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映画作品から喚起されたこと そして 想い起こされること

by Tom5k

『スコルピオ』②~アメリカ映画で、国際スターとして~

【『スコルピオ』にも出演しましたね。
>アラン・ドロン
マイケル・ウィナー監督の英語作品だ、ランカスター、ポール・スコフィールドと共演した、スコフィールドは偉大なシェイクスピア俳優だよ。アメリカ移住は私には問題外だったね。私を説得しようと連中はあれこれしてくれたが・・・『泥棒を消せ』では妊娠してた妻が出産するまで(撮影を)待っていてくれた、連中が言うように私が”クール”であるためにね。素晴らしい家も用意してくれていたんだ、でも3週間もすると、私はパリへ電話して、半べそかいて、鬱状態だった・・・その後すぐさまフランスへ戻って来てしまった。だからアメリカは私にとってキャリアの選択じゃなく人生の選択なんだ。行きつけのビストロや自分のパンが必要なんだ、世界一のスターにならないかと言われるよりも重要なことだよ。それでもスターとしてアメリカで6,7本の映画に出演した。成功したとは思わないよ。アメリカで成功を収めた欧州の人間は少ないよね。シュワルツェネッガー?彼は別だな・・・アメリカで成功したのは監督たちだ:ビリー・ワイルダー、ヒッチコック、ウィリアム・ワイラーやデイビット・リーン・・・】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/27 「回想するアラン・ドロン:最終回(インタヴュー和訳)」


 わたしにとっては、『スコルピオ』は、たいへん好きな作品のひとつです。
 それは、アラン・ドロンが渡米しての第1作品目である1964年の『黄色いロールス・ロイス』から、1966年の『テキサス』まで、遂に果たせなかった純粋なアメリカ映画としての成功を、ようやく達成することができた作品であるように思うからです。
 もちろん、それ以前の彼が出演した作品もハリウッドとの関連性の強いものが多いのですが、基本的にはヨーロッパ映画として体系付けられる作品ばかりでした。
 例えば、ハリウッドの映画会社の国際的な配給権や資本提携などから製作された作品として、1962年の『山猫』は20世紀フォックス、同年の『地下室のメロディー』と1963年の『危険がいっぱい』、1964年『さすらいの狼』はMGMの作品となっているものの、スタッフ・キャスト、舞台設定、ストーリーなどからヨーロッパの映画であったことに替わりはありませんでした。
 ですから、アラン・ドロンが純粋なハリウッド映画のスターとして成功したことにはならなかったように思うのです。

 しかし、『スコルピオ』は、ハリウッドからフランスに帰還した7年後の1973年、1919年にハリウッドで、チャールズ・チャップリンやダグラス・フェアバンクス、そしてあのD・W・グリフィスによって設立されたユナイテッド・アーティス社(1981年にMGMに吸収合併され、現在の経営はMGMと提携しているトム・クルーズだそうです)の作品であり、『荒野の七人』や『夜の大捜査線』シリーズの製作者であったウォルター・ミリッシュがプロデュースした純粋なアメリカ映画なのです。

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 帰仏後のアラン・ドロンは、彼の代表作品となる『サムライ』(1967年)で、ジャン・ピエール・メルヴィル監督に巡り会い、同監督の『仁義』(1970年)、チャールズ・ブロンソンと共演した『さらば友よ』(1968年)、その後、長年の間連れ添うことになるミレーユ・ダルクと初めて共演した『ジェフ』(1968年)、ジャン・ギャバンと再共演した『シシリアン』(1969年)、盟友ジャン・ポール・ベルモンドと共演した『ボルサリーノ』(1970年)などの「フレンチ・フィルム・ノワール」で、殺し屋・暗殺者、宝石強盗、ギャングなどのアンチ・ヒーローとしての新しいヒーロー・キャラクター像を確立していきました。

 また、『あの胸にもういちど』(1967年)によって、英語圏のマーケットで再チャレンジした後、スタッフ・キャストや舞台がフランスであったものの、『ジェフ』をハリウッドのワーナー・ブラザース作品として自らプロデュースし、『シシリアン』、『ショック療法』(1972年)を20世紀フォックスと提携、『ボルサリーノ』はパラマウントと自らのプロダクションであるアデル・プロダクションの作品として合作、『レッド・サン』(1971年)はハリウッドのプロデューサーであるテッド・リッチモンドが、ヨーロッパのロベール・ドルフマンと共同でプロデュースした作品であり、『帰らざる夜明け』(1971年)はMGM作品、ジョセフ・ロージーと巡り会った『暗殺者のメロディ』(1972年)もアメリカ資本と提携した作品でした。

