにきました。
ご自愛くださいね。 
Commented by Tom5k at 2010-08-12 01:33
>シュエットさん、ほんとに暑いですねえ。北海道ですけど、暑いです。
>変らぬアラン・ドロン長談義!!・・・
我ながらあほかと・・・、最近、「映画伝説 ジャン=ピエール・メルヴィル」という本を購入いたしまして、久しぶりに「仁義」「リスボン特急」「サムライ」(2回連続)と4回もメルヴィルを観ております。
ギャング・スターとしての確立期の作品ですからね。たまりませんわ。
>父君のアラン・ドロンと作品評価に思わず笑ってしまう。
映画好きのオヤジですが、ドロンは嫌いだったようで、わたしの前で、わざと嫌みなことをいっていました。ただ、ロージーの「暗殺者のメロディ」を観ていたときは、さすがの父親もその余裕がなかったようで、唖然として、言葉を失っていましたよ(して、やったり)。
Commented by Tom5k at 2010-08-12 01:38
>続き
>今度NHK・BSでアラン・ドロン特集・・・
おおっ、ギャバンとの3作品と「ビッグ・ガン」ですね。ノワールなエントリーですよね。「暗黒街のふたり」と「ビッグ・ガン」は、まだ記事にしてないな。
>ゴダール
またまた、記事アップしてくださいよ。それにしても、70年代のゴダール信奉者はブログやってないのかな?検索してもゴダールのブログって、あんまりないですよね。シュエットさんに期待してますよ。
そうそう、メルヴィルのドロン3部作は、是非シュエットさんに観てもらいたい。お薦めですよ。特に最後の作品「リスボン特急」は、まだまだ正確に評価されておりません。現在のところ一般的には失敗作という評価ですが、なかなか、どうして・・・これは未来の映画史の裁決を待たねばならない作品、わたしとしても最重要の懸案として、考えているところです。シュエットさんの感想が聞きたいですね。
では、また。
Commented by マサヤ at 2010-08-18 01:02 x
トムさん
またまた素晴らしい記事を読ませていただきありがとうございます。
特に後半の見事な分析には唸りっぱなしです。
私なんかよりよっぽどメルヴィルを深くご覧になっていらっしゃいますね。
大変勉強になります。

『仁義』は一番好きな作品の一つなので、印象的なショットは数限りないのですが、挙げるとすれば、警報機の鳴る中、モンタンの乗る車がヴァンドーム広場に駆けつけるところでしょうか。
その前にトレンチコート姿のモンタンが宝石店に向かってゆっくり歩いてくる姿もたまりませんね。
もちろん、ドロンとヴォロンテが泥地で邂逅するシーンは最高です。
Commented by Tom5k at 2010-08-19 01:19
>マサヤさん、こんばんは。
マサヤさんに、このようなコメントをいただけて、たいへんうれしいです。でも、正直に言うと、同時に冷や汗もタラ~ッとにじんできますよ。
メルヴィルの作品は、何せヌーヴェル・ヴァーグの先駆ですから、メッセージがつかみにくいこともあり、自分をしっかりと持って気合いを入れて楽しむようにしています。
本当にすばらしいショットの連続で、マサヤさんの指摘されているシーンは、なるほどなあ、大きな見せ場ですよね。モンタンが最も存在感を示し、最も緊迫したところでした。
泥地での邂逅シーンの不思議な音楽も強く印象に残っています。
では、また。
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