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『チェイサー』③~実業家「アラン・ドロン」、そのヒーロー像~

 『プレステージ』(1977年)を観た後、実業家・ビジネスマンである主人公を演じた当時のアラン・ドロンをもっと深く掘り下げたくなって、『ブーメランのように』(1976年)にこだわってしまったのですが、私には、以前から、『ブーメランのように』を鑑賞するたびに、この作品と必ず比較してしまう作品があります。
 それは、1978年11月、私が高校生の頃に公開された『チェイサー』です。

 その習慣は現在でも続いており、先般、『ブーメランのように』を観た後にも、やはり『チェイサー』を観てしまいました。私は、どうしてもこの2作品を無意識に、いや意識的に?比較してしまうのです。

 この2作品の「アラン・ドロン」の演ずる主人公の設定は言うまでもなく異なったものなのですが、実は非常によく似ており、その外観、特にその表情が似ているように思うのです。
 私は、『ブーメランのように』のジャック・バトキンと『チェイサー』のグザヴィエ・マーシャルを同一主人公にした実業家「アラン・ドロン」シリーズにしたら面白かっただろうと考えてしまいます。

 想えば、『ブーメランのように』が公開されるまでの彼の出演作品での「アラン・ドロン」キャラクターは、あまりにも強烈な個性によって表現されていた作品ばかりだったような気がします。
 だからこそ、『ブーメランのように』と『チェイサー』のような普段通リの素顔で演技している様相の2作品が、私にとっては際立ってしまう印象になったのかもしれません。

 残念ながら、日本でのアラン・ドロンの人気が低迷してしまったのもこの頃でした。作品としては素晴らしいものばかりですから、本当に悔しく思います。

 1975年2月に公開された『ボルサリーノ2』ですが、これは確かに「アラン・ドロン」らしく、クールで友情に篤い主人公でしたが、人気全盛期の最も彼らしい孤独なアウトサイダーの役柄からは、遠ざかっていた作品だったように感じます。信頼できる部下に囲まれ、素晴らしい恋人を背景に設定した物語ですが、マフィアのボスとして彼らを同行させてアメリカに渡航するラスト・シークエンスは、従来から彼が得意としていた孤独なアンチ・ヒーロー的な在り方ではありませんでした。

 1975年4月に公開された『愛人関係』は、恋人ミレーユ・ダルクを主演にして、自らは助演に徹した作品でしたし、ナルシストのアラン・ドロンが本気で恋人を愛してしまいます。少なくても、「アラン・ドロン」に夢中だった女性ファンを失望させてしまう設定でした。私は好きな作品ですが・・・。

 1975年7月に公開された『アラン・ドロンのゾロ』は、彼が原点に回帰し時代劇のコスチュームで仮面の騎士を演じました。たいへん素晴らしく、若い頃の「アラン・ドロン」であるならば、これこそ新たな剣戟のヒーロー誕生とまで言いたくなるような作品だったと思いますが、1970年代当時の映画のトレンドからも、40歳に差し掛かったダンディーなヨーロピアン・スタイルのいわゆる「アラン・ドロン」キャラクターからも、かなりかけ離れた作品になってしまいました。

 1975年11月に公開された『フリック・ストーリー』は、彼がそれまでほとんど演じたことのなかった刑事役でした。非常に魅力的な役柄ではあったのですが、やはり従来の「アラン・ドロン」らしからぬ主人公でした。
 この作品の実在の主人公ロジェ・ボル二ッシュ刑事は、アラン・ドロンが過去に演じた『リスボン特急』でのアウトサイダーの刑事とは異なり、スーパー・デカの異名を持ちながらも警察組織の仕事に埋没し日常的な業務遂行の状況を上司に点検され、その叱責や指導を受けている国家公務員としての警察官だったのです。

 1976年4月に公開された『ル・ジタン』ですが、何と彼が演じた主人公は、ロマ族出身の犯罪者です。甘いマスクで多くの女性を魅了したダンディズムの極致としての「アラン・ドロン」の面影は存在しませんでした。
 しかし、ここでの「アラン・ドロン」は髭を生やし痩せこけ、髪の毛は乱れたままの姿で出演し、新しく素晴らしいアンチ・ヒーローのキャラクターを創造できたように思います。
 ですから、人気の持続する安定した「アラン・ドロン」像の確立まで至れなかったことが、悔しくてならないのです。

 もしかしたら、1970年台半ばから、このように器用貧乏とまで言えるような多種多様な役柄を演じていた彼は、新しい「アラン・ドロン」像を創出することにかなり焦っていたのかもしれません?
 どの作品も、まぎれもなく「アラン・ドロン」でありながら、「アラン・ドロン」ではないように感じる作品ばかりです。それぞれ、素晴らしく新境地を拓くような野心作ばかりでしたが、どれも「アラン・ドロン」新時代を築く決定打には、もう一歩足りていなかったように思います。