 アラン・ドロンは、1966年からの7年間で、製作会社も制作資本もスタッフもキャストも主たる舞台設定も登場人物も含めての「純粋なアメリカ映画」であるこのユナイト(MGM)作品『スコルピオ』に、こうして辿り着いていったのです。
 しかも、その主人公ローリエは、アラン・ドロンの人気が最も沸騰したキャラクターのひとつ「殺し屋=暗殺者」であり、CIAでのコード・ネーム「スコルピオ」は、11月8日生まれの彼自身の星座にも合致した「サソリ」を意味する名称でした。このように、最も「アラン・ドロン」らしいキャラクターによって、アメリカ映画に出演できたことは、スターとしての名誉を国際市場で回復する意味でも記念すべきことだったように思うのです。

 そして、自らの映画人生におけるハリウッドでの失敗体験を、上記の冒頭にあるような冷静な言動で述懐できていることも、この『スコルピオ』の一定程度の成功からの満足感と、最も得意としていたキャラクターによって、ハリウッド作品で勝負できた自信と確信から発せられているものなのだとわたしは思います。


 『スコルピオ』はハリウッド作品らしく、その舞台設定は国際的で大規模なものです。
 ワシントンD.C.郊外に設置されている官僚組織CIA(アメリカ中央情報局)のエージェントたちを主役にして、主人公の追跡・逃亡先のオーストリアのウィーンに現地でのロケーションを敢行しています。

 わたしは、同時代の似たテーマの作品として、シドニー・ポラック監督、ロバート・レッドフォード、フェイ・ダナウェイ、マックス・フォン・シドー主演の『コンドル』(1974年)、ドン・シーゲル監督、チャールズ・ブロンソン、リー・レミック、ドナルド・プレザンス主演の『テレフォン』(1977年)などを想い出しました。

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 そして、物語においては、バート・ランカスター演ずるクロスのレジスタンス時代のウィーンでの友人、恐らくユダヤ人だと思いますが、音楽団員であるチェリストの友人のマックス・ラングには、アラン・ドロンがこの作品に出演する15年前に初めてロミーシュナイダーと出会った西ドイツとの合作映画『恋ひとすじに』(1958年)で、彼女が演じたクリスティーヌのチェリストである父親の姿を重ね合わせてしまいました。
 古都ウィーンを舞台にして、オペラ歌手を目指していたアラン・ドロン演ずる青年将校フランツの最愛の恋人クリスティーヌ、その父親も『スコルピオ』のマックス・ラングと同様に、清貧のなかで音楽を愛する朴訥なウィーン市民でした。

 ヨーロッパの国際スターとして確立したキャラクターで出演したハリウッド作品『スコルピオ』は、若い頃の美しい恋の想い出のなかでの撮影であり、ジャン・ギャバンとともに最も尊敬するハリウッドのスターであったバート・ランカスターとの対等の再共演の実現でもありました。
 もしかしたら、アラン・ドロンにとって、この『スコルピオ』の撮影時は最上の至福の時だったかもしれません。

 更にこの作品のラスト・シークエンスは筆舌に尽くし難い素晴らしさです。
 カメラの技巧においても、クロス・カッティング、クローズ・アップ、ドリー、パン、シャドウ、音響効果・・・

 主人公ローリエは、恋人スーザン(ゲイル・ハニカット)が、東側チェコ・スロバキアのスパイ活動をするために自分に近付き、クロスと密通していたことを知って、彼らの暗殺を選択してしまいます。

 スーザンを尾行するローリエのクローズ・アップをドリーで追い、深夜のビルの地下駐車場内で政府機関のシークレット情報をクロスに提供しているスーザンの様子をローリエの頭部後方から撮し出して遠方の二人に焦点距離を合わせます。
 そして、ローリエの主観描写を表現するため、正面からの彼のクローズ・アップと二人のスパイをクロス・カットします。
 ローリエが二人に向かって歩行する様子を、ロー・アングルからのミディアムのクローズ・アップからドリーで追い続け、次にクロスとスーザンにカットして、彼らがフレーム右に視線を向けたところを撮し、ローリエに気付く緊迫感を表現しています。
 あわてたスーザンは、フレーム右方向に走り出し、パンするカメラを追い越してフレーム右側に消え、再びロー・アングルのローリエの左方面からのミディアムのクローズ・アップに戻ります。
 ここでの彼のミディアム・クローズ・アップは露出調整によりシャドウに近く、被写体としての表情を鮮明に撮ってはいません。前方に歩行する彼を、カメラが後方に移動して追い続け、次に右斜ロー・アングルから、あわてる様子のスーザンのミディアムに繋ぎ、ローリエの苦渋のポーカー・フェイスのクローズ・アップとを交互にクロス・カットし、彼女に銃口を向けて射殺するのです。
 撃たれたスーザンは、一瞬の苦悶の表情から倒れ込んでフレーム下に消え、その後、銃を構えたままのローリエのミディアムをドリーで追い続け、後方の蛍光灯の照度をバック・ライトに再び露出操作でシャドウに近い表現に戻しています。
 地面に倒れ込んだスーザンのクローズ・アップのカメラの位置は上方からのズームではなく、地面に平行しており非常にリアルに表現されています。
 驚愕したクロスの表情をクローズ・アップし、倒れている彼女の横を歩くローリエを正面からの固定カメラがフル・ショットでとらえ、クロスのクローズ・アップ、横側面から二人のフル・ショットのシーンで、彼らのセリフを挿入します。