 また、1976年12月に『ブーメランのように』が公開された後の1978年11月に『チェイサー』が公開されるまでの間の2作品も、「アラン・ドロン」が演じた主人公としては、あまりにも強烈な個性で、かつ「アラン・ドロン」らしからぬ役柄でした。

 1977年4月公開の『友よ静かに死ね』は、私にとっては本当に面白い作品でしたし、映画作品としても素敵な逸品だと思っていますが、実在したギャング団のボスであった主人公のロベール・ルートレルは、これはもう、いわゆる「アラン・ドロン」ではありません。キャラクターも髪型も言わずもがなでしょう。

 1977年9月公開の『パリの灯は遠く』は、当時の観客動員数、商業性は別として、映画としての歴史的傑作であり、『太陽がいっぱい』、『若者のすべて』、『サムライ』などと同様に、「アラン・ドロン」の代表的作品であることは今更言うまでもないことです。
 しかし、ジョセフ・ロージー監督の演出での陰鬱な設定に加えて、「アラン・ドロン」もいわゆるスター性のあるヒーローからは程遠く、「もう、アラン・ドロンは、二枚目をやめた」とまで評された作品でした。

 このように、この時期の彼の作品は、残念ながら、『太陽がいっぱい』や『サムライ』を創作したときのように映画スター「アラン・ドロン」として、多くのファンに受け入れられる新時代のスター・キャラクターを創出することはできませんでした。
 ジョセフ・ロージー監督との大傑作『パリの灯は遠く』でさえも、その後の彼のスター性には大きく影響を与えるまでには至らなかったのです。

 そのように考えたとき、彼が『サムライ』でのジェフ・コステロの役づくりについて、カイエ・デュ・シネマ誌のインタビューを受け非常に興味深い回答をしています。
【>詳細一つ一つ、監督とあなたが話し合われたのでしょうか?
>アラン・ドロン
話もしたが、私はすぐに理解していた。才能と言うのは、カメレオン役者でもあることだ、自分が依頼されたことなら、(役柄の)色合い、調子を変えられることだと思う。それは当然のことじゃないかな。努力する訳じゃない、それは感じるものだからね。そうした事を理解して、自分に取り込めるのは職業的知性なんだ。でも賞賛して欲しいわけじゃない、独りでに湧いてくるものだからだ。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/11
「回想するアラン・ドロン:その5」(インタヴュー和訳)」


 また、彼の「アラン・ドロン」としての代表作品のひとつである『高校教師』については、次のように語っています。
【>『高校教師』では、いつも同じコート、丸首のセーターを着ていて、無精ひげ姿です。スターのあなたがこうした壊れたような人物を演じるのは賭けではないのでしょうか?
>アラン・ドロン
毎回、私がこうした賭けをやると、大抵理解されないんだ。別の役者なら違うのだろうが、私はダメなんだね。批評家たちは年がら年中こうだ:ドロンはいつも同じ事をやってる、軽機関銃を持った映画だけだ・・・あらゆる観客たちのために私くらい多種多様な映画をやってきた者はいないと思うんだがね。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/26
「回想するアラン・ドロン:その9」(インタヴュー和訳)」


「才能と言うのは、カメレオン役者でもあることだ、自分が依頼されたことなら、(役柄の)色合い、調子を変えられることだと思う。・・・そうした事を理解して、自分に取り込めるのは職業的知性なんだ。」
「あらゆる観客たちのために私くらい多種多様な映画をやってきた者はいない・・・」

 この言動は、この時期の彼の作品にも非常に良く当てはまるような気がします。『サムライ』と『高校教師』の成功が、1970年代半ば、このような極端な役づくりに彼を走らせてしまった遠因のひとつだったのでしょうか?
 もちろん、それが間違いだったとは全く思いませんし、私はむしろ、それこそ素晴らしい職業的気質だと思ってしまうのですが、あまりにも器用な役づくりは、劇中人物の個性をうまく表現できる性格俳優としての資質に必要な要件ではあるものの、華やかな銀幕のスターとして必要とされる資質ではありません。

 オールバックの戦前のマフィアのボス、愛する女性へ献身を捧げる弁護士、仮面を付けた正義の剣士、国家公務員の刑事、髭を生やしたロマ族の放浪の犯罪者、カーリーヘアの戦前のギャング団のボス、ユダヤ人の魅力に取り憑かれた美術商人の異常性・・・。 

 もしかしたら、これらの一貫性の無い「アラン・ドロン」キャラクターの混乱が、日本での人気を低迷させていく原因のひとつになったのかもしれません。

 さて、このように考えると、1970年台半ばに演じていた強烈な個性の主人公のなかでも、取り分け『ブーメランのように』と『チェイサー』、そして1979年5月公開の『プレステージ』の3作品で演じた主人公は、自らの私生活を背景にして素顔の「アラン・ドロン」に最も接近したものだったように思えます。
 特に、『ブーメランのように』と『チェイサー』は、いわゆる「フレンチ・フィルム・ノワール」という同じ体系に在るのですから、、安定した「アラン・ドロン」らしいヒーロー像を復活させるに足りますし、そうなり得る作品だったはずだと考えてしまいます。どうしても、私は、この2作品が彼のスターとしての起死回生の作品になって欲しかったと今だに強く思っており、こだわり続けているのです。

 当時の「アラン・ドロン」は、もう既にその生き方自体が、十分にドラマティックだったわけですから、俳優としての職業的知性によってあらゆる観客たちのために多種多様な映画を撮り続けるよりも、等身大で自然な生活感覚からヒーロー像を創出することを選択する方が、銀幕スターとしての魅力を最大限に発揮することが可能だったような気がします。

 そして、この2作品には、共通の「アラン・ドロン」らしい素晴らしさも数多く盛り込まれています。
 「アラン・ドロン」の私生活と同様に、主人公が事業の成功者、実業家であって、最も得意とする「フレンチ・フィルム・ノワール」体系の作品でもあります。主人公が愛する者、大切にしている者のために戦う孤独で格好良い「ヒーロー」であり、作品のテーマも社会の矛盾が鮮明に主張されていることから、男性的規範や価値観を基軸に構成されています。
 『ブーメランのように』のカルラ・グラヴィーナ扮する再婚相手とミレーユ・ダルクが扮する恋人のキャラクターが、日本的な表現をすれば「内助の功」の役割のみで担われていることなども男性的価値観の共通点でしょう。

 さて、話は少し逸れてしまうのですが、このように比較すると、この「アラン・ドロン」の実生活を反映させた2作品の根幹にあるテーマは、家族愛や友情です。
 自分の大切にしている者を守ろうと必死に戦う愚直なまでに芯の強い主人公グザヴィエ・マーシャルの姿は、直接的には、ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』のトム・リプリーよりも、1960年に製作されたルキノ・ヴィスコンティ監督の「アラン・ドロン」、そう『若者のすべて』での封建の青年、聖者ロッコ・パロンディが現代社会のヒーローとして再生・復活した姿であるような気がしてくるのです。
 そう考えると、『チェイサー』の配役については、私としては友人のモーリス・ロネ演じるフィリップではなく、実の兄シモーネの設定にして、レナート・サルバートリに演じて欲しかったと思っています。

 このように、若い頃の代表作品のキャラクターを活かした更に深みのある「フレンチ・フィルム・ノワール」作品が、この2作品だと私は考えるのです。

 両作品は、どちらの主人公も現代的で勇敢なヒーロー像を造詣しており、それぞれに魅力が満載ですが、当然のことながら異なる部分がたくさんあり、特に「アラン・ドロン」の過去と未来がそれぞれ交錯している2作品でもあります。
 『ブーメランのように』は、運命に抗いながらも敗北してしまう悲劇の物語です。主人公は(元)犯罪者ですが、更生して実業家になり、今では父親として立派に生活しています。ところが、大切にしている息子が犯罪を犯し、愛しているがゆえにその息子を守ろうとして、過去の犯罪歴を暴露されて社会的立場を失い、何より最期には息子と自分の命まで喪失してしまうのです。ここでの「アラン・ドロン」は、父性愛を表現した悲劇のヒーローでした。そして、わたしがこの作品を、現在までの「アラン・ドロン」を総括した作品であるように思っていることには既に触れたところです。【『ブーメランのように』④~過去に演じた主人公たち、そして、限界点を一歩踏み越えてしまった男たち~
 『チェイサー』の主人公は兵役義務を果たした国家への貢献者であり、現在は事業の成功者であり、旧友との友情から巨悪の政治腐敗に戦いを挑み決して権力に屈しないヒーローでした。
 ここでの「アラン・ドロン」は、古くからの友人を大切にする友情に篤い一匹狼です。今だからわかることなのかもしれませんが、このキャラクターは、これからの「アラン・ドロン」を予見して創り上げていった作品でもあるのです。

 いずれにしても、この両作品は、最も彼の実生活に接近した「フレンチ・フィルム・ノワール」であり、どちらもアラン・ドロンが役づくりに腐心せずに、経験的に自然な素顔のままで個性を発揮できる主人公の在り方だったと思います。

 これほど「アラン・ドロン」の魅力が満載であるにも関わらず、そして、彼らしい会心の作品であったにも関わらず、残念なことに当時の日本の彼のファンは、両作品に感情移入し切れませんでした。観客動員数と、その後の彼の作品の未公開がそれを物語ってしまったのです。

 何故なのでしょうか?

 彼の精神と肉体が全盛期の1960年代から1970年代初頭のように、ファンにとって憧憬とする美しさや理想のモデル足り得ず、私生活が透けて見えてしまうことは、逆に映画を観るその時代の人々の求める象徴的な理想像ではなく、スターの側から提供された「アラン・ドロン」像でしかなかったから?なのでしょうか?
 そして、彼の私生活の断片は、もはや日本人の好奇心や欲求を満たすものではなかったから?なのでしょうか?