>クロス
「おれの目を見て殺せ」
>ローリエ
「今度ばかりは平気で撃てる」
>クロス
「君は利口な男だ」
 クロスの後方頭部から、ローリエの正面のミディアム・ショットに焦点を合わせ
>ローリエ
「CIAに入るためにこの仕事を受けた」
 次に、ローリエ後方からクロスの正面のミディアム・ショット
>クロス
「入れば罪悪感も薄れる」
>ローリエ
「一度はあきらめた 明日彼女とパリへ帰るつもりだった なのに」
 クロスのクローズ・アップ
>クロス
「彼女のことは残念に思うが-おれの計画じゃない」
 ローリエのクローズ・アップ
>クロス
「彼女はチェコのスパイだ」
 ここからのアラン・ドロンの表情は、本当に悲しい。
 わたしの心はたいへん痛み、このシーンを正視することがとてもつらく感じられます。
 ロー・アングルから撮られるクロスが、彼女のバックを開けて
>クロス
「これを渡すために」
 彼らを交互にクロス・カットして、
>クロス
「さあ撃て 君のためだ」
 ローリエのクローズ・アップで
「まだ チャンスがある 手柄を立てろ」

 しばらくの沈黙の後、ローリエは非情にもクロスに向けて銃の引き金を引くのです。
 後方の車に倒れ込むクロス
 悲しく苦しそうなローリエのクローズ・アップ

>クロス
「CIAの中で-いい大人が-ゲームをしてる」
 スーザンの死体にカットして
「人生ゲームだ 傷つけ合いのな」
「善も-悪もない」
 カメラは、駐車場の外に出ようとして後方に向かうローリエの背中を、ズーミングで拡大していきます。
「目指すのは勝利でもなく-敗北でもない」
 クロスのクローズ・アップ
「ルールは一つ ゲームを続けることだ」

 カメラは、ローリエの正面に移り、後方に倒れたクロス、そしてスーザンの死体も含めて全体をとらえ、このセリフの後、彼は後ろに振り向きざまに、クロスに銃口を向けて、再度、引き金を引くのでした。
 その後、ローリエは、ロー・アングルの固定カメラで撮され、正面から前方へ歩行し、コラプス・ドリーによってフレーム左側に外れていくのです。
 そして、残されたクロスとスーザンの無惨な死体をカメラはとらえ続けます。

 次に、ビルディングの駐車場の入り口の全景を撮し、その正面から歩行してくるローリエをマスター・ショットでとらえ、彼が左方向、つまり正面から見て右方向に歩行する様子をフル・ショットのズーム・アップに引き寄せてドリーで追います。この構図は非常に印象的で、クライマックスが終了した段階であると解釈しているところで、右フレームから野良猫が現れ、彼は足を停めてしゃがみ込み手を差し伸べるのですが、この一瞬、何か嫌な予感を感じさせるようなエネルギーが画面のフレームから発出されています。
 案の定、そのプロセスで、カメラ前方の自動車と、車内の人影によって、ローリエの様子をデプス・ドリーで遮断します。前方の人影がローリエに銃口を向ける様子を、焦点の合わないカメラで不気味に映し出し、次にピンぼけの焦点距離で正面から、その暗殺者をクローズ・アップするのです。

 野良猫の鳴き声のインサートから、ショット・ガンの発砲、そして発射音・・・ローリエを映さずにバタッという彼が地面に倒れ込む音と同時にフェイドさせ、野良猫の鳴き声をリバーブレーション(残響)し、タイトル・バックにカットします。
 クロスを射殺してから、ここまでの間に、高音のシグナル音のようにアレンジした音色のBGMをインサートし続けています。