 特に『チェイサー』は、彼が新しい「フレンチ・フィルム・ノワール」として表現した作品であり、力強く格好良い不屈の英雄譚でしたから、ようやく「アラン・ドロン」としての新しいヒーロー像を生み出すことができた作品だっただけに、日本のファンが受け入れ切れなかったことは本当に残念でなりません。

 そして、前述したとおり、『チェイサー』の「アラン・ドロン」に、映画史上に燦然と位置付いているルキノ・ヴィスコンティ監督との『若者のすべて』で演じた聖者ロッコ・パロンディ(=グザヴィエ)が、幾多の困難を乗り越え今だに兄シモーネ(=友人フリップ)を寛容に許し、そして守り続けていることを見て取ってしまうのです。

 聖者ロッコが英雄グザヴィエに成長した姿、それは、自分たちを苦しめていた根本原因に気づくことから、すなわち政治腐敗や極端な右翼ファッショへの積極的な闘いに転換していったこととして・・・。
 更に、ロッコ(=グザヴィエ)が学んだその最大の教訓は、シモーネ(=友人フリップ)が大切にしている恋人ナディア(=ヴァレリー)と初めから恋をしないことだったのでしょう。

 一貫した「アラン・ドロン」の信条は、更なる進歩を経たのでしょう。その理知と勇気に深く刻まれた彼の美しき姿から、身近な友人のみならず多くの民衆の敵を凝視し始めたことがわかるのです。
 ラスト・シークエンスで遠景のパリを俯瞰する「アラン・ドロン」は、まるで、トスカーナの州都、自由都市フィレンツェの中央広場に、民衆の敵、怪物ゴリアテを倒し立っている旧約聖書のユダヤの英雄ダヴィデの像のように勇敢で、力強く美しいと感じてしまうのです。

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# by Tom5k | 2015-05-25 23:06 | チェイサー(3) | Trackback | Comments(2)

『ブーメランのように』④~過去に演じた主人公たち、そして、限界点を一歩踏み越えてしまった男たち~

 最近は、『ブーメランのように』の魅力に取り憑かれてしまっています。
 この作品には、アラン・ドロンが過去の代表作品で演じた主人公が数多く再登場しているからです。
 『ブーメランのように』の主人公である実業家ジャック・バトキンは、『太陽がいっぱい』のトム・リプリーがフィリップ・グリーンリーフに、『悪魔のようなあなた』のピエール・ラグランジュがジョルジュ・カンポに成りすますことに成功した姿であることは、既に記事にしました。
【参考~『ブーメランのように』①~貧困・犯罪・差別からの逃亡と挫折~及び『ブーメランのように』②~「フレンチ・フィルム・ノワール」作品で描かれる父性~

 また、この『ブーメランのように』が、翌年に撮った『プレステージ』と同様、『太陽はひとりぼっち』(1961年)での現代ビジネスに生きている者の矛盾を強く表出した作品であることにも触れました。
【参考~『ブーメランのように』③~「アラン・ドロン」のトレード・マーク「悲劇のヒロイズム」最後の作品~
 私は、ピエロの矛盾が、ジャック・バトキンの矛盾に行き着いていったようにも思うのです。恋人とのディスコミュニケーションは、思春期の息子とのディスコミュニケーションへと繋がったのだと・・・。愛息が犯罪に手を染めた原因を手繰っていけば、現代ビジネスの矛盾に行き着くのではないかと・・・?

 そして、また、『ブーメランのように』には、他にも彼が過去に演じた主人公たちが数多く再登場しているのです。
 まず、真っ先に私が想い起こされるのは、過去のギャング時代の仲間たちとの関係です。その典型的な作品として『仁義』が挙げられます。アラン・ドロンが演じた主人公のコレイやイブ・モンタンが演じたジャンセン、ジャン・マリア・ヴォロンテ演じたボージェルが、私には浮かんでくるのです。
 彼らは、ブールヴィルが扮したマッテイ警部が事件担当でなければ、強奪した宝石をせしめて、のうのうと日常を過ごしていたかもしれません。そうなれば、ほとぼりの覚めた頃にコレイがジャック・バトキンのような事業家になることも不可能ではなかったように思います。
 そして、息子の脱獄に協力してくれる仲間は、『泥棒を消せ』や『シシリアン』で組んだ強盗団ではなく、『仁義』でのジャンセンやボージェルだと思うのです。

 ジャック・バトキンが、過去に犯罪を犯して投獄されていたとき、狂人のふりをして免責された逸話からは、『暗殺者のメロディ』のフランク・ジャクソン(ラモン・メルカデル)が想い出されます。ロシアの革命家トロツキーを暗殺したときに上げた彼の絶叫は、まさに狂人そのものだったと言っても言い過ぎではないと思います。
 そもそもアラン・ドロンは人格の破綻した人間を演じることが十八番の俳優です。『ブーメランのように』で、ルイ・ジュリアンが演じた投獄中の息子エディの憧れる父親ジャック・バトキンの過去の犯罪者の逸話は、過去のアラン・ドロンの演じたキャラクターのことを話しているとしか思えませんでした。

 ところで、ジャック・バトキンが最も守りたかったものは・・・?
 言うまでもなく、それは自分が最も愛する息子エディでしょう。
 アラン・ドロンは自分の大切にしている者、愛する者を守ろうとするとき、また、それを守りきれなかったとき、そのときには明らかに常軌を逸してしまいますし、それは決して成功することなく絶望的な結果になります。

『ビッグ・ガン』の主人公トニー・アルゼンタは、愛する家族をマフィア組織に殺害され、復讐の鬼になってしまいますが、友人に裏切られて死に至ります。
『暗黒街のふたり』の主人公ジーノ・ストラブリッジは、弱みに付け込んで愛する妻にまで脅迫まがいの行為に至るミッシェル・ブーケ演ずるゴワトロ警部の横暴に激昂し、とうとう殺害事件を起こしてしまいます。
そして、『愛人関係』では、ミレーユ・ダルク演ずる愛人ペギー・リスターの精神疾患に絶望し、山中で心中を図る弁護士マルク・リルソンを演じました。

【(-略)彼は(アランは)はまた極めて頭のいい男で、その点が私とやった二本の映画での役柄にぴったりだった。その二人、トロツキー暗殺者とムッシュー・クラインは、どちらも非常に頭の切れる男で、自分の行動にはしっかりとした自覚を持っている。ところがある限界点を一歩踏み越えてしまうと、もう判断力を失い、放心したようになってしまう。(ジョセフ・ロージー)】
【引用 『追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー』ミシェル シマン著、中田秀夫・志水 賢訳、日本テレビ放送網、1996年】

追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー

ミシェル シマン Michel Ciment 中田 秀夫 志水 賢日本テレビ放送網

 

 ジョセフ・ロージー監督が述懐しているようなアラン・ドロンの「ある限界点」の典型的な状況に、「自分の大切な者を喪失したとき、喪失せざるを得ない状況にあるとき」が、当てはまるのではないでしょうか?その「一歩を踏み越えた」ときのアラン・ドロンは正常な「判断力」を失ってしまうのです。
 この『ブーメランのように』でも、過去のギャング組織に戻り、護送中の息子を脱獄させ国外逃亡を図る父親として考えられないような最悪の判断をしてしまいます。

 同様に、アラン・ドロンが演じた『ビッグ・ガン』の主人公トニー・アルゼンタも、『暗黒街のふたり』の主人公ジーノ・ストラブリッジも、『愛人関係』のマルク・リルソンも、その判断が誤っているがために決して幸福で納得できる結果にならず、むしろ最悪の結果になってしまう絶望的な主人公ばかりなのです。

 そして、私は、この『ブーメランのように』の原点のひとつに、デビュー間もない頃、ルキノ・ヴィスコンティ監督の代表作品『若者のすべて』で演じた主人公ロッコ・パロンディの存在が頭から離れなくなってしまいました。そこでアラン・ドロンが扮したロッコ・パロンディは、愛する兄シモーネのために、彼にレイプされてしまった自分の恋人を譲り、遊行による彼の借金までも肩代わりし、とうとう殺害事件まで起こしてしまった彼を最後までかばおうとするのです。
 このことから、ロッコ・パロンディが、『ブーメランのように』で、ドラッグ・パーティの現場で誤って警察官を射殺してしまった息子エディを救おうとするジャック・バトキンの原点だと考えるようになりました。

 社会で許されることのない生き方をしてしまったシモーネとエディ、犯罪を犯してしまった若者の更生が不可能だとは思いませんが、アラン・ドロンが演じたロッコ・パロンディやジャック・バトキンの行為が、本当の意味で彼らを救うことはないでしょう。それどころか、彼が施した行為によって、シモーネやエディは、益々、自分の罪を自覚することが不可能になってしまうように思います。
 そう考えると、いくら絶望的な状況に置かれてしまった肉親であっても、兄シモーネに対するロッコ、息子エディに対するジャックの行為には哀しい悲劇しか準備されることはなかったのです。