 マイケル・ウィナー監督のモンタージュ編集は本当に素晴らしいものです。
 また、特にアラン・ドロンの美しく悲しい表情のクローズ・アップは強烈な印象を残しますし、非情にもCIAに暗殺されてしまう彼の結末の映像表現は、実にショッキングなものとなっています。
 このラスト・シークエンスだけを取りあげれば、サイレント時代の高度なモンタージュとトーキー初期の最小の音響での最大の効果を狙った古典的技巧のように感じました。

 それにしても、これらの西側の暗殺者ローリエと、東側のスパイであるスーザンとの愛情、二重スパイであるクロスとの友情、そして彼らの暗殺は、何を意味させたものだったのでしょう?

 わたしが強く印象に強く残ったショットとして、CIA執務室でのアメリカ合衆国の国旗とリンカーンの肖像画、そしてソビエト社会主義共和国連邦の領事館での国旗、その執務室のレーニンの肖像画でした。
 ここは、二重スパイのクロスと、彼の親友であるイギリスの舞台俳優出身のポール・スコフィールドが演じたツァルコフや音楽家のマックス・ラングとの会話から察するところ、クロスにおいてのアメリカ合衆国の政府当局、ツァルコフにおいてのソビエト社会主義共和国連邦のエリート官僚の似非マルキシズムに対する痛烈な反発を象徴させたショットだったようにも思います。

 実際にあのような過激な思想・信条を持ったものが当時のソビエト社会主義共和国連邦において、その存在が許されていたか否かは、甚だ疑問な点ですが、クロスの旧友のツァルコフは、筋金入りのコミュニストとして登場します。
 コミュニズムに虚無感を持っていながら、西側の情報を東側に提供し続ける矛盾に苦しんでいるように見受けられるクロスと、フルシチョフ以降のスターリン批判者と思われ、完璧なコミュニズムの思想を確信しているツァルコフとの激しい議論のシークエンスは、わたしにとっては、あの有名なクロスのローリエからの追撃のシークエンスにも増して、よりも強い緊迫感で迫ってくる実にスリリングなものでした。
 もしもリンカーンとレーニンが現代に生きているなら、クロスとツァルコフのようにしか生きられないかもしれません。彼らは現代のリンカーンとレーニンなのではないでしょうか?

 更に、マックスとの対話でのレジスタンス時代の経験、ローリエへの忠告やアドバイス、ツァルコフとの議論の応酬、スケート・リンクやボクシング・ジムで働く友人との人間関係などから、二重スパイであったクロスは、恐らく東西両国の思想・信条や立場を超えたコスモポリタニズムに近い理想主義者だったようにも感じます。

 映画という虚構の世界であるとはいえ、ハリウッド映画の大スターであったバート・ランカスターが、このような個性的で複雑な人物像を具体的に表現することができたのは、彼に備わっている鍛えられたインテリジェンスによるものでしょう。
 このことにおいても、アラン・ドロンが最も尊敬する俳優として、ジャン・ギャバンとともに彼を挙げている理由のひとつだとも思うのです。

 そして、わたしは、クロスとマックスが待ち合わせをするコンサート・ホールでのヨハン・シュトラウスの組曲を背景にしたバレエ楽団の練習風景のショットから、この作品の14年前のルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』(1959年)の主人公トム・リプリーとフィリップ・グリンリーフがローマから帰宅するときのモンジベロのバレエ楽団の練習場でのショットを想起し、そこからアラン・ドロンの師であったルネ・クレマンが、レジスタンス時代の統一戦線について述懐していたことを想い出してしまったのです。

【コミュニストだろうと、ド・ゴール派だろうと。私にはすべてレジスタンスの同志であった。私の会ったこの時代の責任者の人たちはすべて、彼ら同士お互いによく理解しあっていた。どちらが主導権を握るかで若干のアツレキがあったにせよ・・・・(ルネ・クレマン)】
【引用 『海外の映画作家たち 創作の秘密(フランス編 ルネ・クレマン)』田山力哉著、ダヴィッド社、1971年】

海外の映画作家たち・創作の秘密 (1971年)

田山 力哉 / ダヴィッド社



 人気の絶頂期に映画産業の国際舞台で活躍していたアラン・ドロンとしても、国際スターとしての破格の出演料や、映画プロデューサーとしての世界配給のマーケットからの高収益額のみの目的で、このアメリカ映画に挑んだわけではないように思います。

 彼にとっての『スコルピオ』への出演は、彼が最も尊敬する俳優のひとりとして挙げているバート・ランカスターと再共演できたこと、自分の最も得意なキャラクターでアメリカ映画に存在感を示せたことなどと同時に・・・
思想や信条においても多くの有意義なものを享受、確認できた素晴らしい経験だったのではないでしょうか?