【>宮崎総子
『太陽がいっぱい』も本当にきれいだったと思うんです。それから『若者のすべて』もすごく良かったと思うんです。そのたびにね。アラン・ドロンさんというのは、ああいう人だと思っちゃうんですね。
>アラン・ドロン
役には必ず自分自身が投射されるものです。どんな役でも演じる俳優の個性がはっきり出てきますよ。
(-中略-)
>宮崎総子
今までいろんな監督と出会っていると思いますけどね。ヴィスコンティさんとか。本当に世界で一流の。どなたからたくさん影響を受けていらっしゃいますか。
>アラン・ドロン
私の人生では5人の大切な大監督が挙げられます。最も影響を与えてくれた人々はビスコンティ、ルネクレマン、アントニーオーニー、ローゼ、メルヴィル。私の人生のいろいろな時期にこうした人たちから影響を受けました。】
【「モーニングジャンボ奥さま8時半です』「総子がせまる!いい男コーナー たまらなく男ざかり!アラン・ドロン」インタビュー:宮崎総子、1983年11月8日:毎日放送】

 ルネ・クレマン監督のトム・リプリー、ルキノ・ヴィスコンティ監督のロッコ・パロンディ、ミケランジェロ・アントニオーニ監督のピエロ、ジャン・ピエール・メルヴィル監督のコレイ、ジョセフ・ロージー監督のフランク・ジャクソン・・・。
 私は、『ブーメランのように』で彼が演じたジャック・バトキンが、当時のアラン・ドロンの自己矛盾を最も端的に表現した主人公であると同時に、過去に演じたキャラクター、それも「アラン・ドロン」の原型となる人物を演じた作品での主人公の集大成であるとまで考えてしまうのです。

 残念ながら、『ブーメランのように』は、盟友ジョゼ・ジョヴァンニ監督と組んで制作した最後の作品になってしまいましたが、彼が出演してきた映画の沿革の中でも、取り分け重要な位置に存在する作品のひとつであると確信するに至っているのです。

【この映画もまた、他の二作と同様、アランが存在しなければ生まれなかった映画だということを先ず言っておかなければならない。もちろん、このシナリオは私の実体験に基づいて書いたものだが、アランにとっても切り離せないほどその生き方に深く関わっている物語だ。(-中略-)
 アランはまた、この映画には様々なアイデアを持っていて、初めて脚本・脚色という形でも参加した。そのため、私のシナリオはアランによって書き変えられたが、それはむしろ当然なのである。】
【キネマ旬報1976年12月下旬号No.697(「我が友アラン・ドロンと映画「ブーメランのように」を語る」ジョゼ。ジョヴァンニ<訳・構成>細川直子】
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# by Tom5k | 2015-03-22 02:23 | ブーメランのように(4) | Trackback | Comments(0)

『ブーメランのように』③~「アラン・ドロン」のトレード・マーク「悲劇のヒロイズム」最後の作品~

 『プレステージ』(1977年)を観た後、急に頭をよぎって、どうしても頭から離れなくなってしまった作品がありました。『ブーメランのように』(1976年)です。
 『プレステージ』が製作された前年に、実業家・ビジネスマンである主人公を演じたアラン・ドロンという共通項から、当時の彼をもう少し深く理解したくなったのです。どちらの作品もその結末は悲惨なのですが、彼が従来から得意としていた悲劇的なヒロイズムが貫徹しているのは、『ブーメランのように』でしょう。

【>あなたが演じる役にはしばしば鬱的なメランコリーな何かがありますね。
>アラン・ドロン
傷はなかなか癒えないんだね。笑わそうとしてみたり無駄なこともした、それがトレードマークになってるな。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18 「回想するアラン・ドロン:その6(インタヴュー和訳)」

 ロミー・シュナイダーと出会ったデビュー間もない頃の『恋ひとすじに』(1958年)やルキノ・ヴィスコンティと巡りあった『若者のすべて』(1960年)で、彼が表現した「悲劇のヒロイズム」は、『さすらいの狼』(1964年)や渡米して撮った『泥棒を消せ』(1964年)により、ノワールを基調としたものとして模索されていったように思います。
 その後のアラン・ドロンは、フランス映画界においても重要な代表的作品を撮っていったジャン・ピエール・メルヴィル監督の演出により、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品での中心的な存在に到達し、ノワールを基調とした悲劇性のイメージを完成させていくことになります。

 しかし彼は、70年代後半から、特に『ブーメランのように』の翌年に撮った『プレステージ』以降、そこからの脱出を企てたように私には見えるのです。『プレステージ』の主人公からは、悲劇的なヒロイズムは読み取れませんし、少なくても、この作品は、「フレンチ・フィルム・ノワール」の体系には該当しないでしょう。

 『ブーメランのように』は、そのどちらも要素としているのですが、『プレステージ』と同様に、『太陽はひとりぼっち』(1961年)以来の現代ビジネスに生きている者の矛盾も強く表出した作品にもなっており、最愛の息子との愛情面での在り方に焦点が絞られ、実業家・ビジネスマンとしてのハレーションが、父親としての苦悩に結びつくテーマとなっています。
 また、この作品は、『冒険者たち』(1966年)のシナリオで出会って以降、ジョゼ・ジョヴァンニと一緒に仕事をした最後の作品でもあり、それまでのアラン・ドロンの出演作品から新境地を拓いた作品ではなく、『ビック・ガン』(1973年)や『ル・ジタン』(1974年)と同様に父性愛のテーマを徹底したものであったし、過去の犯罪歴から現在の更生に失敗して悲劇的結末を迎える主人公の設定も、アメリカ映画『泥棒を消せ』、イタリアで撮った『ビック・ガン』(1973年)、ジョゼ・ジョヴァンニ監督との『暗黒街のふたり』(1973年)など、それまでのフィルム・ノワール体系の作品でのキャラクターと類似したものになっています。

 このように考えると、『ブーメランのように』までのアラン・ドロンの作品は、本人が後述しているように、
>トレードマークである「鬱的なメランコリーな何か」(これを、いわゆる「悲劇のヒロイズム」のトレードマークと定義しても誤りではないでしょう。)を表現した作品が非常に多かったわけです。

 しかし、アラン・ドロンのスターとしてのトレード・マークは、『ブーメランのように』を最後に、とうとう影を潜めてしまいました。

 世紀の大傑作『パリの灯は遠く』(1977年)は、戦時中の美術商としての役柄でしたが、「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」などというものを超え、主人公の「異常性」を一世一代の演技で表現した超越的で特異なキャラクターでした。

 そして、『友よ静かに死ね』(1977年)は、作品そのものは哀愁を帯びた旧時代的な悲劇であり、ここではまだ、「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」の要素は残ってはいたかもしれませんが、彼が演じた主人公のキャラクターは陽気なギャング集団のボスでしたし、外見も髪の毛をカールしたスタイルに変貌していました。

 なお、アラン・ジェシュア監督の『Armageddon』(1977年)は、未見なのですが、各種の映画雑誌や現在ではネット上の情報などから「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」の主人公とは、縁遠い作品となっているようです。

 その後、彼の作品は、『プレステージ』へと続くのですが、実業家・ビジネスマンを主人公にした作品に限ったとき、最もアラン・ドロンらしい役柄は、『太陽はひとりぼっち』(1961年)から出発し、後年、『Notre histoire(真夜中のミラージュ)』(1984年)、『ヌーヴェルヴァーグ』(1990年)と人気全盛期を終えた後に演じていくことになります。
 しかし、男女の愛をテーマにしたこれらの作品は、トレード・マークであった「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」を主題・テーマにしていた『ブーメランのように』とは異なる体系の作品だと考えられましょう。

 『プレステージ』の翌年に製作された『チェイサー』(1978年)は、作品としては、アラン・ドロンの得意とする「フレンチ・フィルム・ノワール」の体系に在る作品と云っていいでしょう。
 また、ここで彼の演じた主人公も『ブーメランのように』や『プレステージ』と同様に、実業家・ビジネスマンでした。
 しかし、もうアラン・ドロンは、既に悲劇的なアンチ・ヒーロー的なヒーローではなく、友情に厚い硬質な正義のヒーローに脱皮しており、「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」からの脱出は完全に成功した作品となっています。

 これらのことから、盟友ジョゼ・ジョヴァンニ監督との三作品目『ブーメランのように』は、1960年代後半からのアラン・ドロン全盛期における「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」が最後に総決算された作品なのではないかとも思いますし、『プレステージ』や『パリの灯は遠く』なども併せて考えると、この頃のアラン・ドロンは映画俳優以外のビジネスの仕事で自分自身の生き方に矛盾を感じていたのではないか?とすら感じます。

 ところで、『恋ひとすじ』や『若者のすべて』で出発した「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」が、はっきりとノワール的基調において、主人公に表れていた作品は『さすらいの狼』でしたが、何とっ!ここで音楽を担当したのは、アラン・レネやフランソワ・トリュフォー、ジャン・リュック・ゴダール、ルイ・マルの作品で音楽を担当し「ヌーヴェル・ヴァーグ」の音楽家と言われていたジュルジュ・ドルリューでした。

Alain Resnais Portrait Musical

Emarcy Import


Le Cinema de Francois Truffaut, musique de Georges Delerue

Emarcy


Jean Luc Godard Histoire(s) de Musique

Martial Solal / Emarcy Import



 そして、彼を13年ぶりに、アラン・ドロンの「フレンチ・フィルム・ノワール」有終の美を飾る『ブーメランのように』で、再び起用したのですから驚きます。
 私としては、アラン・ドロンの「フレンチ・フィルム・ノワール」における悲劇的ヒーロー像の音楽的照応は、ジュルジュ・ドルリューで始まり、その総括的な『ブーメランのように』で締め括ったと解釈せざるを得ないのです。