 そして、彼の師でもあったルネ・クレマンの言葉を再び思い浮かべると、わたしは、更に深い感慨に耽ってしまうのです。
by Tom5k | 2010-01-15 01:53 | スコルピオ(2) | Trackback(2) | Comments(4)
Tracked from プロフェッサー・オカピー.. at 2010-01-19 21:36
タイトル : 映画評「スコルピオ」
☆☆☆(6点/10点満点中) 1973年アメリカ映画 監督マイケル・ウィナー ネタバレあり... more
Tracked from プロフェッサー・オカピー.. at 2016-08-02 21:54
タイトル : 映画評「コンドル」(1975年)
☆☆☆☆(8点/10点満点中) 1975年アメリカ映画 監督シドニー・ポラック ネタバレあり... more
Commented by オカピー at 2010-01-19 01:17 x
双葉先生死去の報に呆然としているうちにウェブリが長いメンテナンスに入ってしまったので、とりあえずコメントだけです。

僕の習慣で、作られた時代に即して評価するので、「スコルピオ」が今の時代に作られたら、★一つくらいは余分に出せるんじゃないかなと思います。
逆に言えば、昨今の映画については若干甘めに評価している感じです。

>ラスト・シークェンス
おおっ、非常に詳細に再現されていますね。
双葉先生的です・・・
最近の大半の映画と違ってワン・ショットに非常に意味があり、モンタージュの効果を考えていますから、そういう風に書きたくなる気持はよく解ります。
黒澤明「生きる」のラスト・シークェンスは正にそんな感じで、僕もトムさんほどではないですが、場面を文章で再現しているんですよ。

しかし、先人達が次々と逝き、寂しい1月になりましたね。
合掌。
Commented by Tom5k at 2010-01-21 00:38
>オカピーさん、こんばんは。
>昨今の映画については若干甘めに・・・
それは仕方のないことだと思いますし、もっと言えば、映画を単体としてみたときにサイレント時代の作品を超える映像表現がトーキー以後現在まで、何本あるでしょう?
>「スコルピオ」は、何せアラン・ドロンとアメリカ映画の関係のなかで考えてしまうものですから、元来冷静さを失っており、作品としてはあきらかに優れているジョセフ・ロージーの「暗殺者のメロディ」を超えて気に入ってしまってるものですから・・・全く客観性を持てないんです(笑)。
いろいろな意味でラストの編集も当時の映画では際だつものでも無かったのかも知れません。
>黒澤明「生きる」・・・
黒澤監督は、また別格でしょうね。オカピーさんの映像分析は以前からポイントを押さえて上手に批評されていると思っておりました。
現在の映画については、とにかく、原点に戻って、サイレント映像をまず勉強して映画を撮ってほしいものです。
そういった意味でも淋しい1月ですね。
では、また。
Commented by ジュリアン at 2010-04-18 20:05 x
荻さんの【月曜ロードショー】でこの作品を観たのは中学の頃
あのラスト近く 駐車場でのシーンは本当にカッコ良かったですね
ドロン”死の美学” の中でもインパクトある作品でした
サントラもアナログ時代から長年入手困難で 探し回ったものの
発見できず 完全にあきらめてました
CDの時代になってこのサントラを聴くたびに中古レコード屋を
何軒も回ってた頃の事を思い出しちゃいます
Commented by Tom5k at 2010-04-24 17:52
>ジュリアンさん、いらっしゃい。
ほんと、お久しぶりです。
仕事が忙しいので、ブログの更新が滞ってしまってるんですが、時間が出来たら、また更新しますので、よろしくね。
そっか、荻さんの解説でしたよね。いい加減な記憶なのですが、荻さんは「CIAくらいの巨大組織からすれば、この映画での批判も、かえるのツラにしょんべんのようなものだ」という解説をされていたように記憶してます。
>ラスト近く 駐車場でのシーン・・・
ほんとうに思い入れが強くて、だらだらと記事にしてしまったんですが、ドロンの眼は悲しい眼でした。愛する恋人、尊敬する先輩に裏切られたら・・・ああなってしまうんでしょうね。
サントラは、ジュリアンさんの記事でアップされていましたね。楽しく読ませていただいていました。CDの生産が1500枚限定とは・・・けちなマーケットですよね。
でも、曲自体は、アメリカ映画とは思えない悲しい曲調で映画のテーマに良くあっていましたね。宣伝次第でもっと売れると思うけどなあ。
では、また。
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