 特筆しておきたいことは、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の『ジェフ』(1968年)で、当初予定されていた彼の起用が、作品のテーマ・主題の考え方の相違によって、残念なことに実現せず、フランソワ・ド・ルーペの起用に変更されてしまったことです。
 アラン・ドロンとしては、ジャック・パールとともに初めて自らプロデュースに携わった『さすらいの狼』で、彼の協力が得られたときと同様に、初めて単独でプロデュースした『ジェフ』でも彼の音楽を使用したかったのでしょう。
 これらのことは、アラン・ドロンのプロデュース作品史における象徴的な事件とも云えることなのではないでしょうか。

 そして、プロデューサーとしてのアラン・ドロンは、『ブーメランのように』に限っては、今まで組んできたクロード・ボラン、フランソワ・ド・ルーペ、フィリップ・サルドではなく、よほどジョルジュ・ドルリューが必要だと考えたのでしょう。

【>ドゥルリュー
(-略)今回の仕事は、むしろアラン・ドロンが直接私の方に電話してきて、ひきうけたようなわけで、それも非常にていねいな電話でした。それで出来上がった作品を見て、どういう風にいれようかと、ドロンに尋ねたら、「この作品の、ヴァイオレンスな部分と、やさしい愛情に満ちた部分を強調してくれ」と言われて、作曲したわけです。まあ、この映画の後、非常にまれなことなんですが、ドロンからの自筆の礼状がきましてね、嬉しかったですよ。
>ジョヴァンニとは音楽のうち合わせはなさらなかったのですか?
>ドゥルリュー
最初、ジョヴァンニは、音楽に関してそれほど、はっきりした考えはもっていなかったと思います。(略-)
>ドゥルリュー
(-略)撮影が終わって、ドロン自身が、積極的に考えを述べて、その考えが大きく反映したということはありますがね。そういう意味では、創作の所まで、深くドロンが入り込んできた、初めての作品であるといえます。】
【キネマ旬報1976年12月下旬号No.697(「「ジョルジュ・ドゥルリュー「ブーメランのように」と映画の秘密を語る」<インタビュアー>ユミ・コヴァース、西村雄一郎】

 このインタビューでジョルジュ・ドルリューは、アラン・ドロンが父と子の絶望的な愛情への描写に執着していたことやヴィスコンティ時代における俳優としての才能を理解していたこと、そして、人気全盛期よりもこの作品のアラン・ドロンの方が際立っていると言及し、監督のジョゼ・ジョヴァンニより、彼とディスカッションすることが多かったことなど、当時の逸話も伝えています。
 彼は、この『ブーメランのように』のプロデューサーであり、出演者でもあるアラン・ドロンを最も良く理解したうえでスタッフとして協力したのです。

 『ブーメランのように』でのアラン・ドロンが演じた主人公ジャック・バトキンは、過去の『太陽がいっぱい』(1959年)の主人公トム・リプリー、『悪魔のようなあなた』(1967年)の主人公ジュルジュ・カンポなどが犯した犯罪や偽証を成功させた人物設定でありながら、その貧困・犯罪・差別からの呪縛から逃れることができず、その過去と必死に闘っているように感じていたことは、既に記事にしました。
【参考~『ブーメランのように』①~貧困・犯罪・差別からの逃亡と挫折~

 今回の鑑賞では、加えて、盟友ジョゼ・ジョヴァンニ監督のもとで、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の音楽家、ジョルジュ・ドルリューの協力を得て、過去からの「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」、特に過去のフィルム・ノワール作品におけるそれを総決算した作品、そして、女性との恋愛では、愛を再生・復活させていく主人公や、友情に厚い正義のヒーローとして腐敗した政財界に挑んでいく主人公などの新しい境地に向かっていくために必要な作品だったと考えるようになったのです。

【>ドロン親子は死んだのでしょうか?
>ドゥルリュー
それは永遠にわからぬクエスティョン・マークですね。
それは観客の判断にゆだねているのです。しかし、ドロンは、父も子も死ぬことにしたかったのだと思いますよ。なにしろ、ドロンは、多くの作品のラスト・シーンで、死ぬことになっていますから。(笑)】
【キネマ旬報1976年12月下旬号No.697(「「ジョルジュ・ドゥルリュー「ブーメランのように」と映画の秘密を語る」<インタビュアー>ユミ・コヴァース、西村雄一郎】

 やはり、ジュルジュ・ドルリューは、十分にアラン・ドロンのこれまでの作品を熟知したうえで、『ブーメランのように』で自分の音楽での役割りを果たしていたのです。

 私は、『ブーメランのように』が、ジュルジュ・ドルリューの音楽も含めて、ジョゼ・ジョヴァンニ監督との三作品の中でも、アラン・ドロンの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品としても、彼の未来の作品への真の熟成に向けて、傑出して重要な位置を占める貴重な作品だと思うようになってしまったのです。

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オリジナル・サウンドトラック盤(東映提供フランス映画「ブーメランのように」よりブーメランのように、愛のバラード)
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# by Tom5k | 2015-03-08 01:44 | ブーメランのように(4) | Trackback(2) | Comments(4)

映画作品から喚起されたこと そして 想起したこと


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